御厩敷(オンマヤシキ)の苗字の由来(2020-5-8)
こんにちは。
フィッシュリップルの御厩敷(オンマヤシキ )@リモートワークです。
簡単に自己紹介させていただきます。
御厩敷 直(オンマヤシキ タダシ)と申しまして、フィッシュリップル株式会社で2019年1月よりクライアント様のマーケティング活動におけるプロジェクトマネジメントやコンサルティング、元銀行員というバックグラウンドを活かして個人事業主や小規模企業向けにファイナンス(財務)のコンサルティングを行っております。
今回何を書こうか迷いましたが、普段初対面の方からこの苗字への興味感心や質問攻め(またの名を苗字いじり)を多く頂戴しておりますので、ここで一度きちんと説明させていただきます。
御厩敷(オンマヤシキ)とは
御厩敷(オンマヤシキ)の苗字の由来ですが、岩手県九戸郡洋野町の有家(うげ)という地名の苗字でして、「新古今和歌集」の選者として知られている藤原 有家(ふじわら の ありいえ)の馬の世話をしていたので、御前の「御」、厩務員の「厩」、屋敷の「敷」で「御厩敷」となったと聞いております。
藤原 有家って誰…となるかもしれませんが、Wikipedia先生で調べると、このように出てきます!
藤原 有家(ふじわら の ありいえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿・歌人。従三位・藤原重家の三男。初名は仲家。官位は従三位・大蔵卿。
仁安2年(1167年)に叙爵、治承2年(1178年)に少納言となる。建久年間以降、歌人として広く知られるようになり、建仁元年(1201年)に和歌所の寄人となり、同2年(1202年)には和歌の賞(『明月記』同年7月24日条)で大蔵卿となる。承元2年(1208年)には従三位に叙せられた。また、藤原定家と共に『新古今和歌集』の撰者となった。建保3年(1215年)に出家して寂印と名乗るが、翌建保4年(1216年)に死去。享年62。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』,検索(藤原 有家), (参照 2020-05-07)
これを見ると、岩手と関係ある?ってなりますよね!
ただ、青森県名川町の「斗賀観音御縁記」によると、こうあります。
藤原有家をまつる有家神社
むかしむかし、京都の三条高倉という所に二条関白太政大臣藤原有家卿という、天皇の信頼も厚く「夢かよう道さえ絶えぬ呉竹の伏見の里の雪のした折」など詠い和歌にもすぐれた立派な公家がいた。
(省略)
しかし、いつの世にも人の幸せをねたむ者がいるもので、それをねたんだ因幡守平秋朝という邪悪な心をもった公家が。。。
(一部省略)
果たして、天皇はたいそう驚き怒り、有家の弁明を聞かず有家兄弟をエゾ地へ流罪を申しつけた。
出典:洋野町のヒステリア,藤原有家をまつる有家神社
苗字の由来、いかがでしたでしょうか?
長くなってすみません…
社内では主に営業やデジタル分野、サービス開発を担当しております。
引き続き、役立つ情報をブログで発信していければと思っておりますので、
何卒よろしくお願い申し上げます。
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