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カーブアウトで挑む。中国市場との橋渡しで目指す「日本経済の復活」

カーブアウトで挑む。中国市場との橋渡しで目指す「日本経済の復活」

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大企業を飛び出した起業家たちの“リアル”に迫るシリーズ企画「Second Launchers」。――今回登場してもらうのは、クロスボーダーマーケティング及び越境EC事業を行う株式会社NOVARCA代表の濵野 智成氏。

もともとはマーケティング事業を手掛ける株式会社ホットリンクの一事業として始まった同社は、濱野氏が2017年に分社化し新たなスタートを切りました。これまで累計45.8億円の資金を調達して、2022年12月には旧社名のトレンドExpressから「NOVARCA」(ノヴァルカ)へと社名変更し、第2創業期を迎えています。

今や世界で最も注目を集める中国市場と、日本企業の橋渡し役を担う同社。中国を中心にブランドが成長するための需要を開発し、データテクノロジーを駆使した独自のプラットフォームサービスを提供しています。これからの日本経済の成長を大きく左右する存在と言えるでしょう。

今回は濱野氏に、カーブアウトのリアルと新しい社名に込めた想いについて話を聞きました。

傾いた家業を救うため、ビジネスの現場に飛び込んだ10代

ーー濱野さんは幼少期からビジネスに携わってきたようですね。当時のお話を聞かせてください。

濵野氏 : 私は江戸時代から続く商売家系の21代目として生まれ、小さな時から商売の英才教育を受けて育ちました。しかし、私が15歳の時に、バブル崩壊のあおりを受けた家業は存続の危機を迎え、当時プロ野球選手を目指していた私も家業のアパレル事業を手伝わなければいけなくなって。

当時10代だった私は若者の間で流行しているファッションブランドにも敏感で、仕入れ戦略を任されました。幸いにも父と共に事業をV字回復させることができ、借金を返済し無事に事業を清算できたのです。

ーー大変な10代を過ごされたんですね。その経験から起業を目指すようになったのでしょうか。

濵野氏 : いえ、当時は自分で起業するよりも、父のような経営者を支えるために弁護士になりたいと思っていました。経営を支える士業になることで、苦しむ経営者を救うのと同時に、日本経済の復活に貢献したいと思ったのです。


弁護士を目指して大学生になった私は、外資系飲食チェーンでバイトをしながら学費や生活費を賄っていました。アルバイトリーダーとして店舗マネジメントなども任され、やりがいを持って働けたのですが、その一方で勉強の時間がとれなくて。

このままでは司法試験に合格するのが難しいと思っていた私に、バイト先の社長が「弁護士になるより経営者になった方がいいじゃないか」と言ってくれたんです。その言葉をきっかけに起業家を目指すようになり、ビジネスやマネジメントを学ぶためにその飲食店に就職しました。

ーー思惑通りに、ビジネスの修行ができたのでしょうか。

濵野氏 : 外資系でアメリカや世界的にも大きなグループ企業だったので、学ぶことも多かったのですが、それ以上に社会から置いていかれる感覚の方が強くなっていきました。社会人になった同世代の友達が、自分の店で飲み会をしているのを見ると、社会のネットワークから離れていっているように感じたのです。

「本当に自分がやりたいことができているのか」そう自問した24歳の私は、答えを探すためにオーストラリアに渡ることにしました。ちょうどオーストラリアでの仕事もあり、半分は仕事、半分は留学という形で自分の世界を広げることにしたのです。

ーーオーストラリアでどのような経験をしたのか聞かせてください。

濵野氏 : 仕事以外の時間は、現地のオープンスクールに通ったり、様々な国の人と交流を楽しんでいました。そこで知ったのが経営コンサルタントという仕事です。この仕事なら「日本経済を活性化するために、経営者を支える」というビジョンを叶えられる。

そう思った私は帰国してすぐに、コンサルティングファームへの就職活動を始めます。しかし、リーマンショックだった当時、採用活動をしている会社は少なく、唯一門戸を開いていたデロイトグループに入社することにしたのです。

出世街道を歩きながらも、キャリアチェンジした理由

ーーデロイトでの経歴について聞かせてください。

濵野氏 : デロイトでは当時28歳で最年少のシニア・マネージャーとなり、東京支社長や事業開発本部長も歴任しました。その後、新規事業の開発やスタートアップと大企業とのオープンイノベーションの支援をしていた時のクライアントの一つがホットリンクです。

同社には上場前から支援していて、創業者の内山から「さらなる成長のために、うちに来てくれないか」と声をかけられていました。クライアントの社長からの声がけはコンサルタントにはよくある話ですが、当時の私は転職をする気がなく、日本の中小企業やベンチャー企業の経営者の支援をすることが天職だと思い、誘いを断っていたのです。

ーー何がきっかけで転職を考えるようになったのでしょうか。

濵野氏 : よりコミットして、この会社の成長に貢献したいと思ったからです。コンサルタントとして人事戦略の構築をしたり、経営会議に参加したりするようにもなりましたが、やはりコンサルタントとしてやれることには限界があります。

もっとこの会社を成長させたい。そう考えると、デロイトを辞めてコミットするしか選択肢がなかったのです。

ーー他の会社からも同じような声かけはあったと思いますが、それでもホットリンクを選んだ理由も聞かせてください。

濵野氏 : 当時のホットリンクが掲げていたのが「グローバル×データ」というテーマ。日本経済を復活させるには、国内市場だけでは難しく、海外の市場を外すことはできません。

それも、データを活用してグローバル市場に打って出られるなら、これまでにない可能性を見いだせます。データ活用は、第四次産業革命のど真ん中にもなると思っていたので、その2つを組み合わせて事業を展開できるホットリンクに賭けてみたいと思ったのです。

カーブアウトならではの資金調達の難しさ。その突破口とは

ーーホットリンクにジョインしてから、どのような仕事をしていたのか聞かせてください。

濵野氏 : 戦略人事や買収した米子会社とのPMI、資金調達など多岐に渡ります。新規事業の開発もしており、そのうちの一つがカーブアウト起業のきっかけとなった爆買いを予測する事業です。


中国の方たちは日本に旅行に来る前に「微博(中国のSNS)」に日本で買うものを投稿する文化があり、そのデータを仕入れられる機会があって。どんな商品が爆買いされるか予測できれば、適切な仕入れや棚の陳列をすることができ、売上げアップに繋がります。

旧社名の「トレンドExpress」も、中国のトレンドをいち早く日本に持ってくるという、当時の事業から名付けられました

ーー事業はスムーズに立ち上がったのでしょうか?

濵野氏 : 月額収益が順調に蓄積されていましたが、業界や市場でNo.1をねらうためには、積極的な投資が必要でした。一方で、当時のホットリンクは主力事業のSaaSビジネスやアメリカの事業にも投資をしていたので、中国事業に積極的に投資する余裕がなかったのです。

しかし、中国やインバウンドの市場に大きな可能性を感じていた私は、諦められませんでした。そこで、自分の資本を入れて分社化し、外部から資金を調達して事業を成長させようとしたのです。

ーー資金調達に際して、カーブアウトならではの難しさがあれば教えてください。

濵野氏 : カーブアウトの場合、親会社の資本も入っているため「投資をしても、親会社の事業資金に使われるのではないか」という懸念があり、投資家から敬遠されがちです。その点に関しては、ゼロから創業するよりは資金調達が難しいと思います。

私たちが最初の資金調達をできたのも、DNX  Venturesの倉林さん(倉林 陽氏)が投資を決めてくれたからです。倉林さんはSalesforce Ventures時代にホットリンクにも出資しており、内山とも繋がりがあったため、信頼して投資を決めてくれました。

倉林さんが投資を決めてくれたおかげで「倉林さんが投資するなら」と他の企業やVCも投資を表明してくれるようになったのです。

ーーゼロから創業するのとは、また違った難しさがあるのですね。これからカーブアウトする人たちに資金調達のアドバイスなどはありますか?

濵野氏 : カーブアウト企業への投資経験のある投資家を見つけるのが重要だと思います。たとえばシリーズCのリード投資を引き受けていただいたグロービスの高宮さん(高宮 慎一氏)はミラティブに投資しています。カーブアウトのメリット、デメリットを理解しているので、適切な助言をもらえました。

また、親会社との調整も欠かせません。会社を成長させていく上で、いつまでも連結子会社でいることは成長を阻害することもあります。そのため、親会社の持ち株を譲渡してもらうべきタイミングもあるのです。

私たちも2022年のラウンドCの調達にあたって、ホットリンクが持っていた私たちの株式の一部を譲渡してもらい、連結子会社から外れることになりました。ホットリンクの度量の大きさによるところもありますが、株式の譲渡によるホットリンクのメリットを提示してWin-Winの形を作れたことも大きかったです。

「新しい世界への架け橋となる」新社名に込めた想いとは

ーー先日、社名を「NOVARCA」に変更しましたが、その背景を聞かせてください。

濵野氏 : 新しい社名の「NOVARCA」は「新しい、新星」を意味する「NOVA」と「方舟、架け橋」を意味する「ARCA」を組み合わせたもの。つまり、新しい世界への方舟や世界中をつなぐ架け橋となる会社にしたいという想いを込めました。


たとえば私が留学していたオーストラリアは移民国家で、様々な国の人が交わることで素晴らしい化学反応を起こしています。そのような景色を日本にも広げ、ダイバーシティのある社会を築き上げたいと思っています。

あらゆる国の人が、国境を超えてもっと自由に交流できれば、国同士の対立も少なくできるのではと。大げさかもしれませんが、それが戦争のない平和な時代に繋がると思うのです。

ーーそのために、今後はどのようなビジネス展開をしていくのでしょうか?

濵野氏 : 祖業である中国の爆買い予測は、中国のデータを日本に持ってくるものでした。しかし現在の主力事業は、日本の商品をいかに中国でヒットさせるかという領域です。爆買いの牽引役である中国のソーシャルセラーたちを私たちのプラットフォームに入れることで、爆買いを予測するだけでなく、爆買いを再現するのが私たちの目標です。

また、今は中国に集中していますが、今後は世界に目を向け事業を展開するよう取り組んでいます。それも商品だけでなくデジタルコンテンツや人材も含めた流通です。Web3などの新しい技術によって、より世界が近くなっていく未来。そのような時代に日本企業が自由に海外でビジネスを展開できる環境やエコシステムを整えていきたいですね。

ーー改めて、スタートアップにおける中国の魅力も聞かせてください。

濵野氏 : アメリカを凌ぐ経済成長と巨大な市場に加え、日本と2時間で行き来できるという距離感も大きな魅力です。たとえばアメリカに進出するとなれば、移動だけで10時間以上かかりますが、中国ならすぐに行き来できますよね。

また、日本と中国では文化が違うとは言え、欧米に比べれば共通点も多くマネジメントしやすい点も大きな魅力です。様々な国が中国の市場を狙っていますが、距離や文化の近さでは、日本が大きなアドバンテージを持っていると思います。

ーー中国に進出する上でのアドバイスはありますか?

濵野氏 : 経営者自ら現地に足を運ぶことです。どんなに社員を送ってレポートを読んでも、テキストだけでは現地の雰囲気や文化の違いは理解できません。比較的日本に近い文化を持つ中国ですが、消費行動や根本の価値観は大きく違うため、それを理解していないとビジネスの失敗に繋がることもあるのです。

私自身も中国に進出したばかりのころは、遠隔でマネジメントしようとした結果、ミッションや理念を浸透しきれず失敗した経験があります。信頼して任せられるようになるまでは、経営者自らが足を運ぶべきですし、そうすることで意思決定のスピードも格段に上がるはずです。

ーー最後に、これから起業/カーブアウトを考えている方に向けてメッセージをお願いします。

濵野氏 : ビジネスというのは、いかにリスクをとるかが重要です。リスクがなければリターンもないため、適切なタイミングで踏み出す勇気がなければ成功はありません。しかし一方で、いかにリスクヘッジするかも重要です。

そう考えると、カーブアウトというのはリスクを取りながらも、ゼロから起業するよりはリスクを担保できる点で大きなメリットがあります。軌道に乗るまでオフィスや人材を使わせてもらうこともできますし、場合によっては親会社のブランドが活きることもあるでしょう。

大企業にいながら起業を考えている方は、そのメリットを考えながら、適切なリスクをとってください。

(取材・文:鈴木光平、撮影:加藤武俊)


Second Launchersシリーズ/連載一覧

第1回:出向起業で「医療データの国境をなくす」日揮を飛び出した理由とは?

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