
【Startup Culture Lab. 2025年度 #1レポート】「ミッション・ビジョン・バリューを浸透させる社内コミュニケーションとは?」──YOUTRUST、ファストドクター、元INFORICH CHROが語るミッション・バリュー経営
イノベーションを起こし急成長するスタートアップならではの、人材・組織開発に関する学びと知見を広くシェアする研究プロジェクト「Startup Culture Lab.」。2025年度で3期目を迎える本プログラムは、スタートアップ企業が急成長の過程で直面する“組織課題”に向き合い、解決策を共に探っていくことを目的としている。
スタートアップエコシステム協会の中でスタートしたこのプロジェクトは、現在はカルチャーモデル研究所に事業譲渡され、継続的に運営されている。初回となる今回は、ファストドクターの本社オフィス(東京・恵比寿)を会場に、研究メンバー35名、運営15名ほどが参加。さらにオンラインでも約100名が視聴するなど、注目度の高さがうかがえた。
オープニングではStartup Culture Lab. 副所長の石田氏が登壇し、本プログラムの趣旨と成り立ちを説明。「スタートアップが成長していく中で、9割以上の企業が“組織課題”に直面する」とした上で、「その課題は多くの企業に共通するもの。12のテーマを軸に、先輩経営者や研究メンバーとの対話・実践を通じて突破口を見出していく」と語った。
5月14日に開催された第1回のテーマは「ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)と社内コミュニケーション」。スタートアップが掲げるMVVは人材採用、組織運営、意思決定のあらゆる局面で、重要な役割を果たしている。
登壇者それぞれが取り組んできたリアルな経験を通じて、実際のMVV運用や組織内浸透のリアルに焦点を当てたセッションの模様をレポートする。

<登壇者>
・岩崎 由夏 氏 / 株式会社YOUTRUST 代表取締役CEO
・水野 敬志 氏 / ファストドクター株式会社 代表取締役CEO
・佐々木 丈士 氏 / 元 株式会社INFORICH 執行役員CHRO
・唐澤 俊輔 氏 / Almoha共同創業者COO / 一般社団法人カルチャーモデル研究所 代表理事
3名のリーダーが掲げるMVV
この日モデレーターを務めたのは唐澤氏。冒頭で「質問やコメントがあれば、随時投稿してほしい」と参加者に呼びかけ、会場・オンライン双方が一体となったインタラクティブな進行が印象的だった。セッションの冒頭では、 登壇者からそれぞれ自己紹介が行われた。
トップバッターは日本のキャリアSNS、ネットワークリクルーティングサービスの「YOUTRUST」を開発・運営する株式会社YOUTRUSTの岩崎氏。自身のキャリアの出発点が人事職だったことを明かしつつ、「スタートアップこそ、MVVを基盤に組織をつくるべきだ」と強調した。失われた30年なんて言わせないという強い意志のもと、設定された同社のビジョンは「日本のモメンタムを上げる偉大な会社を創る」。進捗を実感できる社会づくりを目指しているという。
また、企業ビジョンである「日本のモメンタムを上げる 偉大な会社を創る」の実現に向けて、行動規範を「バリュー」から「YOUPROMISE(約束)」へと刷新。
「元気は、利益。」「変化を起こせ。」「やりきってるか?」という、シンプルかつ力強い3つの言葉に再定義した。
▲岩崎 由夏 氏 / 株式会社YOUTRUST 代表取締役CEO
続いて自己紹介したのは、医療支援プラットフォーム「ファストドクター」を運営するファストドクター株式会社の水野氏。同社は「生活者の不安と、医療者の負担をなくす」というミッションのもと、救急医療を中心に事業を展開してきた。
水野氏は、自身のキャリアを振り返りつつ、ファストドクター創業の背景とミッション・ビジョン策定のプロセスを語った。創業当初は明確なミッションがなかったものの、2018年に合宿を通して「『達成の暁にはこの会社がなくなってもいい』と思えるくらい、社会課題の解消に根ざした存在意義を定義しよう」との思いから、現在のミッションを策定したという。
ビジョンについても、創業時の「不要な救急車搬送を3割減らす」から、近年は「1億人のかかりつけ機能を担う」といった医療全体への貢献へと視野を広げ、会社の成長やコロナ禍を経て、目指すビジョンも進化していった。
また、同社ではバリューも“Value2.0”と呼ばれるアップデート版を策定。従業員を巻き込んだワークショップ形式で再定義を行い、浸透を図っている点が特徴的だ。バリューを「単なるスローガン」ではなく、「現場に根ざす実践知」として捉える姿勢が伺える。
▲水野 敬志 氏 / ファストドクター株式会社 代表取締役CEO
続いて自己紹介したのは、モバイルバッテリーシェアリングサービス「ChargeSPOT」を運営する株式会社INFORICHにて執行役員・CHROを務めた経験を持ち、現在は人事アドバイザーとして活動している佐々木氏。
佐々木氏は、「INFORICHでは、本格的なグローバル化のため、既存のバリューを更新する必要性があった」と語る。そのため、経営陣で十数時間に及ぶ議論を重ね、バリューを再定義。従来の行動指針的なものから、より判断基準に近いものへとシフトさせた。これは、「何を大事にして意思決定するか」を明確にすることで、各国・各拠点での自律的な判断を後押しする狙いがあったという。
また、INFORICHは社内だけでなく社外への発信にも注力。同社の公式noteでは、執行役員陣が自身の言葉でバリューに対する想いを綴るなど、バリューの「言語化」と「可視化」を徹底することで、組織の一体感を育てていった。
▲佐々木 丈士 氏 / 元 株式会社INFORICH 執行役員CHRO
カルチャー、ミッション、バリューの重要性
続いて参加者の前提知識をそろえるため、唐澤氏から「ミッション・ビジョン・バリュー(MVV)」の基本概念が解説された。
▲唐澤 俊輔 氏 / Almoha共同創業者COO / 一般社団法人カルチャーモデル研究所 代表理事
「なぜ今、企業カルチャーが重視されているのか。その理由は、経営を取り巻く環境が大きく変化しているからだ。特に日本企業では、これまでの年功序列や終身雇用といった仕組みが限界を迎え、価値観で人をつなぐ経営が必要とされている」と、唐澤氏は話す。
Appleはスティーブ・ジョブズ退任後も成長を続け、Netflixは郵送DVDから動画配信サービスへ大胆にピボット。どちらの企業にも共通するのは、カルチャーを言葉にして共有していたことだ。
なかでもNetflixの「カルチャーデック」は有名で「自由と責任」を大切にし、社員が自分の判断で動ける環境が形成され、それが変化に強い組織をつくる土台となったという。
このように、企業が長く成長し続けるためには、制度ではなく、共通の価値観とカルチャーがますます重要になっている。
一方、日本では「カルチャー」がネガティブに語られる例もある。たとえば東芝の不正会計問題では、トップが直接指示した証拠はなかったものの、「悪い数字を出すと怒られる」という空気が社員の行動を歪めたとされている。言語化されていない文化が組織に影を落とす典型例といえる。
従来の日本型組織は、終身雇用・年功序列を前提に、暗黙知で動く「阿吽の呼吸」が強みだった。しかし市場が縮小し、同じことを繰り返すだけでは成長できない今、イノベーションが不可欠となっている。その結果、ジョブ型雇用や中途採用が進み、組織には多様な人材が混ざり合うように――。
そこで重要になるのが、価値観の共通項=MVVである。
カルチャーやMVVを通じて「どんな山を登るのか(ミッション)」「いつまでにどこにたどり着くのか(ビジョン)」「どうやって登るのか(バリュー)」を明確にしなければ、バラバラな方向へ進んでしまう。バリューの役割のひとつは、最短距離で登るのか、安全第一で進むのか、といった「行動様式」の共通理解を築くことにあると唐澤氏は語った。
YOUTRUSTの組織とモメンタム
トークセッションはまず、「経営から見たMVVの本質的な価値とは?」というテーマで進められた。「うちの組織には“元気”がある。モメンタムがある」と語ったのはYOUTRUSTの岩崎氏。
「単なる勢いの話ではない。モメンタムがある組織は、困難な時期にこそ踏ん張る力を持つ。だからこそ、最後の一押しで数字に繋がる。」とした。
かつて、YOUTRUSTは転職市場に限定したビジョンを掲げていた。しかしこの“ビジョン1.0”は事業の成長に足かせとなったため見直しを迫られたといい、メンバーとの対話を重ね、ビジョンを拡張した。そのプロセスを通じて、ビジョンとはトップが掲げるものではなく、メンバーと共に育てるものだと認識したという。
「ビジョンやミッションは、事業上の意思決定に影響を与えるべき。抽象概念として掲げるのではなく、具体的な行動へと変換されて初めて意味を持つ。」と岩崎氏は強調する。
意思決定のためのミッション、採用のためのミッション──ファストドクターの事例
続いて、ファストドクターの水野氏は、「シリーズAのタイミングで採用活動を強化する必要に迫られた」と語る。そのタイミングにおいて、ミッション・ビジョンの言語化は候補者への訴求力を大きく高めたという。
だが、言語化は一筋縄ではいかない。ファストドクターが向き合っているのは医療者と生活者で、両者の利益は必ずしも一致しない。そのような中で、「どちらか一方が犠牲になるようなミッションであってはならない」とし、医療インフラを支える人々も幸せである必要性を語った。
コロナ禍の初期は「二類感染症相当」という扱いで医療機関の診療介入に制限がかかり、事業が一気に停滞した。その中で自由診療への参入という選択肢も検討したものの、最終的にそれを見送ったのは「ミッションに立ち返ったから」だという。短期的な利益ではなく、ミッションと合致するかを判断基準としたのだ。
グローバル企業の“伝える工夫”──INFORICHにおける実践
佐々木氏が語ったのは、グローバル企業におけるMVVの「伝達」のリアルである。本社から届くコミュニケーションパッケージを各国のリーダーが自国の文化・言語で解釈し、ストーリーとして現場の行動に落とし込む。このプロセスが非常に重視されているという。
正式なステートメントは変更不可だが、運用レベルでは“解釈のズレ”を丁寧に議論する時間を設けている。また、言葉だけでなく、リーダー層が日常的に行動で体現し、評価制度とリンクさせることがMVV浸透の鍵になるという。
佐々木氏は、「バリューは行動基準の前に判断基準である」と明言する。
「単なる行動指針やチェックリストにしてしまうと、ビジネス上の意思決定に使えない。バリューを生きたものにするには、マネージャー自身がそれに“腹落ち”し、自分の言葉で語れるようになる必要がある。この観点では、マネージャー教育とバリューの浸透は切り離せない。現場の指揮官であるマネージャーが体現者でなければ、文化は根付かない。」と語った。
採用におけるバリューのズレは致命的?バリューの「可視化」の重要性
岩崎氏は、バリューを日本語で表現することで、言語のズレによる誤解を防いでいるという。さらに、バリューを体現した社員を全社会で表彰し、可視性を高める取り組みも行っている。
ただし、受賞者の決定は単なる人気投票に陥らぬよう、最終判断は経営陣が行うという。
一方、「ミッションは入社後に育てられるが、バリューは変えられない」と水野氏は語る。そのため、採用時にバリューへの適合を強く重視する。バリューにフィットしない人材は、どれだけ優秀であってもカルチャーを壊す可能性があるからだ。
加えて佐々木氏は、「ミッションの浸透には、社内シンポジウムなどの「場」が重要。役員のスピーチや社員の実体験などの共有などを通じ、社員の解像度を上げていくことが必要だ」と語る。
続いて佐々木氏は、経営者の想いをそのまま現場に伝えるのではなく、人事の視点で“翻訳”し、客観性をもたせる重要性を説く。そのためにも、管理職が「語れる」ことが前提となる。
「バリューが形式だけのものにならないためには、管理職による日常的なフィードバックが鍵となる。」と述べた。
岩崎氏は、モメンタムを維持するための採用基準を明確にしているという。「賢いけど走らない人(斜に構える=シャニカマ)」は採らない。年齢や職種に関係なく、「シャニカマ」が一定数いると、チーム全体のモメンタムが下がる。だからこそ採用の段階で見極めるのだという。
一方で、水野氏は表彰制度をあえて導入してこなかったことを反省しているという。「バリューを体現している状態」が可視化されず、結果として浸透に時間がかかった。社員総会でアワードを実施した際には、経営陣と現場の目線のズレも露見したという。今後は、対話の回数を意識的に増やすことで、バリューの解釈と実践をより現場に落とし込んでいきたいと語った。
最後に唐澤氏から「結局のところ、バリューをどう体現するかは、マネージャー層で議論を重ねないと見えてこない。だからこそ、目線を揃えるうえで非常に効果的だと感じている」と語られた。
単なる理念の共有ではなく、組織の中で具体的な行動に落とし込み、フィードバックし合う文化が根づいてこそ、カルチャーやMVVは意味を持つ——そんな本質的な気づきとともに、セッションは幕を閉じた。
取材後記
今回のセッションでは、「なぜいまカルチャーやMVVが求められるのか」という問いに対して、歴史的背景や具体事例を交えながら多角的な視点で掘り下げが行われた。
登壇者の話から共通して感じられたのは、MVVは単なるスローガンではなく、言語化して組織に浸透させるプロセスこそが重要だという認識だ。組織への浸透が成功すれば、MVVが日々の行動や意思決定に影響を与える仕組みとして機能する。
働き方や価値観が多様化し、組織の一体感を「空気」に頼るのが難しくなっている今だからこそ、「言葉」による方向づけが求められている。変化の激しい時代において、MVVやカルチャーに真剣に向き合う企業こそが、一貫性と信頼を保ち続けられるのではないだろうか。
※過去の「Startup Culture Lab.」の関連記事をシリーズとしてまとめています。こちらからご覧ください。
(編集・文:入福愛子・眞田幸剛)