「iPS細胞の実用化の鍵」を開発――ときわバイオに迫る
近年、大きな注目を集めている「Deeptechスタートアップ」。国内のスタートアップを牽引していたウェブサービスやアプリなどをはじめとするIT系のビジネスとは違い、革新的な技術や発明を武器に急成長を遂げるケースが増えている。起業家の特色を見ても、大学教授や医師など、これまではあまり見られなかったバックグラウンドが目立つ。
しかし、今後の活躍が期待されている一方で「とっつきにくさ」を感じている方もいるのではないだろうか。「技術を見ても、どうすごいのか判断できない」「どの領域が盛り上がっているのかわからない」と思っている方もいるだろう。そんな方に向けて、Deeptech業界の有識者や起業家たちの話を届けるのが新シリーズ「Deeptech Baton」だ。
第三弾で紹介するのは、最先端の遺伝子治療やiPS細胞を使った再生医療に欠かせない「遺伝子をヒトの細胞に効率良く導入し、安全に発現させる技術」を開発しているときわバイオ株式会社。世界最高水準の研究開発を行う産業技術総合研究所(産総研)発の技術を用い、医療の常識を覆す事業を展開している。
今回話を聞いたのは、同社の創業者で代表の松﨑正晴氏(下写真中央)に加え、創業者でコア技術の研究を行う中西 真人氏(下写真右)、同社初のビジネス人材としてジョインした三品聡範氏(下写真左)の三名だ。研究開発型のスタートアップのリアルを余すことなく語ってもらった。
細胞研究分野のスペシャリスト2人がタッグを組んで起業
ーーまずは松崎さんの経歴から聞かせてください。
松崎:私が社会に出たのは1980年のこと、検査センターでがん診断の研究をしていました。検査センターは全国の病院から送られてくる患者の方の血液を分析し、その結果を病院に返す仕事です。1990年代に入ると、遺伝子治療や細胞治療が行われるようになって、遺伝子治療用ウイルスベクターの安全性試験をルーチン化したり、検査センターの輸送網を利用して送られてきた血液細胞を社内のCPCで活性化し、再びパックして病院に戻す、検査センターにとっては新規のビジネスも検討しました。
そこで出会ったのがリンパ球の治療や幹細胞といった最先端の治療法です。そのころから細胞治療の事業化に興味を持ち始めたのですが、当時はリスクのほうが大きく事業化には至らず、その後は大手商社に入り、分子診断や再生医療の産業化をサポートしていました。いつかは安全な遺伝子治療や細胞治療を実現したいと思った時に知ったのが、当時産総研にいた中西の研究だったのです。
彼は自身が研究していた「ステルス型RNAベクター」を事業化するにあたり、経営者を探していました。そして、知人経由で紹介された私に白羽の矢が立ったのです。彼の研究を使えば、念願だった安全な遺伝子治療や細胞医療を実現できる。そのような想いから、2014年に設立したのがときわバイオです。
▲ときわバイオ株式会社 代表取締役 松﨑正晴氏
1980年信州大学院農学研究科修士課程修了後、株式会社エスアールエル入社、1998年まで在籍。1994年岐阜大学大学院農学研究科博士課程修了。1995年に遺伝子治療・細胞治療の安全性試験の事業化や細胞加工センターを設立しその運営をおこなったほか、2000年にはBDクロンテックとして遺伝子解析、蛋白質解析の研究所(BLUE Genes)を創設、神戸先端医療センターのトランスレーショナルリサーチなどに参加。2014年12月ときわバイオを設立。
ーー中西さんはなぜ、事業化を進めようと思ったのでしょうか。
中西:私が産総研で研究していた当時、幹細胞を保管する「iPS細胞バンク」から私の技術を採用したいという話を頂いたのですが、契約を結んだ上で対価を受け取ることが条件でした。しかし、産総研は国の機関のため対価を受け取ることはできません。先方はぜひ使いたいと希望し、我々は無料で提供してもかまわないと伝えたのですが、それでは契約できないということで話がまとまりませんでした。
産総研として契約できないなら、会社を作るしかない。そう思ってJST(科学技術振興機構)の大学発新産業創出プログラム「START」に応募したところ採択され、その延長で法人化することになりました。しかし、私はキャリアの全てを研究に捧げてきた身。経営ノウハウなど持ち合わせていません。
そこで経営を任せられる方を探したのですが、なかなか見つからなくて。経営をしたい方は大勢いますが、実際に経営ができる優秀な方は既に企業で活躍しています。そんな中、STARTプログラムで組んだVC経由で紹介されたのが松崎さんです。彼の経歴や想いを聞いて、一緒に研究を事業化したいと思ったのです。
▲ときわバイオ株式会社 取締役 中西真人氏
国立研究開発法人産業技術総合研究所(以下、産総研)名誉リサーチャー。1983年大阪大学大学院理学研究科を修了。大阪大学細胞工学センター助手、大阪大学微生物病研究所助教授を経て2001年より産総研に移り、2015年より現職。RNAを使って細胞質で持続的に遺伝子発現を可能にする世界で唯一の技術を開発し、2014年12月ときわバイオを設立。
最先端医療を実現させる、革新的な遺伝子の乗り物を発明
ーー改めて、中西さんが開発した「ステルス型RNAベクター」について教えてください。
中西:例えば、みなさんが打っているコロナワクチンは、ウイルスのタンパク質をつくるもとになる遺伝情報の一部(RNA)を注射することで、ウイルスに対抗する免疫を作るという仕組みです。しかし、この遺伝情報だけを身体に打ち込んでも実は効果がありません。
遺伝情報を運び、体内で機能するように発現させる乗り物「ベクター」が鍵となるのです。これまでのベクターは効果が一時的だったため、持続的に治療効果を出すには定期的に注射を打ち続けなければなりませんでした。
しかし、最先端の遺伝子治療では持続的に遺伝子を発現し続けたり、より大きな遺伝子を載せられるベクターが必要になります。私が開発したベクターは、そのような最先端の医療で求められる性質を持ち合わせているのです。
ーー遺伝子そのものではなく、遺伝子の乗り物を開発したのですね。
中西:はい。従来のベクターと大きく違うのは、DNAではなくRNAを使った点です。DNAを使うと、私達の身体にある染色体DNAが間違って傷がつくリスクがあり、がんを発症してしまう原因にもなりえます。
RNAを使えば、そのようなリスクを避けて、より安全に遺伝子治療が可能になるのです。
また、多くの遺伝子や、大きな遺伝子を運ぶことが出来るのも、従来のベクターにはできない大きな特徴です。
ーーその技術を使うことで、医療の現場にどのような変化が生まれるのでしょうか?
中西:遺伝子治療の分野では、これまで治療のために定期的に注射を打たなければいけなかった人が、一回の注射で済むようになります。
また、なんといっても期待されているのはiPS細胞の実用化です。2012年にノーベル賞を受賞したiPS細胞ですが、未だに実用化に至っていません。その理由はiPS細胞を作り出す4種類の遺伝子を、これまでは別々に打ち込んでいたため発現率が低かったからです。
私達が開発している新しいベクターなら、6種類の遺伝子を一度にベクターに搭載できるため、iPS細胞の作製効率を飛躍的に向上させることができます。そのため、これまでは困難だと考えられてきた「患者さん自身の血液からiPS細胞を作製して再生医療に使う」という目標を実現できます。
大きな壁として立ちはだかる2回目の資金調達
ーー画期的な技術を持っての起業だったようですが、創業当初の様子について教えてください。
松崎:初めての起業ということもあり大変ではありましたが、幸いにも初年度から黒字を出すことができました。産総研ベンチャーに認定されたことで、5年間は産総研の中にオフィスを構えることができ、研究設備なども産総研のものを利用させてもらえて。そのおかげで、創業当初は人件費しかかかりませんでした。
共同研究の声をかけてくれる製薬会社もいて、研究費も捻出してくれました。しかし、研究成果は出ても開発に移れる段階ではなく、その後は売上を上げるのに苦労しました。
ーーディープテックは売上を出すまでに時間がかかりますが、その後はどのように研究費を捻出していたのでしょうか。
松崎:創業から4年目の2017年に、初めての資金調達をしています。iPS細胞の事業を手がけている富士フイルムからは即断即決で出資を決めていただき、他にもいくつかのVCから出資していただきました。また、2018年にはAMED(日本医療研究開発機構)から、大型の補助金もいただくことができました。
中西:ちなみにAMEDからは遺伝子治療と再生治療、2つの分野で支援を受けたのですが、この両方から支援を受けた企業は他にありません。そもそも遺伝子治療を研究している企業が少ない上に、ほとんどの企業が海外から輸入した技術を使っているため、他にはない純国産の技術であることも、高く評価してもらいました。
ーー資金調達もできて、順調に研究を進められたのですね。
松崎:1度目の資金調達はスムーズにできましたが、4年も経てばその資金も底を突きます。2度目の資金調達に向けても動いているのですが、これがなかなか決まらなくて。1度目の調達はアーリーステージだったのであまり苦労しなかったのですが、2度目ともなると臨床で使えるデータが必要になり、ハードルも上がってしまいます。
そこで、資金調達が得意な方を探している時に、知人経由で紹介されたのが三品です。最初は業務委託としてジョインしてもらっていたのですが、半年ほど経ってから正式にジョインしてもらいました。
ーー三品さんがジョインするのを決めた理由を教えてください。
三品:半年間の業務委託を通じて、技術が持つポテンシャルはもちろん、松崎さん、中西さんの人柄や考え方に魅力を感じたからです。私はこの会社に関わるまで、3年ほど様々な技術系スタートアップの支援をしてきましたが、その多くは「この技術で何ができるか」とボトムアップ的な視点だけに留まり事業を展開していました。
その点、松崎さんと中西さんは実用化を見据え、そこから逆算して事業を展開しています。ディープテックスタートアップといえども、技術が素晴らしいだけでは成功できません。経営陣が目的志向で考えられる会社だからこそ、コミットしたいと思いジョインを決めました。
▲ときわバイオ株式会社 COO 三品聡範氏
大阪大学大学院薬学研究科修了後、製薬企業(研究開発職)、外資系コンサルティング会社、バイオベンチャーの取締役等を経て独立。自身の会社では、バイオベンチャーの事業計画策定・資金調達等の支援や、ライフサイエンス・ヘルスケア領域の新規事業計画立案、産学連携支援等に従事。2022年7月よりときわバイオにジョイン。
ディープテックならではの資金調達の難しさとは
ーー資金調達の話になりましたが、IT系のスタートアップとの違いや、ディープテックならではの難しさがあれば教えてください。
松崎:最も違うのはスピードだと思います。ネット系のサービスは立ち上がりも速いですし、資金調達をして急激に成長するケースも珍しくありませんよね。一方で研究開発が必要なディープテックの場合、起業してすぐに売上が立つものではありません。
実証実験を繰り返して、規制をクリアして初めてお客様に販売できるのです。資金調達をしたからといって1年後に会社が急成長しているということはほとんどありません。投資家としても、より長期的な視点で判断せねばならず、資金調達の難しさに繋がっていると思います。
三品:投資家が、人とプロダクトのどちらに比重を置いているかも大きな違いだと思います。よくビジネスは「ヒト・モノ・カネ」が揃えばうまくいくと言いますが、カネの出し手であるVCは、残りのヒトとモノを見て投資を判断します。
しかし、そこには比重があって、例えば、VCがサービス系のITスタートアップを見る際に重視しているのはヒトです。
なぜなら、優秀な人材であれば仮に今のプロダクトが失敗しても、ピボットして成功できるからです。
一方で研究開発型のスタートアップは、技術にビジネスが大きく依存しているため、簡単にピボットできるものではありません。そのため、ヒトが重要なことはもちろんですが、モノであるプロダクトや技術をより厳しく評価していると思います。
ーーそのような違いを踏まえて、ディープテックスタートアップが資金調達をする上で注意すべきことはなんですか?
三品:いかに「期待感」と「安心感」の両方を、相手が求める文脈に翻訳して伝えられるかだと思います。どんなにすごい技術でも、それが相手の求めている価値観に響かなければ意味がありません。
特にディープテック系VCは、技術がどのように世界を変えるのかといった期待感だけでなく、綿密な事業計画に落とし込まれているかといった点を重視しているように思います。事業計画が技術とマーケットの両視点からよく練られており、具体的かつ論理的であればあるほど、投資家の安心感に繋がるのだと思います。
ーー最後に今後のビジョンをお願いします。
中西:兎にも角にも、私達の技術を使って一人でも多くの患者さんが救われるのが何よりもの願いです。
遺伝子を調べて病気が分かるようになったのは1983年のことでしたが、当時は診断できても治療はできない状態でした。私もある患者さんと話した時に「原因が判ったのに、なんで治せないのですかの?」と言われたのを覚えています。
当時は原因究明の研究はされていても、治療をするための研究がされていなかったのです。その時に感じた課題こそが研究の原点ですから、一刻も早く技術を社会実装して、多くの患者さんの治療に使われて欲しいと思います。
松崎:中西が言う通り、私達が目指しているのは患者さんを一人でも多く救うことです。経営も大事ですが、それに勝るものはありません。
私は検査センターにいたのでいち早く細胞の可能性を感じていましたが、1980年代は細胞が治療に使われるなんて誰も信じてくれませんでした。だからこそ、細胞の力で多くの人を救いたいと思って邁進してきましたし、その実現があと一歩のところまできています。
私達の技術を使いたいと言ってくださる企業や大学はたくさんいるので、そういう方たちに少しでも早くこの技術を届け、有効に使ってもらいたいと思います。
(取材・文:鈴木光平)
■連載一覧
第2回(前編):細胞培養の常識を変える「培地」開発技術
第2回(後編):細胞培養の常識を変える「培地」開発技術