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 成績Fの落ちこぼれ、建築家を目指す
―私の学生時代

 成績Fの落ちこぼれ、建築家を目指す ―私の学生時代

香月真大

 いつから建築家を目指したと言われると卒業間際なのでとても遅かった。

周りはほとんど進路を固めていて、成績も最下位に近い。

 大学4年でプロを目指していた競技テニスで大きな挫折をして、途方に暮れていた時に法政大学工学部の図書館で1冊の本に出会った。

 ル・コルビュジェ(著)前川國男(翻訳)の「今日の装飾芸術」であった。なぜかわからないが衝撃を受けた記憶がある。当時のパリはエコール・デ・ボザールを主体とした装飾芸術が建築にあるのは当たり前の時代。

 その時代に装飾芸術に反旗を翻して既成建築、既成概念、既成芸術に大して勇敢な挑戦の火ぶたを切った。人に与えられたレールの外を歩くのは決して楽な人生ではない。その生き方に恋焦がれてしまった。

 こんな人生を歩めたらと思い、そのときにコルのように闘う生き方がしたいと行動に出た。卒業間際に「おれ建築家になるわ」と言おうものなら馬鹿なんじゃないの?的な空気が正直あった。

 思ったら行動する。大学図書館の司書に告白するぐらい何も考えずに行動してしまう性格であった。はじめての設計事務所の経験(オープンデスク)が、伊東豊雄事務所だった。

 台中オペラシティの構造模型、仙台メディアテークのスタディ模型作成をしたが、そこではじめて建築の面白さを知った。伊東事務所所員はキラ星のごとく将来のスターアーキテクトがたくさんいた。ふつう諦める環境だと思うが、いつかこんな事務所を構えて、世界で闘えるようになりたいと思ってしまったのである。

 ただ成績はFでいまのままでは無理だ。そう思ってたまたま本で読んだ石山修武研究室の「建築家を育てる」、「落ちこぼれの味方になりたい」という言葉に惹かれて大学院を浪人して受験することにした。

 メールしても、電話しても出なかったので、面談で初めて巨匠と呼ばれる建築家にあった。「早稲田には伝統ってもんがあんだよ。なんで挨拶に来ない?礼儀を知らねぇのかばか」と言われたのが最初であった。

面接後に笑われながら「まだ30点だな。」言われた記億がある。

 奇跡的に合格し、大変な思いをしながら本当に多くのかけがえのない体験をさせてもらった気がする。

 当時研究室は大きな机を囲って対面式で打ち合わせをしていて、外部から来た人間は空いてる席に座るしかなく、手が飛んでくる隣の席しか空いてなかった。模型作ってたらスミに塗り残しがあり、おまえのここに全てが詰まってるんだ!とエルボーとタックルをベースに打撃指導された記憶がある。 

 平行して歴史家にも憧れがあったので鈴木博之先生に勝手に電話して、「朝早いけどいいか?」言われたが、現代建築史と近代建築史の授業を真ん前で聴講させてもらっていた。

 記憶にあるのは東大読書室は一般開放していて、申請すればまさかの巨匠達の手書きの卒論も手に取って見れた。伊東忠太の建築哲学、丹下健三の環境系の共著、岸田日出刀の監獄建築、なによりも前川國男の「コルビュジェ論」に感動した記憶がある。その後、パリに行きコルビュジェの門をたたくことで日本の近代建築が花ひらいたと言っても過言ではない。

 当時歴史家にも憧れがあった私は図書館や授業の後に、意気揚々と鈴木博之研究室に乗り込んだ。「どうやったら歴史家になれますか?」と聞いたら「とにかく書きなさい」という言葉を言われた。

 当時大学院試験で院浪したので1000冊ほど建築の本読んで、根拠のない自信があり、歴史家への憧れもあったが絶対この人には勝てないと思わされた。デスクトップは一杯で、ずっと立ってあちこち移動してるのが印象的だった。

 むろん後で勝手に鈴木先生の授業に出たことが石山先生にばれて、案の定こっぴどく怒られた。

 電話呼び出しの説教も3回食らい、打撃系のプロレス技をかけられ、さんざん怒られて正直死ぬかと思ったが…いまでも石山さんより怖い人には建築界では出会ったことがない。ここではかけないぐらい院生時代むちゃばかりして散々怒られたがチャレンジしなければ何も起こらなかった。

 まっとうに授業を受けてきた優秀な学生ではないので、あまり偉そうなこと言えないが学生時代では1つでもいいから何かきっかけをつかんでほしい。建築でなくてもいいから生涯をこういうことができたらいいなと思えるものにであってほしいと感じます。何かをはじめるのに遅すぎるなんてことはない。

 大切なのは学校の成績ではなく、そのあとのはるかに長い人生なので、後輩たちには、もがきながらやりたいことを見つけてほしいです。

[プロフィール]    

かつき まさひろ

香月 真大 2007年度卒業 安藤直見ゼミ

 

キュレーションアーキテクト

1984年 東京生まれ

2007年 法政大学工学部建築学科卒業

2011年 早稲田大学院建築学科修了

2012年 石山修武研究室、上海へ渡航後 

2016年 香月真大建築設計事務所/SIA(second international architecture) 設立

香月真大SIA一級建築士事務所

SIA一級建築士事務所

代表取締役

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