画像解析AIで医療・創薬を変革 ー東大発ベンチャーの成功譚
近年、大きな注目を集めている「Deeptechスタートアップ」。国内のスタートアップを牽引していたウェブサービスやアプリなどをはじめとするIT系のビジネスとは違い、革新的な技術や発明を武器に急成長を遂げるケースが増えている。起業家の特色を見ても、大学教授や医師など、これまではあまり見られなかったバックグラウンドが目立つ。
しかし、今後の活躍が期待されている一方で「とっつきにくさ」を感じている方もいるのではないだろうか。「技術を見ても、どうすごいのか判断できない」「どの領域が盛り上がっているのかわからない」と思っている方もいるだろう。そんな方に向けて、Deeptech業界の有識者や起業家たちの話を届けるのがシリーズ企画「Deeptech Baton」だ。
第五弾で紹介するのは、AI画像診断支援技術「EIRL(エイル)」や創薬を支援する画像解析AI「IMACEL(イマセル)」を開発する東大発ベンチャー・エルピクセル株式会社。代表の島原佑基氏は大学院を出た後に大手ゲーム会社に就職を果たすも、その直後に研究室のメンバー3名で同社を創業した。
第一三共やキヤノンメディカルシステムズなど、数々の大企業との提携実績があり、医療・創薬業界で大きな注目を集めている。今回は島原氏に起業の経緯とオープンイノベーションを成功させるポイントについて話を聞いた。
「医療・製薬×AI」の専門的知識を兼ね合わせた問題解決力が強み
ーーまずは事業内容について教えてください。
島原氏 : 私達が提供しているのがAIを活用したバイオイメージインフォマティクス、つまりは生物画像解析技術です。医療、製薬などのライフサイエンス分野などで用いられる大量の画像を、AIを用いて解析し業務の効率化に貢献しています。
たとえば医療分野では、CTやMRIで2,000枚ほどの画像を簡単に撮れるようになったことで、診断の質が格段に飛躍しました。しかし一方で、医師はその大量の画像をチェックしなければならなくなり、負担も大きくなったのです。私達のソフトを使うことで、より正確で、効率的な診断ができる環境を目指しています。
また、製薬の世界でも、顕微鏡を覗きながら細胞の状況を確認しなければならない業務があります。それも細胞画像を撮影してAIを使って判断することで、細胞の形状等の情報を自動で定量的な解析ができるようになるのです。
ーー最近はAI企業も多数存在しますが、その中でどのような優位性があるのでしょうか。
島原氏 : ライフサイエンスの知見を持っていることです。たしかにAIの技術を持っている企業は多いですが、AIはあくまでツールに過ぎません。顧客が何を実現したいのか、そのためにAIをどのように活用すればいいか考え、設定するのは人間にしかできない仕事です。
私達のクライアントは、製薬企業など専門的な知識を求められる企業ばかり。そんなクライアントの課題を引き出し、現場に合った解決策を提示するには、私達自身も同等の知識がなければなりません。AIの技術を持ちながら、生物学者の観点で問題発見をし、問題解決もできることこそ、他社にはない強みだと自負しています。
ーー具体的に研究者とどのようなディスカッションをするのか教えてください。
島原氏 : AIを育てるには大量のデータが必要になりますが、どんなデータでもいいわけではありません。顧客の要望を聞きながら、解決したい問題を明確にします。開発すべきAIが明確にした上で、どんなデータが必要で、それをどのように集めればいいのかすり合わせするところから私達の仕事は始まります。
そのため、顧客の話を鵜呑みにするのではなく、AI×製薬の知識を持ち合わせて提案するだけのディスカッション能力が求められます。そのような人材を集め育てていることこそが、他社にはない強みだと思います。
「いつか歴史に名を残したい」少年の頃の夢を実現するため起業へ
ーー島原さんが起業を考えるようになったきっかけを聞かせてください。
島原氏 : 小さいころから偉人の伝記を読むのが好きで、どうせなら歴史に名前を残すようなことをしたいと思っていました。大学で生物学の道に進んだ私は、21世紀は「車を作るように生物をエンジニアリングする時代が来る」と考え、その実現のために起業しようと考えるようになって。
そのため、研究室の同期が研究職の道に進む中、私はビジネスの道に進みました。会社は3年ほどで辞めようと思っていたので、スピードを持って成長できること、グローバルでの経験ができるという条件で会社を探し、就職したのがゲーム事業で急成長していたグリーです。
ーー随分と違う道に進んだのですね。
島原氏 : 当時はゲーム業界が急成長しており、日本の「失われた20年」を取り戻すことができると思っていて。海外にも積極的に進出していたので、将来はグローバルで勝負したいと思っていた私にとって絶対に有益な経験ができると思ったのです。
実際に入社を決めてからの内定者インターンでは、事業戦略本部にてリサーチ業務を担当しました。正社員として入社して配属されたのは人事部。社内制度の改定やコスト削減など幅広く経験させていただきました。しかし、会社の方針が変わり、グローバル拠点を立て続けて閉鎖することになり、入社理由であった「グローバル経験を積むこと」は達成できない状況になったため、1年で他社の海外事業開発部に転職することにしたのです。
ーー当時はまだ起業を考えていなかったのですか。
島原氏 : 明確には考えていませんでしたが、次の会社で働き始めるまでの1ヶ月間で起業の勉強をしようと思い、東大の起業家育成プログラムに参加しました。そのプログラムを通して起業の意思も固まり、研究室の助教授と先輩と3人でエルピクセルを立ち上げたのです。
ただし当時は副業で、就業後や週末の時間だけを使った趣味程度の活動でした。しかし、すぐに顧客も増え、副業では手に負えなくなった私は会社を辞めて、フルコミットせざるを得なくなったのです。
ーースムーズに事業を軌道に乗せられたのですね。
島原氏 : 事業の軸となる技術は大学時代にしていた研究ですし、AIによる画像解析の需要は高まっていたので。私がいた研究室は共同研究も多く、当時からビジネスに繋がる研究をしていたのもスムーズに起業できた要因だったと思います。
ーー当初はどのような事業でスタートしたのでしょうか?
島原氏 : 今も会社の売上の柱となっている製薬業界向けのAIサービスです。受託モデルなので確実に利益を残せますし、その利益を基に自社サービスの開発に着手できると思って。
事業が軌道に乗ってからは、受託サービスと自社サービスのバランスを非常に重視していて、利益の分配について毎週議論していました。
「大企業の時間軸に合わせすぎない」共創を成功させるのに必要な自主性
ーー様々な大企業との共創実績がありますが、大企業と組む際に意識しているポイントを聞かせてください。
島原氏 : 最も重要なのは、熱意を持った担当者に出会うこと。どんなに企業が共創に前向きであっても、担当者に熱意がなければ共創は成功しません。そのため、一時はマッチングイベントやピッチイベントにも積極的に参加し、そのような担当者を探し回っていたこともあります。
また、実際にプロジェクトが始まったら、相手のスタンスを理解することも重要です。私も大企業にいたのでわかりますが、担当者がどんなに熱意を持っていても、何でも決められるわけではありません。そのため、担当者がどうしたら上司を説得できるのか、一緒にストーリーを考えたり、必要な資料などを作るなどのケアが必要です。
ーー大企業とスタートアップでは時間軸が違うこともよく問題として取り上げられますが、そのような問題にはどのように対処しているのか教えてください。
島原氏 : 大企業とスタートアップで時間軸が違うのを前提に考えた上で、自分たちができることを考えることです。大企業の「ちょっと待って」は1ヶ月になることもありますが、スタートアップが平気で1ヶ月も待っていたらすぐに死んでしまいます。
大企業に待ってと言われて、ただ待っているだけでは共創ではありません。大企業が何に困っているのか聞き出し、場合によっては現場に行って課題を見つけたり、必要ならソフトウェアを作って業務を効率化したり。スタートアップから提案して大企業の問題を解決する姿勢が必要だと思います。
ーー提案することで、大企業のスピードも上がるんですね。
島原氏 : その時に重要なのが接点を複数持っておくこと。担当者としか接点を持っていないと、担当者が忙しくなるとプロジェクトが止まってしまいます。その時に上司や経営層を巻き込めていると、再びプロジェクトを動かしやすくなります。
一緒にプロジェクトを進めるのは現場の担当者ですが、いざという時のために経営層との信頼関係も築いておけるといいですね。
グローバルを目指す製薬AIと、国内での普及を急ぐ医療AI
ーー今後の事業展開についても聞かせてください。
島原氏 : 製薬AIに関しては、これまでの取り組みをより拡充していきたいと思っています。たとえば第一三共さんと包括契約を締結しました(※)が、そのような取り組みをさらに広げていきたいですし、国内だけでなく海外にも進出したいですね。
そのためには海外にチームを作り、現地との交流を深めていかなければなりません。製薬業界はボストンが中心地になりつつあるので、支社を作り現地の展示会などにも積極的に参加できるようにしたいです。逆に言えば、テクノロジーに国境はないので、しっかり現地のエコシステムに参加することでグローバルに展開できるはずです。
※参考:2022年7月20日発表 プレスリリース
ーー医療AIについてはいかがですか?
島原氏 : 製薬AIとは違い、国内でいかに普及させるかが今後の課題です。私達が医療AIとしては国内初の承認を得てから3年が経ち、今は機運も高まってきました。
医療は社会制度とも密接に関連しているため、イノベーションを興すのに非常に時間がかかります。以前、お世話になっている社長に「医療ビジネスで社会を変えるには20年は覚悟しろ」と言われてピンときませんでしたが、最近はあながち間違いではなかったと思うようになりました。
20年とは言いませんが、10年後には医師の役割が変わるようなサービスに成長させたいですね。
ーー医師の役割が変わるとは?
島原氏 : わかりやすいところでは、ダブルチェックを医師がやる必要がなくなります。医療はミスが許されない世界なので、ミスを防ぐために2人でチェックしていますが、両方がミスをしない可能性はゼロにはできないでしょう。
これ以上医師の数は増やせず、高齢者が増え、医療の検査数も増えていけば、今の仕組みでは医療が破綻するのは目に見えています。それならチェック作業などをAIに置き換え、医師はもっとやるべきことに集中できる環境を作りたいと思います。
AIが医師に完全に置き換わることはありませんが、医師の業務の一部をAIに置き換えることは可能です。AIができる業務はAIに置き換えることで、医師は患者とのコミュニケーションや、複数の選択肢の提示など、よりクリエイティブな仕事に集中できる環境を提供できればと思います。
ーーそれにより、医療を受ける私たちはどのようなメリットを教授できるのでしょうか。
島原氏 : 単純に検査の質が上がるので、病気などで助かる人は増えます。また、単に命が助かるだけでなく、病気を早期発見することで身体へのダメージや治療も減らせるでしょう。それによってQOLの向上が期待できるのではないでしょうか。
加えて、現在は医療のDXも進み、電子カルテが標準化しつつあります。今後、様々なデータが連携されるようになるので、患者個人に最適な生活改善や治療計画の計画を立てられるのです。私達のAIが時系列で多様なデータを分析をすることで、より精度の高い検診が可能になりますし、治療方針にも納得感が生まれるでしょう。
これまで医師に任せっきりだった医療から、患者主体で考える医療が時代のトレンドになっています。そのなかでAIへの期待は大きく、より重要度が増してくると思っています。
(取材・文:鈴木光平、撮影:加藤武俊)
■連載一覧
第2回(前編):細胞培養の常識を変える「培地」開発技術
第2回(後編):細胞培養の常識を変える「培地」開発技術
第3回:「iPS細胞の実用化の鍵」を開発ーーときわバイオに迫る