開発の限界を突破する共創の力――90年超の歴史を持つ老舗メーカー・東プレが『Sagamihara Innovation Gate』で手にした次なる成長の原動力
相模原市が主催するオープンイノベーションプログラム『Sagamihara Innovation Gate(以下、SIG)』。本プログラムは、相模原市内に拠点を置くホスト企業と全国のスタートアップ等のパートナー企業をマッチングし、新たな事業創出を目指す取り組みだ。共創事業の骨子を練り上げる2日間の対面式イベント「ビジネスビルド」をはじめ、試作や実証実験などを通じて、企業の新たな挑戦と地域のエコシステム形成を推進している。
今回登場するのは、90年を超える歴史を持ち、相模原市に研究開発拠点を構えるものづくり企業・東プレ株式会社。プレス(塑性)加工技術を活かした自動車機器やファン(送風機)などの空調機器の開発を行う同社は、社内のリソースだけでは実現が難しかった「世界一のファン(送風機)開発」という課題に対し、オープンイノベーションによる打開策を模索。2024年に市内ホスト企業として『SIG』へ参画し、AI最適化技術を持つパートナー企業・エイゾスとの共創に挑んだ。
本記事では、同社が『SIG』への参加を決めた背景から、共創プロジェクトでの取り組み、実際に得られた成果や気づき、そしてその後の展開までを紹介する。プロジェクトを推進した同社開発部の石井氏・川浪氏へのインタビューを通じて、『SIG』が同社にもたらした変化に迫る。
90年超の歴史を持つ東プレの新たな一手――オープンイノベーションで挑む「世界一のファン」への道
――はじめに、御社の事業概要や特徴について教えていただけますか。
石井氏 : 当社は1935年の創業以来、90年以上の歴史を歩みながら事業を続けてきました。根幹にあるコア技術は「プレス(塑性)加工技術」と「金型設計技術」です。この技術を軸に現在、「プレス関連製品」「定温物流関連製品」「空調機器関連製品」「電子機器関連製品」の4事業を展開しています。
各事業の特徴を簡単に紹介すると、「プレス関連製品」では難易度の高い高張力鋼板(ハイテン材)の加工技術を強みに、車の軽量化と高強度化を両立する安全な骨格部品を提供し、幅広い自動車メーカーと取引しています。「定温物流関連製品」では、冷凍・保冷車を手掛けており、国内トップクラスのシェアを誇ります。コンテナ部分と冷却装置の両方を自社で製造できるため、お客様のニーズに合わせたオーダーメイドの車両作りが可能で、それが強みになっています。
そして「空調機器関連製品」では、シロッコファンの開発からスタートし、現在はビルや精密工場向けの空調から、大手ハウスメーカーの24時間換気システムまで幅広く展開中です。近年は、省エネ性に優れたデシカント調湿空調システムにも力を入れているところです。
最後に「電子機器関連製品」ですが、約40年の歴史を持つ「REALFORCE」ブランドのキーボードなどを展開しています。独自の無接点方式を採用しており、高い耐久性とチャタリング(入力誤作動)のない正確な打ち心地で多くの方に選んでいただいています。
▲東プレ株式会社 開発部 部長 石井宏明 氏
――4つの事業のいずれも独自の立ち位置を築いていらっしゃいますが、その根底にある企業としての考え方やポリシーがあればお伺いしたいです。
石井氏 : 当社は創業時から「自社の技術をなるべく広く世の中で活かしていきたい」という考えのもと、特定グループの傘下に入らない独立系メーカーとしての歩みを続けてきました。それが現在の4事業へと広がり、ありがたいことに国内外の素晴らしいお客様に恵まれる結果につながっています。
また、社内で共有されてきた「Best&Only」や「一芸に秀でよう」という合い言葉の存在が大きいと思います。これは、自分の強みを徹底的に磨き上げ、お客様にとって唯一無二の存在を目指そうという考え方です。会社がこの方針を明確に掲げ、社員一人ひとりも「他にはない存在になろう」と努力を重ねてきた結果、現在の当社の立ち位置や強みが築かれてきたものだと考えています。
▲東プレが展開する4つの事業。『SIG』では、「空調機器関連製品」の開発プロセスにおけるオープンイノベーションに取り組んだ。
――そうした中、相模原市主催のオープンイノベーションプログラム『Sagamihara Innovation Gate 2024(以下、SIG)』に参加を決めた理由は何だったのでしょうか。
石井氏 : 一言で言うと、すごく困っていたんです。開発の川浪が社内から「世界一のファン(送風機)を作ってほしい」というオーダーを受けたのですが、彼は東プレ社内でファン事業を立ち上げた第一人者なんですね。社内で誰よりもファンに詳しい彼ですら、「どうやって世界一のファンを作ればいいのか」と手探りの状態でした。つまり、自社の中には解決できるリソースがない状況だったのです。
そんな時に、相模原市さんからオープンイノベーションプログラム『SIG』のお話をいただきました。丁寧にご説明いただく中で理解は深まったものの、私は慎重な性格なのもあって参加するか迷っていました。
――そこから参画へ一気に動き出したきっかけは?
石井氏 : 当の川浪自身が、「このプログラムに参加したいと思っています」と私のところへ話に来てくれたんです。本人のその言葉を聞いて、私も「そうか、じゃあやってみなよ」と背中を押しました。それが、『SIG』への参加を決めた一番の理由です。
――川浪さんにもお聞きしたいのですが、「世界一のファンを作ってほしい」という社内からのオーダーがある中、なぜ、オープンイノベーションプログラムに取り組もうと思われたのですか。
川浪氏 : ファンの設計自体はある程度出来上がっていたのですが、20年以上この仕事に携わってきた経験からすると、与えられた目標を達成するためには、ファンを構成する複数のパーツ開発に取り組まないと難しい。そのためにも従来とは異なる開発プロセスに挑戦したいと考えていました。ですから、このプログラムのお話をいただいた時、「これは現状を打破する絶好の機会になるかもしれない」というのが第一印象だったんです。
それに、プログラムの最後にデモデイ(成果発表会)が設定されています。そのデモデイの日程と、社内に対して成果を示さなければならない期日がほぼ同じだったため、「これはちょうどいい」と。もちろん「期間内で成果を出せるだろうか」という不安もありましたが、それでも「進めていけば何かしら糸口は見つかるだろう」と、前向きな気持ちで参加を決めました。
▲東プレ株式会社 開発部 主席研究員 川浪隆幸 氏
――他社と連携してモノづくりを進めるオープンイノベーションという手法は、御社や川浪さんご自身の業務において、これまであまり前例がなかったのでしょうか。
川浪氏 : 大学や他企業との共同開発はもちろんありました。ただ、オープンイノベーションという形は、私の知る限り、これまでなかったと思います。基本的には、「こういうものを作ってほしい」というオーダーに対し、自社の技術を活かして応えていく形が多く、今回のように「お互いの技術を持ち寄って、新しい価値を共に生み出そう」という取り組みは、私自身にとっても初めての経験でした。
ビジネスビルドでの対面議論から試作・量産化へ――AI最適化技術で変わる東プレのモノづくり
――プログラムの具体的な取り組みについてお伺いします。2024年秋頃にパートナー企業を公募し、最終的に研究開発AI解析プラットフォーム「Multi-Sigma」を提供するエイゾス社と連携して、新たなファンを設計されました。当時の狙いや、同社をパートナーに選んだ決め手は何だったのでしょうか。
川浪氏 : 公募の段階では、「AIを用いた設計の最適化」と「生体模写」(バイオミメティクス※)という二つのテーマで幅広くアイデアを募集しました。ファンを構成するいくつかのパーツに対して新しい技術を取り入れ、これまでにない形状を生み出していきたいと考えていたからです。そうして出会ったのが、AIを用いた最適化に取り組まれているエイゾスさんでした。
ファンの設計は数多くのパラメータが複雑に絡み合っているため、そう簡単には最適値が出てきません。ですが、エイゾスさんの「Multi-Sigma」であれば技術的に解決できそうだと思えたことが採択の決め手でした。
また、私自身もAIを用いた最適化の手法自体は知っていたものの、「世の中の先端技術が今どのレベルにあるのか」までは見えていませんでした。ですから、エイゾスさんと取り組むことで、AIによる最適化の現在の立ち位置を把握し、ファン設計の精度向上とスピードアップにつなげたいという狙いもありました。
※動物や植物といった生体の組成や形状を研究し、その優れた機能を工学技術として応用すること。
――2024年10月に開催された『SIG』のビジネスビルドでは対面で共創事業の骨子を構築し、その後、試作開発、そして2025年3月の成果発表会まで駆け抜けられました。このプロセスの中で、特に印象的だった場面やエピソードを教えてください。
川浪氏 : 自分への影響が最も大きかったのは、ビジネスビルドですね。2日間でアイデアを広く出し(発散)、それを絞り込んでいく(収束)という手法を、まさに叩き込まれた感覚がありました。20年以上のキャリアがある自分からすると、「長年キャリアを重ねてきた自分に、今どんな新しい発見があるのだろうか」という思いもありながら、それ以上にビジネスビルドの価値を実感することができたと感じています。
また、『SIG』の事務局が、私の社内目標に寄り添い、進行や目標設定を当社の事情に合わせて柔軟に調整してくれました。このプログラムの有無に関わらず、3月までに社内へ成果を示す必要があったため、「何としてでも、3月のデモデイまでにファンを作り上げる」という強い思いで、期日までにやり切ることができました。
▲2日間のビジネスビルドでは、パートナー企業との対面議論を通して、共創事業の骨組みを練り上げた。(画像出典:『Sagamihara Innovation Gate 2024』ビジネスビルドレポート)
――3月の成果発表会では、エイゾス社と共に形にされたファンの試作品を披露されました。その後、取り組みはどのように進んでいるのでしょうか。
川浪氏 : エイゾスさんと取り組んだファンの設計は、今も継続して進めています。現在は量産化を見据えたフェーズに入っており、営業活動や生産技術面での検討を進めているところです。AIによって最適化された複雑な形状を、実際の製造ラインでどこまで忠実に再現できるかについて、丁寧に時間をかけて検証を重ねています。
また、エイゾスさんと当社の関わりについても、プログラム期間中で終わることはなく、継続して深めています。私から社内の別の事業部へエイゾスさんをご紹介したり、当社向けに勉強会の場を設けていただいたりもしました。当初のファンの設計に限らず、その他の分野でもエイゾスさんとの連携は着実に広がっています。
▲デモデイでは、AIを活用することで最適化された新形状のファン試作品をお披露目した。左は、エイゾスの代表であり、Multi-Sigmaの開発者である河尻耕太郎氏。(画像出典:『Sagamihara Innovation Gate 2024』DEMODAYレポート)
――プログラム終了後も、関係性が深まっているのですね。エイゾス社の「Multi-Sigma」を活用することで、御社の設計のプロセスにはどのような変化がありましたか。
川浪氏 : 「Multi-Sigmaを使えば何でもできる」というわけではありません。AIによる最適化と聞くとボタン一つで答えが出るイメージを持たれがちですが、実際はツールが出した結果から「どれが良いものか」を人間が選別し、最終的な判断を下す必要があります。提示された結果をどう判断するかという点では今も試行錯誤しながら向き合っているところですが、その手前のプロセスを支えるツールとしては非常に優れていると感じています。
周辺企業や行政とのネットワーク・挑戦者のコミュニティ――『SIG』がもたらした次への糧
――実際に『SIG』に取り組んでみて、川浪さんご自身が特に手応えや価値を感じられたのはどういった部分でしょうか。
川浪氏 : 繰り返しになりますが、ビジネスビルドへの参加が、自分にとって大きな意義がありました。普段はアイデアを発散して収束させるという手法をあまり使いません。アイデアを広げすぎると着地点を見失い、現実的な仕様に落とし込むのが難しくなる側面があるからです。ですが、このビジネスビルドでは様々なストーリーを考えながら着地させていく。それを自分たちだけでなく、外部パートナー企業の技術も使って形にしていくという点が、今までにない取り組みで面白かったです。
また、『SIG』を主催する相模原市さんやプログラム運営を担うeiiconさんをはじめ、他の参加企業の方々と貴重なネットワークを築けたことも意味のあることでした。通常、市役所の方々と直接対話をする機会は滅多にありませんが、参加企業という立場で率直な意見を伝えられる場は大変有意義でした。他社の取り組み状況を知ることができたのも良い刺激になりましたし、こうしたつながりができたのは本当に良かったです。このネットワークを今後どう活かしていくかが、私たちの次の課題だと考えています。
――パートナー企業との出会いにとどまらず、地域全体に広がる横のつながりが得られたのは素晴らしいですね。石井さんは『SIG』全体を振り返って、良かったと感じる点について、いかがでしょうか。
石井氏 : 良かった点は、大きく分けて3つあります。1つ目が、相模原市主催だからこそ生まれた地域企業間のつながりです。当社をはじめ相模原市には歴史ある企業が数多く存在しますが、近隣でありながら相互の接点はほとんどありませんでした。今回の取り組みを通じ、多種多様な企業が集まっていることを深く知ることができたのは、非常に有意義でした。
2つ目は、相模原市が提供してくれている事業環境のありがたさを痛感したことです。企業にとって仕事のしづらい環境であれば、長年にわたって拠点を置き続けることはできません。これほど多様な企業が事業を続けていること自体が、市が仕事をしやすい環境づくりに尽力されている証であり、行政の方々のおかげだと、深く認識する機会となりました。
3つ目が、新規事業に取り組む人たちと悩みが共有できたことです。大きな組織の中で新規事業や開発を担当する人は、どうしてもマイノリティになりがちで、特有のやりづらさや苦労を抱えています。そうした人たちが、悩みを共有して応援し合える場所があったことは、本当に救いになりました。
――大企業の中で挑戦する人たちにとって、同じ立場の方々と悩みを分かち合える場所は貴重ですね。
石井氏 : そうですね。『SIG』で得たエネルギーを自社に持ち帰り、次の活動につなげることができました。それと同時に、『SIG』に参加したスタートアップやメンターの皆さんからも大きな刺激をいただきました。どれほど調査や議論を重ねても、行動しなければ何も始まりません。常に緊張感を持って日々動き続けている方々と共に過ごせた時間は、有意義で学びも多かったです。
――最後に、『SIG』への参加を検討されている方々へ、アドバイスやメッセージをお願いします。
川浪氏 : 今回、スタートアップをはじめとするパートナー企業の皆様からは強い意欲を感じました。だからこそ、私たちのようなホスト企業側の本気度が問われるのだと思っています。「まずはやってみましょう」という気軽な気持ちのままで最後まで進んでしまうと、何を求めた検証だったのか分からないまま終わってしまいます。明確な目標設定をしたうえで、オープンイノベーションを取り入れた方が、より早期に成果が出るのではないかと思います。
私自身は今回、「失敗してもいい」という軽い気持ちではなく、「パートナー企業と自社の双方が成功できるようにする」という強い気持ちで臨みました。そのため、エイゾスさんとの最初の面談では、「あれできますか」「ここにも使えませんか」と、必要以上に質問を投げかけた記憶があります。
これから参加を検討されるスタートアップの皆さんには、まず自分たちがやりたいことを、遠慮せずすべてぶつけてみてほしいと思います。そしてホスト企業側も、それを全力で受け止める姿勢を示すこと。その双方の本気度があってこそ、良い共創が生まれると思います。
取材後記
『SIG』への参画は、AIソリューションを用いた一時的なファンの試作で終わらず、量産化に向けた検証フェーズへの移行や、他部署へのAI活用の横展開など、同社のモノづくりに新たな変化をもたらしている。さらに、周辺企業や行政、スタートアップなど挑戦者とのネットワークが広がり、今後の製品開発や新たな事業創出においても原動力となるだろう。今シーズンもいよいよ始動する『SIG』。恵まれた事業環境を誇る「相模原市」で、高い志を持つ企業同士が手を取り合い、新たな時代を動かす共創の誕生に期待が高まる。
(編集:眞田幸剛、文:林綾、撮影:松井和幸)