「BAKは、オープンイノベーションの予備校だ」――オープンイノベーション挑戦者である江ノ電が愛知のスタートアップと生み出した『mini-ichi』が湘南エリアの”食”を盛り上げる
2023年2月、江ノ島電鉄の江ノ島駅と藤沢駅に冷蔵庫が設置された。その名も『mini-ichi(ミニイチ)』。冷蔵庫のなかには、その地域ならではのスイーツやチーズ、コーヒー、ジャム、野菜などが並んでいる。実はこの冷蔵庫、湘南エリアで鉄道事業を展開する江ノ島電鉄と、愛知発のスタートアップであるどんぐりピットが、「BAK NEW NORMAL PROJECT 2022」という神奈川県主催の共創プログラムを通じて形にしたものだという。
2023年度も開催されている「ビジネスアクセラレーターかながわ(BAK・バク)」とは、神奈川県内に拠点を持つ企業とスタートアップ・ベンチャー企業による事業創出や、オープンイノベーションに向けたコミュニティ形成を目指す事業のこと。その活動の一環として、2022年度に開催されたのが「BAK NEW NORMAL PROJECT 2022」だ。
神奈川県内の企業がホスト企業となり解決したい課題を提示。それに応募した企業とともに、パートナーシップを組んで新たな事業創出を目指す。『mini-ichi』の例だと、江ノ島電鉄がホスト企業、どんぐりピットが応募企業ということになる。
「BAK NEW NORMAL PROJECT 2022」で出会った両者は、どのように『mini-ichi』をローンチさせたのか。現時点での成果や今後の展望は。また、「BAK」に参画することで得られたメリットとは。江ノ島電鉄とどんぐりピットのプロジェクトメンバーに、詳しく話を聞いた。
神奈川県のOIプログラム「BAK」を通じて出会い、共創へ
――神奈川県主催のオープンイノベーションプログラム「BAK」を通じて、『mini-ichi』というシェア冷蔵庫を江ノ島電鉄の駅に設置されました。そこに至るまでの経緯についてお聞きしたいのですが、両者はどのような背景や課題感から、BAKに参加しようとお考えになったのでしょうか。
江ノ島電鉄・関口氏: 当社が事業展開する湘南エリアの地域課題として、もともと道路渋滞やオーバーツーリズムがあり、市民生活への影響が深刻でした。しかし、BAKへの参加を決めた2022年の春頃は、コロナ禍の影響で移動の需要が大きく損なわれ、当社においても輸送人員が2021年度はコロナ前と比べて約3割減という状況。ですから、地域課題と自社課題を照らし合わせて、「この湘南エリアに、どう賑わいと回遊を仕掛けるか」を大きなテーマに掲げ、BAKに参加することにしました。
▲江ノ島電鉄株式会社 経営管理部 課長 関口 純 氏
――パートナーの募集にあたり、共創テーマとして「移動自体のコンテンツ化」「農漁業・食産業の付加価値向上」「賑わいを生み出す地域づくり」の3点を提示されました。
江ノ島電鉄・関口氏: 「江ノ電らしさを存分に活かせるか」を意識して、この3つの共創案を提示しました。「江ノ電らしさ」というのは、たとえば当社が公共交通の中でも特徴的な「遊び心」「非日常感」「多彩な特色、風景」などです。その結果、約60件の応募をいただくことができ、リアルでの面談なども行ったうえで、どんぐりピットさんと一緒に取り組むことに決めました。
――数ある応募のなかから、どんぐりピットさんと取り組むことに決めた理由は?
江ノ島電鉄・三田氏: 江ノ電はリアルな移動を提供しています。実際にお客さまを運ぶというリアルな接点を持っていることが特徴なので、やはりお客さまや地域の皆さんと、リアルな接点を持てる提案には惹かれました。デジタル技術を用いた提案は非常に多くありましたが、選考に残ったのはリアルと関わる提案ばかりでしたね。そのなかで、どんぐりピットさんからは、当初より具体的な提案をしていただけたので、私たちも選考の段階から想像を膨らませることができ、そうした点が決め手になりました。
▲江ノ島電鉄株式会社 経営管理部 課長補佐 三田 諒子 氏
江ノ島電鉄・関口氏: 加えて、この地域との長期的な関係を構築するために、実証実験だけで終わらず継続した事業にできるか、しっかりとマネタイズできるかにも留意しました。また、鉄道会社はどうしても受発注の関係になりがちです。しかし、どんぐりピットさんの提案は、私たちもそのアイデアに関われる隙がありそうでした。受発注ではなく共創の関係性を構築できそうだと感じられたのです。
――どんぐりピットの鶴田さんは、なぜBAKに参加しようと思ったのでしょうか。
どんぐりピット・鶴田氏: 私たちどんぐりピットは、愛知県を拠点に活動するスタートアップで、愛知県が運営するインキュベーション施設「PRE-STATION Ai」に入居しています。その運営担当者からBAKを紹介してもらい、募集内容を見て「江ノ電さんの課題感は、私たちのサービスとマッチするのではないか」と考え、応募をすることにしました。それまでは愛知県内でしか実証をしたことがなく、県外での実証はまだだったので、BAKをきっかけに神奈川県へと進出できればという期待もありました。
▲どんぐりピット合同会社 CEO 鶴田 彩乃 氏(※インタビューにはオンラインで参加)
――県外初進出とのことですが、知らない土地に挑戦することに対する不安はありましたか。
どんぐりピット・鶴田氏: 不安はありました。私たちの提供する『mini-ichi』は、モノを売るという形ではありません。地域内のサービスプラットフォーマーとして、住民の方や店舗の方と密に協力しながら進めていくことが求められます。全くつながりのない地域や行政と一緒に実証をはじめることは、当社にとって非常にハードルが高い。そういった意味でも今回、江ノ島電鉄さんと一緒に進められる点は魅力的でした。
――さきほど江ノ島電鉄の三田さんから「具体的な提案をもらえた」とお話がありました。提案に具体性を持たせるために工夫されたことは?
どんぐりピット・鶴田氏: 昨年度のBAKは7月に仮エントリー、8月下旬にプレゼンというスケジュールだったので、お盆休みにどんぐりピットのメンバー4名で、江ノ電の沿線を見て回り、実際に江ノ電にも乗って地域性を調べました。鉄道の規模感や住宅地との距離、無人駅の存在などを確認し、「この場所だったら、こういうことができそうだ」と妄想を膨らませていきました。それが具体的な提案につながったのかもしれません。
三田さんが「リアルな接点」というお話をされましたが、どんぐりピットが大事にしているのも、まさにそこです。コロナ禍や便利なアプリによって、人と人が直接会って話す機会が減っていますが、だからこそ直接的な接点を持つことが重要なのではないでしょうか。ですから提案は、人の情が伝わるような内容でまとめました。
コンセプトメイクからローンチまで、ワンチームで走り切った6カ月
――2022年の夏頃、共創に取り組むことに合意され、プロジェクトを開始されました。そこから2023年2月の『mini-ichi』設置まで約6カ月。両者でどのようにプロジェクトを進めてこられたのでしょうか。
どんぐりピット・鶴田氏: 採択決定後、まずターゲット設定を中心に行いました。「誰にどのような価値を提供するのか」「それによって地域がどうなっていくのか」を改めて議論し、事業計画を作成。想定ターゲットは近隣住民で、「食」は女性のほうが感度が高いので30代女性に設定しました。「仕事帰りにちょっと贅沢したい」「地元の食について知りたい」といったニーズに応えるイメージです。
また、愛知では私たちのサービスを「シェア冷蔵庫」というネーミングで展開していますが、サービス名がなかったので、これを機に『mini-ichi(ミニイチ)』と命名。サービスのブランドイメージを固めていきました。それと並行して今回、ハードもつくり変えたので、ハード面の技術開発を年内に行いました。
▲事前にWEB上で会員登録を行い、クレジットカードなどの決済方法を登録。するとQRコードが表示される。『mini-ichi』のタッチパネルで商品を選択してQRコードをかざすと、決済が実行されると同時に冷蔵庫が開錠される仕組みだ。(参考ページ)
江ノ島電鉄・関口氏: 事業の方向性が決まった後、私たちのほうでは出品者へのアプローチを開始。前例があまりないサービスなので、出品者に対する説明には苦労をしましたが、ご提案した店舗のうち約7割に参加いただくことができました。この点は、これまでの当社の地域連携を通じて築いた関係性が活きたと感じています。それに、コンセプトメイクから一緒に取り組んだからこそ、私たちも説明に力がこもりました。時々「自分たち、どんぐりピットの社員なんじゃない」と思うぐらい、相当な時間をかけて一緒に練りあげましたから(笑)。
――両者の拠点に物理的な距離がありますが、どのようにコミュニケーションをとられたのですか。
江ノ島電鉄・関口氏: リアルでコミュニケーションを取らなければいけない場面ではリアルで、足りないところはオンラインで補うという形です。実際、私たちも名古屋の「PRE-STATION Ai」に2回ほど行き、話を詰めたこともありました。BAKは神奈川県さまの支援を頂いているからこと、締切のあるプロジェクトなので、予定通りに進んでいないときには「今週行くから待ってて」という勢いで行ったこともありましたね(笑)。
江ノ島電鉄・三田氏: それに『mini-ichi』の稼働開始は2023年2月でしたが、直前の約3カ月間はどんぐりピットの皆さんが実際に藤沢に滞在されて、一緒に準備をしてくださいました。初回のお盆の頃には見えていなかったエリア特性や、独自の雰囲気も感じ取っていただき、よりこの地域に理解を深めてもらえたと思っています。
――藤沢市に長期滞在されたとは驚きです。本業もお持ちだと聞いていますが、どうされたのでしょうか。
どんぐりピット・鶴田氏: 本業をリモートワークにして、藤沢市内にマンスリーマンションを借り、どんぐりピットのメンバー4名で約3カ月間滞在しました。昼間は本業の仕事を行い、業務終了後、こちらのプロジェクトに集中するという形で進めました。
登録者数600名超、地域との新たな関係性など、社会実装後の成果
――2月のローンチ後、どのような成果が出ていますか。また、周囲の反応はどうですか。
どんぐりピット・鶴田氏: 30代女性をターゲットに設定しましたが、購買履歴を見ると40代・50代のご利用も多く、想定していたよりも幅広い層に使ってもらえています。今は愛知に戻っているのですが、ゴールデンウイーク中に江ノ島へ遊びに行った友人が、「mini-ichiが置いてあったよ」と連絡をくれました。認知度が少しずつ高まってきたと感触を得ています。
――出品者の皆さんからの反応はいかがでしょうか。
江ノ島電鉄・三田氏: 計画段階では「駅で売れることや無人で売れることにメリットを感じていただけるのでは」と想像していました。しかし実際、プロダクトを出してみてから出品者の方に話を聞くと、「イベント出店中などお店を閉める時間帯は、mini-ichiに出してお客さまに案内することができる」や「お店を閉めた後に、mini-ichiに商品を持っていけるので便利」という声などを頂戴しています。活用の仕方はさまざまですね。
――購入者の皆さんの反応や、今の売れ筋についてはどうですか。
江ノ島電鉄・三田氏: 冷蔵庫の前でチラシをお配りしたときに「このお店、以前は頻繁に購入していたのですが、最近なかなか行けなくて…ここで買えてよかったです!」という嬉しい声をいただきました。行きたかったお店の商品を駅で買える点が、メリットのひとつになっているようです。
▲江ノ島駅に設置されている『mini-ichi』。
――関口さんは、本共創プロジェクトの成果をどう捉えておられますか。
江ノ島電鉄・関口氏: 冒頭で事業の継続性のお話をしましたが、現時点でも事業が続き、なおかつマネタイズもできていることは、大きな成果だと捉えています。会員登録数は鶴田さんからご紹介があった通りですが、地域の出品者数は13社。その方たちと今でも今までの送客活動から一歩踏み込んだ関係性を構築できつつあることは、非常によかったと感じています。
――今後の展望については?
どんぐりピット・鶴田氏: 検証すべき項目はたくさん残っているので、引き続き江ノ電さんと一緒に本事業を続けていきたいと思っています。また、『mini-ichi』は地域内で複数台設置しないと効果は得にくいため、パートナーをもっと開拓して設置場所も駅以外にも広げ、「食」をきっかけにこの地域を盛りあげていきたいです。
江ノ島電鉄・関口氏: この共創は長期戦だと思います。今回はどんぐりピットさんとの共創でもあるのですが、同時に出品者さんとの共創でもあります。お叱りをいただくこともありますが、出品を辞めずに声を上げてもらえるのは、このビジネスに本気だからこそ。厳しい声が次のイノベーションにつながると思うので、引き続き出品者さんとも一緒に、よいサービスへと育てていきたいです。
江ノ島電鉄・三田氏: 今後は『mini-ichi』の登録者も含めて、本プロジェクトに携わっている皆さんにもう一歩ずつ寄り添い、『mini-ichi』をきっかけにコミュニティを盛り上げられるような仕組みを考えていきたいですね。
BAKは共創の進め方を学べる、「オープンイノベーションの予備校」
――BAKに参加してみて感じた「よかった点」「うまく活用できた点」について教えてください。
どんぐりピット・鶴田氏: BAKのよい点は、行政の職員の方もプロジェクトに入り込み、ワンチームとなって走り切る点だと思います。補助金という金銭的な支援に加えて、人の部分でもサポートしていただける。実際、出品者向けの資料は、神奈川県の職員の方が協力してくれました。私たちスタートアップはマンパワーも不足しているので、そうしたサポートは非常に助かりました。
また、BAKの交流会が何度か開催されたのですが、BAKに参加している他のプロジェクトメンバーと横のつながりができました。実際に交流会を通じて出会った他の企業さんとも、話がいくつか進んでいます。これはビジネスを拡大するうえで、プラスになった点のひとつです。
江ノ島電鉄・関口氏: BAKに参画を決めた当時、コロナ禍による売上減少から何か新しい事業を生み出さねばならない状況でした。それまで一過性のイベントは得意でしたが、継続性のある新しいビジネスモデルをつくった経験は少なく、ノウハウもありません。「もうオープンイノベーションを使うしかない」という状況でBAKに参加したのですが、参加前、オープンイノベーション初心者の私たちから見て、分からないことが3つありました。
――その3つとは?それぞれに対するBAKの支援内容もお聞かせください。
江ノ島電鉄・関口氏: 「何をしたらいいのか分からない」「誰としたらいいのか分からない」「どのようにしたらいいのか分からない」の3つです。1つ目の「何をしたらいいのか分からない」に関してですが、最初にBAKの運営を担うeiicon担当者や神奈川県職員の方と課題の言語化を行いました。何が課題で、どのようなアイデアを求めていて、どんなパートナーと組みたいのか。それらを明確にすることで、オープンイノベーションで何をしたらいいのかが明確になりました。言語化したものを記事として外部に発信できたこともよかったですね。発信によって、社外だけではなく社内の人たちの本取り組みへの理解も深まったと感じています。
2つ目の「誰としたらいいのか分からない」に関してですが、BAKを通じて約60件の応募がありました。そのうち40件超は県外企業です。当社は湘南エリアの会社ですから、単独でプログラムを開催したとしても、これだけの応募を集めることは難しかったでしょう。その60件から選考を進めるにあたり、新規性や市場性など審査基準のアドバイスをもらい、きちんとフィルターをかけて選考することができました。eiiconの担当者や県職員に伴走してもらえたからこそ、短い期間で決め切れたのだと思います。
3つ目の「どのようにしたらいいのか分からない」も同様で、プログラム期間中半年間伴走してもらえたので、短期間でここまで走り切れました。また、BAKに同時期に取り組んだ企業のみなさまとは、情報共有や勉強会を通じて多くのことを共に共有し、悩み、励ましあったことで、今回の実証事業を作り上げられたと思っています。そういう意味では、オープンイノベーションの予備校のような感覚で、今回のプログラムを使わせてもらいましたね。
江ノ島電鉄・三田氏: たしかに、eiicon担当者のアドバイスはすごく心強かったです。どんぐりピットさんと当社だけだと、どうしても事業者目線になりがちですが、一歩離れた目線でフィードバックをもらえました。
――BAKは2023年度も、同様の共創プログラムを開催します。今年度のプログラムに参画を検討中の神奈川県内企業、およびスタートアップ・ベンチャーに向けて、メッセージやアドバイスをお願いします。
どんぐりピット・鶴田氏: 金銭的な支援がありますし、サポートも充実しています。私たちのような社員4名のスタートアップでも、最後まで走り切ることができました。「やりきれるだろうか」という不安はあると思いますが、想いが途切れなければ何とか乗り越えられます。ですから、まずは挑戦してみるとよいのではないでしょうか。
江ノ島電鉄・三田氏: 約60社からご応募いただいて、BAKを通じて10社以上と会う場をセッティングしてもらい、議論をすることができました。実際に会えたことが、非常によかったと思っています。ですから、今後BAKに参加される皆さんも、ぜひリアルに会うことをお勧めします。
江ノ島電鉄・関口氏: 私も実際に会ってみることが大事だと思います。当社のようなオープンイノベーション初心者だと、アイデアの優秀さだけではなく、そのベンチャー企業との相性も重要です。その人がどんなことを目指していて、どのようなマインドで取り組んでいるのか。それをよく理解して「応援したい」という気持ちが湧き出てこなければ、共創はうまくいきません。また、得意分野と苦手分野も、会ってみなければ把握しづらい。リアルに会って相互理解を深めてから、共創を開始するほうがよいと思います。
取材後記
取材時に1枚の写真を見せてもらった。江ノ島電鉄、どんぐりピット、神奈川県、eiiconのメンバーが、どんぐりピットの同じジャンパーを着て、ローンチ直後の説明会に挑んでいるものだ。立場の違う4者がワンチームとなって駆け抜けた様子が、ありありと伝わってくる1枚だった。こうした手厚い協力体制は、BAKならではなのかもしれない。なお、ちいさな楽市楽座『mini-ichi』は現在も、江ノ島電鉄の江ノ島駅と藤沢駅の改札付近に設置されている。そのエリアならではの魅力的な商品が、冷蔵庫のなかに並んでいるので、ぜひ購入してみてほしい。
※「BAK2023」は、<大企業提示テーマ型>(早期締切:2023年6月30日)と<ベンチャー発自由提案型>(応募締切:2023年7月28日)の2つの方法で募集を行っています。詳細は以下リンクをご覧ください。
https://bak.eiicon.net/incubationprogram2023
(編集:眞田幸剛、取材・文:林和歌子、撮影:加藤武俊)