イノベーションが生まれる肥沃な土壌と、個性あふれるプレーヤー――「STATION Ai」パートナー拠点、東三河エリアの地域力とは?
愛知県ではスタートアップエコシステムの形成や県内でのイノベーション創出を促進すべく「Aichi-Startup戦略」を策定。2024年にスタートアップの中核支援拠点「STATION Ai」を開設すべく準備を進めている。
この動きは中心地である名古屋のみならず、愛知県全体に波及し、各地でスタートアップ支援のさまざまな取り組みが生まれつつある。特に豊橋市を中心とした東三河エリア(豊橋市・豊川市・蒲郡市・新城市・田原市・設楽町・東栄町・豊根村)において、スタートアップ支援に取り組む東三河スタートアップ推進協議会は、「STATION Aiパートナー拠点」(※1)の第1号として注目を集めている。
さらに同エリアには、Startup Garage、emCAMPUS STUDIO、MUSASHi Innovation Lab CLUEという3つのスタートアップ支援施設があり、エコシステム形成の一翼を担っている。
そこで、東三河スタートアップ推進協議会の会長であり、エネルギー事業を中心とした多様な事業を営むサーラグループの代表 神野吾郎氏と愛知県の事業として東三河エリアにおけるパートナー拠点を支援する統括マネージャーである増尾仁美氏の対談を実施。東三河エリアのイノベーション創出のポテンシャルや、スタートアップ支援の具体的な取り組みについて探った。
※1)STATION Aiパートナー拠点
県内各地域で主体的にスタートアップ支援に取り組む機関等。愛知県が整備を進めているスタートアップ中核支援拠点「STATION Ai」と連携・協力し、各拠点の強みを活かした独自のネットワークを構築するもの。
【写真左】 神野吾郎氏
東三河スタートアップ推進協議会 会長/株式会社サーラコーポレーション 代表取締役社長 兼 グループ代表・CEO / 東三河広域経済連合会 会長 / 豊橋商工会議所 会頭
【写真右】 増尾仁美氏 愛知県統括マネージャー
農業・工業ともに全国屈指の力を持つ東三河エリア
――まずは、東三河における産業の特徴についてお聞かせください。
神野氏 : 東三河エリアは、愛知県の東部地区で、約75万人の人口を擁します。特筆すべきことは、農業産出額と製造品出荷額です。
まず、農業産出額は約1,500億円。エリア内の田原市は、全国市町村のなかで2位の851億円を誇ります。そして、東三河が主要産地となる愛知県がシェア全国トップの農畜産物は、野菜、果物、生花など多種多様です。また、質に突出し、有名飲食店と取引をしている農家さんもいます。
もうひとつ、製造品出荷額等は4.57兆円にのぼり、ものづくりに強いという特徴もあります。かつ、業種別構成比をみると、輸送用機械が半分を占めますが、他にもプラスチック、金属製品、食料品など多品種です。
大企業はもちろんですが、地場で高度な技術や強みを持つ会社も多い。そして東京と大阪という大都市の中間に位置しており、物流や人の交流なども生まれやすいという地理的性格もあります。
――農業、ものづくり共に全国的に有数のエリアなのですね。一方で課題はありますか?
神野氏 : サプライチェーンのなかで生産物の重要な供給者となっているものの、ブランディングには課題を抱えています。また、これだけ豊かな産業や経済力があるがゆえに、未来に対する危機感が薄いです。ただ最近では、これまで培ってきた資源を活かしながらイノベーティブなことをしたいという30代~40代の若い方々が出てきています。この動きを地域全体で盛り上げていく必要がありますね。
産業も人も、唯一無二の個性を持つが、ブランディングには課題が
増尾氏 : 確かに、エリアの壁というか、区分けがあるのは感じます。それぞれの役割と、これまで積み上げてきたものの責任があるからこそ動きにくいのかもしれません。そこに、私のような“よそ者”が入っていって、色んなものをつなぎながらかき回す必要があるのではないかと思っています。東三河という大きなエリアで、本来会わなかった人々が出会うきっかけを作ることができたら、新しい可能性や価値が生まれるはずです。
神野氏 : 増尾さんには、まさにそういう仕掛けのための気付きを与えてもらっています。
増尾氏 : 東三河エリアは、先ほど神野さんからお話しいただいたような経済の観点でもそうですし、人のキャラクターも本当に多種多様で面白いんですよ。私は国内外の色んなエリアを転々としてきて、これまでたくさんの方にお会いしてきましたが、東三河の方々はそれぞれ唯一無二なキャラクターで、印象的です。ただ、それをPRしていないのは、すごくもったいないと思います。
神野氏 : これまでは、外部にアピールしないでも生き残れたんですよね。しかしこれからは、その物差しを変えねばなりません。しっかりとしたものを作ることはもちろん、それをアピールする人もちゃんと評価するような文化を醸成することが必要ですね。
地方には、自然や素材やフィールドなど、能動的に動けば非常に魅力的な環境があります。東三河にも、十分に素質があるはずです。だからこそ、増尾さんがおっしゃったように「面白い」人たちが生き残っているのでしょう。21世紀の日本の可能性を開くためにも、安心してチャレンジできる風土を創っていきたいと思っています。
東三河の魅力をグローバルに展開するスタートアップ等も
――多種多様という話が出ましたが、東三河エリアの起業家および企業の動きで、面白い事例があれば教えてください。
神野氏 : 戦後に立ち上がった会社が、これまで東三河エリアの強みを支えてきましたが、今また若い人たちが新しい動きを見せています。
たとえば、エニシングという前掛けの製造販売を行っている会社があります。ここの前掛けは、映画「007」シリーズの最新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」で使用されて話題になりました。エニシングの代表 西村和弘さんは、もともと東京で漢字などのTシャツを世界に向けて販売していたそうです。そのなかで、商品ラインナップを充実させていくなかで昔ながらの製法による前掛けに注目し、豊橋にたどりつきました。
前掛けは豊橋の小さな工場で生産しているのですが、織機が老朽化し、職人も高齢化していることから、もう閉めようという話が出ていたようです。ただ、せっかくの伝統工芸品だから守りたいと考えているときに西村さんが現れ、息を吹き返しました。
その後、西村さんの働きかけで、ニューヨークの紀伊国屋書店のイベントに前掛けを出展したのですが、そこに職人さんたちもみんな連れて行ったんですよ。ニューヨークの人たちが目の前で自分たちが作った前掛けを購入していく様子を見ることで、職人さんたちも奮起したそうです。それから西村さんは、美大やデザイン学校の生徒さんに声を掛けて人材を募り、後継者も育成。一昨年は新しい工場を建てました。
こうした、伝統工芸の絶滅危惧種は、日本中にあるはずです。伝統工芸を切り口としたスタートアップは、米国のシリコンバレーや中国の深センとは違うタイプで、ビッグビジネスにはならないかもしれません。しかし、世界中から価値を認められるものですから、エニシングの西村さんのような需要開拓できる人と生産者がうまくかみ合うと、成功事例がさらに生まれるのではないでしょうか。これはものづくりだけではなく、農産物などにも言えることだと思います。東三河には、そういった土壌、可能性があります。
増尾氏 : 私が注目している東三河エリアのスタートアップは、ワイヤレス電力伝送技術をシーズとした未来の基幹インフラの構築を目指す豊橋技科大発ベンチャーのパワーウェーブさんや、海外でも高い評価を得ているセキュリティ技術を持つShaxwareさん、農業に特化した求人プラットフォームを展開するアグリトリオさんなどですね。
また、スタートアップではありませんが、戸田工務店さんは奥三河の古民家を海外に移築する事業を進めていらっしゃいます。こちらも、世界に目を向けてニーズを発掘し、つなげていく素晴らしい事例だと思います。
神野氏 : 豊橋の武蔵精密工業さんは、イスラエルのイノベーションセンターと提携して、AIの共同開発をおこなっています。
レンタルドレス事業のミスコンシャスさんも面白いですね。こちらは蒲郡に本社があり、働く女性をサポートする取り組みもしていらっしゃいます。代表の小山絵実さんは、全国商工会議所女性連合会の「女性起業家大賞」で最優秀賞を受賞しました。全国に高級チョコレート店を展開するQUONチョコレートも、豊橋に本社があります。こちらの会社では、スタッフの約7割が障害のある方です。
また、本社拠点は京都ですが、ハードウエアスタートアップ支援のMonozukuri Ventures代表の牧野成将さんは豊橋の出身です。彼は東三河エリアのものづくりの底力に着目していて、金属加工など高度な技術力を持つ企業をネットワーク化しようという構想を持っていらっしゃいます。
こうした、地域愛を持ちながら他のエリアで活躍している出身者も、どんどん入ってこられるような環境も、東三河としてつくっていきたいですね。
イノベーターを集めてつなぎ、イノベーション創出を支援する
――実際のスタートアップ支援やイノベーション創出支援の内容についてもお聞かせいただけますか?
増尾氏 : 多様な方が新しいことにチャレンジしていますが、まだ「新しいことにチャレンジしたいけれど場がない」という声もあります。東三河は8市町村にまたがる広い地域なので、仲間がみつけにくいことも課題です。そこで、東三河8市町村で「起業や新規事業にチャレンジしてみたい」「この地域を良くしたい」「新しいつながりを創りたい」という有志30人くらいが集まり、誰でも参加できて簡単に出会える場をつくっています。
そこで集まった4人の学生さんたちがチームを作って、今度起業するかもしれないという話も聞きました。彼らは優秀で起業や新規事業に興味はあったのですが、はじめは及び腰だったんです。でも、様々な人に話を聞きに行く中で、「アイデアだけで終わるのは悔しい」となって、どんどん考えが変わって前のめりになっていきました。この活動を始めてまだ4カ月ですが、底知れないポテンシャルを感じています。 東三河に面白い人を外からも中からも集めて、人と人とをどんどんつないでいけば、本当に面白いことができそうです。
▲増尾氏は、東三河エリアの起業家コミュニティ『Higashi Mikawa UPPERS』を地域の人々と共に組成。両手の人差し指を上に向けるポーズは、同コミュニティのハンドサインとなっている。
神野氏 : 学生さんのパワーには期待できますよね。豊橋技術科学大学には、日本中の高専から優秀な学生が集まっています。そして、現在300人くらいがアジアを中心とした海外からの留学生です。彼らの熱量は本当にすごいので、もう一歩踏み込んでいけると、面白そうですね。
――先ほどのスタートアップ事例でもお話しいただきましたが、東三河の魅力と日本の他のエリアや海外とをつなぐ動きも、これから活発になりそうですね。
神野氏 : これまで地方都市は、企業誘致や工場誘致を大切にしていました。しかしこれからは、もっと地域のポテンシャルを外部やグローバルと掛け合わせて、イノベーティブに活かしていくことが必要だと考えています。東三河には、農業・工業ともに強みがあります。しかも工場は日本を代表する企業のマザー工場があったり、最先端の技術を持つ工場が多種多様にあります。
ただ、現状ではその工場や企業のなかで完結してしまっているんですね。そこに、多種多様な人々が入ってくることで、もっと交流を生み出していくことができたら、新しいことが生まれるのではないかと思います。その場を、2021年11月にオープンしたばかりの「emCAMPUS」などでも作っていきたいです。
――「emCAMPUS」とはどのような施設ですか?
神野氏 : 1階は食の発信拠点で、地域の方々や外部の方々にも楽しんでいただけます。関係者の方々にとっては新しい商品開発をするなど、チャレンジができる場所です。2階・3階は「まちなか図書館」で、パフォーマンススペースがあります。テーマ別にコーナーがあり、それぞれ興味がある人たちが集まれるような仕掛けを考えています。5階はスタジオで、人々が集まって共創したり発信したりできる拠点です。舞台は整っているので、あとはそこを彩っていただける人が育つことが大切ですね。
「東三河にはチャンスがある」と、世界中にその認識を広げたい
――STATION Aiとの連携については、どのようなことをお考えでしょうか。
神野氏 : 東三河の特徴を出すために、まずは「食・農」の分野での連携を考えています。生産者の実証実験のフィールドを提供するなどして、「食・農」についてチャレンジをしたい人が集まれる環境をつくりたいですね。
豊橋技術科学大学には、農業に関わる様々な技術や情報があるのですが、それらを英語でぜひ世界に発信して欲しいと先生たちにお願いしています。日本だけで発信していても限られていますが、世界に発信すれば、思いがけないつながりが生まれてくるかもしれません。
――改めて、これからの東三河エリア発展におけるビジョンをぜひお聞かせください。
神野氏 : 東三河を、クリエイティブエリアにしていきたいと考えています。さまざまな人やモノをつなげて、創造して、価値を生むイメージで、「ここに行くとチャンスがある」と内外の方に思っていただけるエリアを目指します。日本はもちろん、世界中の人が集まり、チャレンジをしながら、健康で美しく強く楽しく、豊かな生活をおくれるようにしたいですね。
増尾氏 : 色々な人をつなげるというなかで、世代間の交流もひとつの課題なのかなと思っています。神野さんをはじめ、東三河には第一線で活躍しておられる方々がたくさんいらっしゃいます。そうした大先輩と若手が断絶しているのはもったいないので、世代をブリッジして交流する場ができたら、また面白い展開になるはずです。
取材後記
農業や工業の強みだけではなく、多種多様なプレーヤーが息づく東三河エリアの魅力が伝わってくる取材だった。世の中にまだ知られていない、このエリアの面白さをもっとアピールできれば、大きなうねりが起こるかもしれない。エニシングのように、地域で長く受け継がれてきた伝統工芸や技術と世界のニーズをつなげ、後継者育成まで行う事例が全国的に広がれば面白そうだ。イノベーションを生み出すポテンシャルあふれる東三河エリアで、どのようなスタートアップや新規事業が育まれるだろうか。今後も注目していきたい。
(取材・編集:眞田幸剛、文:佐藤瑞恵、撮影:山﨑悠次)