北欧イベント「Slush 2021」が現地開催。Metaの新規プロダクト実験責任者、Slushの歴代CEOが語ったこと(後編)
2021年12月1日、2日にフィンランド・ヘルシンキで開催された、北欧最大級のスタートアップイベント「Slush 2021」。感染者増の影響により規模が縮小され、参加者数は約8,000名と例年の半分以下となったものの、2年ぶりの現地開催となった。
今回、ジャーナリスト枠が限られていた関係で現地取材ができなかったが、オンラインでいくつかのセッションを視聴した。
連載企画【Global Innovation Seeds】第14弾でおおくりするイベントレポート後編では、注目の2つのセッションからエピソードを抜粋して紹介する。Meta(元Facebook)の新規プロダクト実験責任者のIme Archibong(イメ・アルチボング)氏による「実験の価値」、Slushの歴代CEO3名による「会社経営」、いずれも力強いメッセージが込められていた。
※「Slush 2021」イベントレポート前編はこちら
▲上画像:Slushの現CEOを務めるミーカ・フットゥーネン氏
実験責任者の仕事は「設計者」であること
▲Slushの公式HPに掲載されたイメ・アルチボング氏のプロフィール
イメ・アルチボング氏は、イェール大学の学士号とスタンフォード大学のMBAを取得しており、IBMでの勤務を経て、2010年からMetaに所属。2020年1月までは同社の副社長を務め、その後は専任の新規プロダクト実験責任者となった。
アルチボング氏いわく、Metaが取り組む「メタバース」とは、テクノロジーの延長線上にあるもので、人間の能力を本質的に増強するものであるとのこと。アルチボング氏の役目は、文字通りMetaの新規プロダクトをつくり出すことであり、それはアプリ、あるいはVR体験ができるリアリティラボを指す。その過程で、自身は良い設計者となり周囲の才能を生かすことを重視するという。
「私が果たすべき役割は、みなさんが想像するより謙虚で、庭師、あるいは編集者ともいえる。起業家や起業家思考のチームが、アイディアの種を植えられるように、肥沃な土壌を作っている。自らがアイディアを生むというより、素晴らしいアイディアを持っている人に力を与えるにはどうしたらいいか、を考える。彼らのジャマをせず、革新的なプロダクトの開発において必要なリソースを提供している」(アルチボング氏)
新規プロダクト開発に携わるメンバーは、世界各地に3〜5人の少人数のチームで拠点を置き、コミュニティに溶け込みながら、現地特有の課題やニーズを探っているそうだ。
新規プロダクトの開発に「失敗」はない
▲オンラインでのセッションの様子。セッションの相手は、ナイロビに拠点を置くCNNの国際特派員が務めた
続いてアルチボング氏が強調したのは、「失敗することをいとわない姿勢」だった。
「最初に思いついたアイディアが軌道に乗る可能性は、ほとんどゼロ。だからこそ、ちゅうちょなく失敗できる環境が大事になる。あるプロダクトリーダーは、ビジネスには『成功』と『失敗』があるのではなく、『成功』と『学び』しかない。早く失敗するほど、早く学んでいることになる。アイディアが響かないのであれば、それを打ち切り、次のアイディアにピボットすればいい」(アルチボング氏)
まずは、成功のハードルがかなり高いことを受け入れ、「何度失敗しても大丈夫だ」という失敗への心理的な安全性を確保する。そして、おもしろいアイディアへのレスポンスを低コスト、迅速な方法で収集し、その学びを組織内で広く共有する。これが、アルチボング氏が考える実験のプロセスなのだ。
「失敗すればするほど、学びを得て、うまく機能するものに近づいている。実験を繰り返すアプローチこそが、イノベーションにつながっている。そのために、組織として迅速に実験を行うための筋力を付ける必要がある。失敗を表に出し、その状態に慣れる必要もある。イノベーションを生み出そうと試みるスタートアップは、そのDNAを理解して吸収しなければならない」(アルチボング氏)
▲オンラインでのセッションの様子
失敗に次ぐ失敗を繰り返して、イノベーションを生む。この精神は従業員が50人だった頃から存在していたMetaの根幹だが、従業員が6万人になろうとしている今も存在しているという。
「創造性を発揮するには、適切な構造だけでは足りない。そこに文化の種を入れ、その周りに構造を置くことだ。リーダーは、庭師として才能を持った人たちがアイディアを持ち寄り、それを成長させられる環境を作ること。たとえ、あなた(リーダー)が天才的な頭脳の持ち主であっても、すべての答えを持っているわけではないから。そして、実行、実行、実行に尽きる。失敗して学ぶプロセスを愛してほしい」(アルチボング氏)
実際は、アルチボング氏は「成功」ではなく、「Winning(勝利)」という言葉を使っていた。ここでは、わかりやすいように「成功」という言葉に置き換えて紹介している。
3人の歴代CEOが語った「Slush」の歴史
▲歴代のCEO3名が登場したセッションの様子
終盤に近づいたセッションで登場したのは、Slushの歴代CEOの3名だ。2016〜2017年に任期を務めたMarianne Vikkula(マリアンヌ・ヴィックラ)氏、2018〜2019年に任期を務めたAndreas Saari(アンドレアス・サーリ氏)、そして現CEOのMiika Huttunen(ミーカ・フットゥーネン氏)だ。本記事では、わかりやすさを優先し、3名を下の名前で呼ぶことにする。
CEO以前も含め4年以上Slushの運営に携わったアンドレアス氏は、投資家向けのアプローチで苦労した経験を語った。その年は、サンフランシスコから多くの投資家を集めるために、Slush専用の「サンフランシスコ⇔ヘルシンキ」の直行便の臨時運行をフィンエアーに交渉。何とか契約にこぎつけたという。当時は、サンフランシスコ⇔ヘルシンキの直行便がなかったためだ。
▲Slushのために飛行機の直行便を飛ばした大胆なエピソードを披露したアンドレアス・サーリ氏
「直行便を飛ばすにあたり、ヘルシンキ⇔サンフランシスコを2往復する必要があり、数週間かけてサンフランシスコで会議を渡り歩き、手売りでチケットを売った。結果的に300席のチケットをさばき、翌日の新聞の見出しに『Slushフライトが完売』と掲載されたことを覚えている」(アンドレアス氏)
パンデミックが起きる直前の2020年1月にCEOに就任したミーカ氏は、仲間の解雇というツラい経験を通して、経営者として「痛み」を受け入れる覚悟をしたという。
「当時、夏にはパンデミックが収束するだろうと考えていたが、そうはいかず、イベントの中止を決めた。これだけでもツラい決断だったが、最悪のシナリオでは倒産の可能性があった。愛すべき多くの仲間を解雇する決断を迫られたとき、何度もマットの下に隠れたいと思った。しかし、決断を下し、この組織を前進させるのは誰かと考えたら、経営者である自分しかいないと気づいた」(ミーカ氏)
経営者ならば、時に逃げ出したくなるような過酷な決断を下し、痛みを持って走り続けなければならない。これが、パンデミックで得たもっとも大きな学びだったとミーカ氏は語った。
「若き才能」を発掘、責任を与えて可能性を伸ばす
▲右も左もわからずCFOに就任したと話していたマリアンヌ・ヴィックラ氏(写真右)
セッションに登場した3名を含め、Slushの歴代のCEOや役員は、かなり若い。マリアンヌ氏がCFOに就任した21歳当時、彼女は財務も経営も何も知らない大学生だった。そんな彼女が160万ユーロ(約2億円)の予算のイベントで大役を任された結果、口座残高や現金が底をつき、各社への支払いがスムーズにできなかったり、海外のクライアントにコストを払ってもらえなかったり、さまざまな困難があった。最終的に利益は出たものの、イベントをコントロールできていたとは思えなかったと、彼女は当時を振り返った。そんなマリアンヌ氏がCEOに就任したのは24歳のときだった。
では、なぜSlushは若くて経験がないメンバーに役職を与えるのか。ミーカ氏は、3つの理由を示した。
「1つは、十分な責任を与えることで、その人の可能性が爆発的に飛躍するため。次に、明確な思考力を持っているかを判断するため。そして、その人が本当に素晴らしい人材かを見極めるため。私たちは、賢いだけでなく人間的にも素晴らしい人材を求めているから」(ミーカ氏)
Slushの組織は若く未熟な人材に十分な責任を与え、彼らが育つことができる環境を整えることで、イベントを成功に導き、若き才能を伸ばしてきたのだ。
ミーカ氏自身は、「この役職を全うすることで起業を学ぶ良い経験になる。Slushのミッションを育て、健全な起業家を生み出し、世界を変えたい」という思いから、CEOのオファーを引き受けたと語った。
▲起業家としての情熱を語ったミーカ・フットゥーネン氏
3名とも、未経験ながら大規模イベントの経営を任されたことで、苦しい場面にも遭遇している。しかし、この経験から自身を成長させたことが、彼らのキャリアに確実に生きている。マリアンヌ氏は2019年11月から、フードデリバリー「Wolt」の副社長に就任、アンドレアス氏は2020年1月に自身のスタートアップ「The 280 Company」を創業し、クリーンエネルギーの開発を目指す。ミーカ氏は、具体的な起業のアイディアには触れなかったが、発した言葉から起業にかける並々ならぬ思いが伝わった。
ミーカ氏は、「Slushはイベントというよりコミュニティだ」と語っていた。Slushでは、オンラインプラットフォーム「Node by Slush」を立ち上げ、起業家にとって必要な情報やマッチメイキングの機会創出、メンタリングなどを提供している。また、アーリーステージのスタートアップを発見するためのWebツールも構築中のようだ。今やフィンランド、及び北欧のスタートアップシーンにおいて欠かせない存在となったSlush。来年は、現場からのレポートを届けられたらと願う。
編集後記
今回、筆者は「生の空気感」を現場で感じられたわけではないが、Slushの歴代CEOのセッションを聞いて、「Slushらしさ」を理解できた気がした。ステージでは堂々とした姿を見せた3名だったが、CEOに就任した直後は未熟な状態で先頭に立ち、過去を塗り替えるイベントをつくるために奮闘したのだろうと思う。若い彼らが、Slushの文化、ブランドを築き上げてきた事実は純粋に素晴らしく、この組織からどんな起業家が生まれるのか、期待がふくらむ。
(取材・文:小林香織)