【Startup Culture Lab. 2025年度 #6レポート】スタートアップに求められる「マネージャー育成」とは――現場の即戦力から組織を支える存在へ。
イノベーションを起こし急成長するスタートアップならではの、人材・組織開発に関する学びと知見を広くシェアする研究プロジェクト「Startup Culture Lab.」。2025年度で3期目を迎える本プログラムは、スタートアップ企業が急成長の過程で直面する“組織課題”に向き合い、解決策を共に探っていくことを目的としている。
10月8日に開催された第6回のテーマは「スタートアップに求められるマネージャー育成とは?」。事業の成長スピードが速く、組織の状況が変わり続けるスタートアップにおいて、「マネージャーをどう育てるか」は経営課題そのものだ。マネージャーが育たない場合、特定の個人にマネジメント負荷が集中し、組織全体の再現性が担保できず、事業スケールの限界が早々に訪れる。逆に、適切な育成と支援があれば、現場は権限委譲を通じて自走し、次のフェーズに備えることができる。
今回のセッションでは、スタートアップのマネージャーに求められる役割の定義から、育成の具体策、そして“失速パターン”とその回避策までの議論が交わされた。
<登壇者>
・川口 かおり 氏 / 個人事業主
・坂井 風太 氏 / 株式会社Momentor 代表取締役
・松井 しのぶ 氏 / 株式会社ユーザベース 上席執行役員 CHRO
・長村 禎庸 氏 / 株式会社EVeM 代表取締役 CEO(当日モデレーター)
各登壇者の自己紹介
この日のモデレーターを務めたのは、株式会社EVeMの長村氏。DeNAで複数部署のマネジメントを経験し、ハウテレビジョンでは取締役COOとして同社をIPOに導く中で、、現場での課題感をもとにEVeMを創業。同社は、スタートアップ企業を中心にマネジメントトレーニングを提供している。「スタートアップでは“1年かけて育てる研修”は現実的ではない。むしろ明日からできないと困りますという環境。行動できる仕組みが必要」と語り、現場密着型の育成支援を重視する姿勢を示した。セッションでは、Q&Aツール「Slido」を使ったリアルタイムな質問投稿も活用しながら、「参加者の意見も交えながら議論を深めていきたい」とインタラクティブな進行でスタートした。
▲長村 禎庸 氏 / 株式会社EVeM 代表取締役 CEO(当日モデレーター)
そのあとそれぞれの登壇者の紹介に移った。川口氏はLayerXで人材のイネーブルメントを担当し、以前はウォンテッドリーでビジネス担当の執行役員を務めた経験を持つ。現在は独立し、マネージャー育成や人材開発の支援を行っている。「現場で採用したメンバーを、いかにしてマネージャーへと育てるか」という実務的な視点から、スタートアップ特有の育成課題に取り組んでいる。かつてはオリンピック選手のマネージャーも務めていたという異色の経歴を持ち、「“人を導く”という点では、スポーツもビジネスも共通する」と語った。
▲川口 かおり 氏 / 個人事業主
続いて自己紹介したのは、株式会社Momentorの坂井氏。新卒でDeNAに入社後、事業サイドのマネジメントとして組織運営に携わりつつ、人材育成やマネジメント理論を体系化。現在は大企業からスタートアップ、行政機関まで幅広い企業のマネージャー育成を支援している。「企業規模やフェーズによって“良いマネージャー像”は異なる。今日はその違いを整理しながらお話ししたい」と語り、組織課題の構造的な整理を得意とする専門家として期待を集めた。
▲坂井 風太 氏 / 株式会社Momentor 代表取締役
最後に自己紹介したのは、株式会社ユーザベースで人事・法務を統括する松井氏。公認会計士としてキャリアをスタートし、ユーザベースに入社後は、コーポレート統括としてM&AやIPOを多数経験。現在は約1200名規模の同社において、CHROを務める。現在同社では社内で独自のリーダーシッププログラムを展開中で、その過程でEVeMのエグゼクティブ研修も受講させてもらった。「カルチャーや事業フェーズによって育成の形は変わる。だからこそ“自社らしさ”を基軸に設計することが重要」と強調した。
▲松井 しのぶ 氏 / 株式会社ユーザベース 上席執行役員 CHRO
スタートアップのマネージャーに、何を求めるのか?
まず、モデレーターをつとめたEVeMの長村氏からトークセッションに入る前にテーマの目的意識が整理された。「マネージャー育成は、組織開発の“肝”です。マネジメントができる人に依存すれば組織は偏り、育成できないままでは事業の成長が止まってしまう」と語る。
スタートアップの現場では、成果が伸びているうちは課題が見えにくいものの、「トラクションが止まった瞬間、組織の脆さが露呈する」と強調した。さらに、マネージャーが直面する現場の悩みとして、「時間のなさ」「多様な価値観の衝突」「中途社員の立ち上がり」「評価基準の不一致」などを挙げ、「忙しさに埋もれ、誰も育成の型を教えてくれない」と現実を語った。
一方で、従来の研修ではスタートアップ特有の課題をカバーしきれないとし、「抽象論ではなく、明日から使える実践知が必要」と訴えた。今回のセッションでは、社内外それぞれの立場からマネージャー育成を実践する登壇者3名とともに、「スタートアップのマネージャーに求められる要件」について議論を深めた。
ユーザベースの松井氏は「スタートアップのマネージャーは現実には全員プレイングマネージャーにならざるおえない」と語る。「自ら手を動かしながら人を見て事業を進めるのが現実。そのうえで大事なのは“やらないことを決める力”。
変化が激しい中ではキャパオーバーになる前提を理解し、取捨選択できることが重要」と話す。その発言を受けて、Momentorの坂井氏も「プレイングマネージャーは悪、という言い方はきれいですが、現実にはプレイングせざるを得ない局面がある。
重要なのは、どの領域を自分が握るべきかを見極めること。ボトルネックになっている部分を一時的に自分が引き受け、立ち上げ・加速させ、然るべきタイミングで手放す。これができるかどうかが問われる」と語った。
川口氏は「自己理解こそ育成の出発点」と指摘する。自己理解は「価値観」「思考の癖」「強み・弱み」で整理でき、自分を知らないと本人もチームも苦しくなると語った。さらに、マネージャーに求められる要件は「会社や事業のフェーズで変わる」と続ける。
スタートアップでは「今のフェーズだからこれが必要」と語られることが多いが、そもそも“今どのフェーズにいるのか”“次のフェーズで何が必要になるのか”が具体的に組織内で合意されていないケースが多い。結果として、マネージャー本人は「何を期待されているのか分からないまま背伸びだけ強いられる」という状態に陥りがちになる。ここを言語化し、全員で認識を合わせることが育成の第一歩になるという。
組織として、マネージャー像をどう言語化するか
議論が進む中で、EVeMの長村氏から「実際に言語化がうまい会社は、どんな取り組みをしているのか」という質問が投げかけられた。
川口氏は、「いきなり30項目の“マネージャー要件表”をつくる必要はない」と話す。「最初から完璧なリストを作ろうとすると、運用されない。むしろ、3項目でもいいから“今のうちの会社で特に重要なこと”を言葉にして、定期的に見直す場を持つほうが機能する」。重要なのは「正解を一回で作ること」ではなく、「合意を更新し続けること」だという。
Momentorの坂井氏は、企業文化やフェーズに応じて“絞る”ことの重要性を示した。クラウドセキュリティプラットフォームを開発・提供するCloudbaseの実例として、バリューが2つしかないというケースを紹介。「人が一度に意識し続けられる行動規範は多くない。いくつも並べても浸透しないし、かえって“バリューの呪い”になることすらある。だからこそ、あえて少数に絞り、フェーズが変われば差し替える。この『絞る/変える』をやり続けること自体がマネジメントだ」と語る。
ユーザベースの松井氏は、自社での取り組みとして「マネジメント」と「リーダーシップ」を明確に分けて定義していると紹介した。マネジメントはスキルとして鍛え、リーダーシップは個人の価値観やスタイルを尊重する。「すべてを同じ型で評価せず、鍛える部分と尊重する部分を分けることで、無理のない成長が促せる」と語った。
長村氏は「スキルとリーダーシップを分けて考えるのは興味深いですね」とコメント。「スキルは習得で伸ばせるが、リーダーシップは内面や価値観からにじみ出るもの。自己理解がないと他人の型を追って迷子になる。この切り分けは非常に示唆的」と述べた。
人事・経営・現場のマネージャーは、何ができるのか
ここで、組織をつくるマネージャーや人事は、どんなことができるのか。あるいは、マネージャーを育成するうえでどんな心構えが必要なのか。議論は“育成を支える側のあり方”へと展開していった。
川口氏は「いちばん効く育成は日々の業務のなかでの上司からのフィードバックだ」と明言する。いくら外部研修や資料を整えても、日常の対話と振り返りほど即効性のある育成手段はない。ただし、その“日常”だけに依存すると属人化する。そのために有効だったのが、同じレイヤーのマネージャー同士が集まり、悩みや不安を共有できる定期の場づくりだという。
評価直前の不安、オンボーディングのつまずきなどを、上司の目線や人事の制約から離れて率直に話せるようにしたことで、マネージャー同士が「自分だけじゃない」と認識でき、自己整理が進む。この「安心して話せる場」の設計そのものが、人事・経営が提供できる価値だと川口氏は言う。
一方で、ユーザーベースの松井氏は「人事が抱え込みすぎるリスク」を指摘する。「困ったら人事が何とかしてくれる」という依存構造が生まれ、人事に負荷が集中したという。「本来、人の課題は現場のマネージャーの仕事。人事がすべてを代行すべきではない」と語った。「どのラインで誰が責任を持つか」を明文化することをしていきたいと考えていると語った。
ファーストラインのマネージャーがまず向き合い、それで解決しなければセカンドライン、次にサードライン。それでも解決しない、あるいは労務リスクになるような案件のみ、人事が最終的に入る。つまり「人の問題はマネージャーの仕事です」という前提を、あらためて組織内で共有し直す動きだ。「人事は支援者であり、最後の砦ではある。でも、常にすべてを肩代わりする存在ではない。この線引きをちゃんと示さないと、現場の『人事が助けてくれない』という不満と、人事側の疲弊の両方が同時に起こる」と松井氏は語る。
Momentorの坂井氏は、人事が果たすべき役割を「伴走」「普及」「ツール化」の3つに整理する。第一に“やってくれるといいな”で終わらせず、「一緒にやりきるところまで伴走する」。第二に、マネージャーだけでなくメンバー側にもマネジメントの理論や考え方を普及させる。「マネージャーだけが理論を持っていて、メンバーは何も知らない」状態では負荷が集中するからだ。第三に、ノウハウやFAQをツールとして配布できる状態にしておくこと。
坂井氏のナレッジをもとに“相談ボット”のような仕組みを持つ企業も出てきており、属人的な「聞かれたから答える」から、再現可能な「仕組みとして渡す」ようなマネジメントAIへのシフトが進んでいるという。現場任せ、人事任せ、どちらにも偏らない仕組みづくりが鍵だ。
会場からの質疑応答の中で注目を集めたのは「メンバーをマネージャーに昇格させる際、絶対に譲れないポイントは何か」だ。坂井氏は「公的権力観」を挙げ、「権力を自分のために使う人ではなく、チームの責任を引き受ける人を選ぶべき」と語った。松井氏は、ユーザベースでは役職そのものを固定的な特権として扱わず、グレードと期待役割で運用していることを紹介した。マネージャー/リーダーという肩書きがイコールで給与や権威と直結しないようにすることで、「権力を取りにいくために昇格したい」動機を抑制する狙いがあるという。
会社としての期待を端的に言語化し、人事は現場が自走できる環境を支援する立場に徹すること、そして歪みを放置しない姿勢の重要性を強調し、セッションは拍手のうちに幕を閉じた。
取材後記
マネージャー育成を「制度」ではなく「現場での行動変化」として捉える重要性が浮き彫りになった。スタートアップにおけるマネージャー像は、フェーズや文化によって絶えず変化する。だからこそ、正解を定めるのではなく、組織全体で“合意を更新し続ける”姿勢が求められる。また、人事が“現場の代行者”ではなく、“現場が自走できる状態を支援する存在”として関わる意識の転換も印象的だった。マネージャー育成とは、結局のところ組織の再現性を高める営みそのものだと感じさせるセッションだった。2025年度の「Startup Culture Lab.」セッションは次回が最終回となる。次のテーマ「心理的安全性の築き方、組織風土の創り方」ではどのような議論が交わされるか注目したい。
※過去の「Startup Culture Lab.」の関連記事をシリーズとしてまとめています。こちらからご覧ください。
(編集・文・撮影:入福愛子)