北欧のスタートアップシーンが凝縮された「Slush」レポ。ピッチ優勝は加熱する“中古市場”の新サービスに
フィンランド発のスタートアップイベント「Slush」が、2023年11月30日、12月1日にヘルシンキで開催された。欧州全域やアジアからも参加者が集まる北欧最大級のイベントで、今年はジャパンパビリオンが設置され、日本企業8社も参加した。
世界のスタートアップが取り組むイノベーションの"タネ"を紹介する連載企画【Global Innovation Seeds】第50弾では、北欧のスタートアップシーンが凝縮されたイベント「Slush 2023」を取り上げる。
公式サイトによれば、今年はスタートアップ関係者5,000人、投資家3,000人、メディア関係者300人を含む約13,000人が参加した。生配信されたYouTubeの視聴を通じて、本イベントのレポートを届けたい。
提供:Slush 2023 ©Petri_Anttila
サムネイル写真提供:Slush 2023 ©Petri_Anttila
世界No.1の語学アプリ「Duolingo」の軌跡
Day1で登場したのは、5億ダウンロードを突破し、世界でもっともダウンロードされている語学アプリ「Duolingo(デュオリンゴ)」の共同創業者、兼CTOのSeverin Hacker氏。彼は冒頭で、「私たちの使命は誰もがアクセスできる最高の教育を提供することだ」と自社のビジョンを語った。
▲登壇した「Duolingo」の共同創業者、兼CTOであるSeverin Hacker氏(左、提供:Slush 2023 ©Dustin_Preick)
そのビジョンの通り、Duolingoは学習コンテンツが無料で提供されている。有料プランの「Super Duolingo」(1年:9,000円、1ヵ月:1,100円、ファミリー割引もあり、2023 年12月現在)だと広告が非表示になり、利用制限が撤廃される。
共同創業者のHacker氏とLuis von Ahn氏は、アメリカのカーネギー・メロン大学で出会ったのだが、当時Hacker氏は学生、Ahn氏は英語を教える教授だった。Hacker氏いわく「Ahn氏はこれまで出会った中でもっとも頭がいい人だった」そうだ。
よくある学生同士の共同創業ではなく立場の違う2人が起業するにあたり、2人は契約書のような書面を作成し、明確な役割分担を記した。これがパートナーシップを平等にする上で役立ったという。
提供:Slush 2023 ©Dustin_Preick
Duolingoのマイルストーンとして、Hacker氏は次の2つをあげた。まず2012年のリリース当初から他社よりも早くアプリに最適化していたこと。当時はウェブサイトが主流であり、多くの競合はウェブサイトでサービスを提供していたが、早期からアプリ仕様としたことが功を奏した。そこにゲーム要素が加わり、かつ無料で学べるメリットから1年間で14倍という驚異的なスピードで成長した。
もう1つは、2016年にサブスプリクションを採用したこと。2011年の創業から5年間は収入ゼロで言語学習コンテンツを提供していたが、ようやくマネタイズに踏み切った。当時サブスクの先駆者としてSpotifyが人気を得ており、サブスクが市場に受け入れられていたことも成功の要因だったようだ。
今年10月には「音楽」と「数学」コースがリリースされた。Hacker氏は最先端のAIを活用して、1対1の家庭教師のような効果を再現したいと締めくくった。
ピボットで成功した「Slack」の創業ストーリー
▲登壇した「Slack」の共同創業者、兼CTOのCal Henderson氏(左、提供:Slush 2023 ©Dustin_Preick)
Day2のセッションからは、「Slack」の共同創業者 兼CTOのCal Henderson氏による創業ストーリーを紹介したい。Slackの創業前、メンバーはゲームの開発を行っていた。しかし4年間を費やしても日の目を見ずに資金が底を尽き、彼らはピボットを決意する。
ビジネスアイディアの検討を重ねた末、自社のチームコミュニケーションのために開発したコミュニケーションツールを売ることにした。その背景にあったのは「透明性」で、このようなツールがない企業で働いていた際、管理職でなければ、その場にいなければ、どのような意思決定がされているか把握できなかった原体験があったという。Slackを使うことで、いつ、誰が、なぜ、どのような意思決定をしているかを迅速に把握できるようになり、根本的に組織を変えられると気づいたためだ。
提供:Slush 2023 ©Dustin_Preick
Slackの立ち上げで苦労したのはテストカスタマーを見つけることだったとHenderson氏。ゲーム事業で失敗した後に、友人たちが働くベイエリアのスタートアップへ何度も出向き、試してほしいと説得した。結果的に1年間の非公開アプリのテストで多くのフィードバックを得て改善を重ねた。2014年2月に一般公開されると、初日に8,000件、2週目までに15,000件のリクエストを受け取り、大成功を収めた。
同社によれば、Slackの活用によりメールが32%、会議が27%減少するそうだ。今日Slackには1,800万人のアクティブ ユーザーがおり、156,000の組織が利用している。2021年7月には、Salesforceに277億ドルで買収された。
恒例のコンペ「Slush 100」の優勝者は?
▲会場ではダンスや歌のパフォーマンスも行われていて祭りのような雰囲気だ(提供:Slush 2023 ©Petri_Anttila)
Slushといえば、毎年恒例のピッチコンペティション「Slush 100」への参加は欠かせない。決勝戦に残った3社のビジネスモデルと優勝者を紹介したい。
①支払いデータを統合する「Congrify」
▲ノーコードで支払いデータを統合できるプラットフォームを提供(Congrifyの公式ホームページより)
2022年にイタリアで創業したCongrifyは、ノーコードで支払いデータを統合できるプラットフォームを提供している。PayPalやStripe、Klana.などの決済サービスと連携させ、支払いデータを取りまとめた分析データも提供する。
同社いわく、世界には2000以上の決済サービスプロバイダーがあり、470以上の支払い方法がある。さまざまな事業者から断片化されたデータを収集するのは多大な労力がかかる。このデータの統合を特別なスキルを必要とせずに可能とするのがCongrifyだ。
▲登壇した創業者のMarco Conte氏(提供:Slush 2023 ©Petri_Anttila)
同社のチームは決済業界で合計30年以上の経験を持つプロフェッショナルで、国際的な販売業者、決済サービスプロバイダーと、フィンテックに携わってきた。複雑性のあるサービスゆえ、市場理解とエンジニアリングの技術力の高さが武器になっているようだ。
②新品の代替えとなる中古品を探せる「Faircado」
▲オンラインショッピングの際、自動的に代替えの中古品を探せるブラウザプラグインを提供(Faircadoの公式ホームページより)
2021年にドイツで創業したFaircadoは、オンラインショッピングにおいて55社以上のサービスからベストな中古の代替品を探せるブラウザプラグインを提供している。欧州では日本以上に中古市場が急成長しており、その市場は2,000億ユーロにのぼり、小売の11倍の速さで成長しているという。
加速度的に成長している市場ゆえ、さまざまな事業者が参入し、情報が混沌としている。そこで“eコマース”を”Reコマース”に変えるツールとして、AIを活用した持続可能なショッピングアシスタントの開発にいたった。
▲登壇した共同創業者 兼CEOのEvoléna de Wilde d‘Estmael氏(提供:Slush 2023 ©Petri_Anttila)
同プラグインは無料で提供され、アカウントを作成すれば利用できる。通常通りオンラインで買い物をすると中古品、またはリファービッシュ(整備済)製品が自動的に画面上に表示される。中古品やリファービッシュ製品の販売事業者から手数料を徴収するビジネスモデルであり、特に需要が高い領域は子ども向けの洋服、書籍、電子機器だという。
③心血管リスクのある患者にデジタル医療を提供するLifeyear
2021年にエストニアで創業したLifeyearは、心血管疾患のリスクがある患者に向けたデジタル医療を提供する。心血管疾患は世界中で3人に1人の死亡原因となっており、年間2,000万人が心血管疾患により死亡しているという。また、心臓に関する疾患の80%は早期の治療により予防できるそうだ。
▲心血管疾患のリスクがある患者に向けたデジタル医療を提供(Lifeyearの公式ホームページより)
そこで、同社が提供するのは肥満、高血圧、脂質異常症、糖尿病の4つの心血管リスク状態に対して、健康状態のモニタリング、臨床ガイドラインに基づいた行動介入プログラム、心臓疾患のリスク軽減、健康関連の教育コンテンツの配信、医療ケアチームとの個人の進捗レポート共有などが行える心血管疾治療プラットフォームだ。
医師、科学者、エンジニアなどによるチーム編成で、提供するプラットフォームは複数の最先端技術、デジタルスクリーニングアルゴリズム、遠隔監視行動治療プログラム、AI対応の患者エンゲージメントシステムを組み合わせたソフトウェアとなる。
▲登壇した創業者 兼CEOのSiim Saare氏(提供:Slush 2023 ©Petri_Anttila)
医療事業者と契約し、月々のサブスプリクションと年間ライセンス料金を徴収して収入を得るビジネスモデルだ。同プラットフォームは医師から患者へ提供され、健康保険の利用を想定している。
▲優勝者はFaircadoで、同社は100万ユーロを受け取った(提供:Slush 2023 ©Samuli_Pentti)
優勝者は代替の中古品を見つけるブラウザプラグインを提供するFaircadoで、100万ユーロ(約1億5,600万円)を受け取った。審査員は、Faircadoのサービスを「プロダクトマーケットフィットを備えており、並外れた影響を与えられる機会を持っている」と評価した。
▲Slushは若手メンバーとボランティアで企画・運営されている(提供:Slush 2023 ©Dustin_Preick)
▲2年連続でゲストに登場したフィンランド元首相のサンナ・マリン氏(提供:Slush 2023 ©Samuli_Pentti)
▲内装は基本的に派手で、写真から気分が高揚するような空気感が伝わる(提供:Slush 2023 ©Otto_Jahnukainen)
画面越しではあったが、例年通りの盛り上がりが見られたSlush。会場にはフィンランド元首相のサンナ・マリン氏も登場し、首相を退いた現在も圧倒的な存在感を見せつけた。若手のメンバーとボランティアが中心に運営しているイベントであり、時に粗が見えることもあるが、そんな失敗も含めて“Slushらしさ”なのだろう。
編集後記
筆者はSlushとデンマーク発のスタートアップイベント・TechBBQを2021年から追っているが、年々ゲストが豪華になっている印象がある。サンナ・マリン氏は画面越しでも伝わるオーラがあり、女性リーダーの力強さを見せつけていた。ワークライフバランスやジェンダー平等などの文脈で語られることが多い北欧だが、野心あふれる起業家の存在にもぜひ注目してみてほしい。
(取材・文:小林香織)