BAK発プロジェクトが発展し、新会社「TripX」が誕生――箱根DMOと東大発スタートアップの共創が、全国の旅館・ホテルのDX化を支援!スピーディーな事業化の成功要因とは
日本を代表する温泉観光地・箱根を舞台に、オーバーツーリズムという長年の課題に挑んだ共創プロジェクトがある。神奈川県が主催するオープンイノベーションプログラム「BAK(ビジネスアクセラレーターかながわ)」を通じて出会ったのは、「官民一体ALL箱根」を掲げ箱根の観光戦略を推進する箱根DMO(一般財団法人箱根町観光協会)と、観光業のAI・DX推進を担う東大発スタートアップ・イージーエックスだ。
両社はBAKの共創開始からわずか2ヵ月でβ版をリリース、その後正式公開したAI旅程提案サービス「はこタビ」は、リリースから1ヵ月でユーザー数1万人を突破した。この成功体験は両社をさらに深い関係へと導き、2025年4月には新会社・トリップエックス(TripX)の設立、そして宿泊DXプラットフォーム「Tripbox」のリリースへと発展。現在、「Tripbox」は北海道から四国まで全国約30のホテルや旅館に導入されている。
箱根DMOのマーケティング責任者でTripX取締役COOの原洋平氏と、イージーエックス代表取締役でTripX代表取締役CEOの西村拓人氏の2名に、出会いから共創の舞台裏、新会社設立という新たな挑戦について話を聞いた。
箱根の観光課題をAIで解決する――共創プロジェクトのはじまり
――まず、箱根DMOとイージーエックスそれぞれのBAK参加の背景を教えてください。
原氏 : 箱根DMOでは、観光庁の事業を通じてデジタルマップを構築し、交通データや飲食店の混雑状況などをリアルタイムで集約した「観光統合データベース」を整備してきました。月に1.6万人が閲覧するデジタルマップも立ち上げ、渋滞情報の可視化や周遊ルートの提案といった機能も実装しています。
ただ、データを「見せる」だけでは、観光客の行動変容まで促しきれないという課題感がありました。また、データ基盤を維持・継続するためのマネタイズも必要でした。そこで、このデータを外部に開放し、もっと使いこなせるパートナーを募れないかと考えたことが出発点だったのです。
BAKを知ったのは、箱根DMO専務理事の佐藤が神奈川県との関係の中で情報を得たことと、賛助会員でもある藤田観光さんが前年にBAKに参画されていたからです。パートナー募集にはハッカソン形式で箱根DMO自体で進めようという案もあったのですが、BAKを活用した方がパートナーを確実に、かつ早く見つけられると判断しました。
▲原洋平氏(株式会社トリップエックス 取締役COO/ホテルおかだ 常務取締役/箱根DMO マーケティング責任者)
西村氏 : 私は横浜出身で、本社も横浜に置いていたこともあり、神奈川県内のスタートアップコミュニティの情報からBAKを知りました。イージーエックスを立ち上げたきっかけは、AIを観光業に活用して貢献できないかという思いがあったからです。
ただ、最初から明確なプロダクトがあったわけではなく、探りながら動いていた段階でした。BAKのテーマを確認すると、箱根DMOさんのテーマがまさに自分たちのやりたいことと合致していて、ここで提案できそうだと感じました。
▲西村拓人氏(株式会社トリップエックス 代表取締役CEO/株式会社イージーエックス 代表取締役)
――箱根の観光課題について、もう少し詳しく教えていただけますか。
原氏 : 箱根にいらっしゃる観光客は首都圏からの来訪が圧倒的に多く、来訪手段の53%が車です。当然、道路渋滞が慢性化していて、観光客アンケートでの「改善してほしい点」のトップが道路渋滞でした。
一方で、旅行の目的数が増えるほど観光消費額が増加するというデータも取れていたので、周遊を促進することが収益向上にも直結すると考えられます。ところが、渋滞がその周遊を阻んでいるのです。この悪循環を断ち切ることが、長年の課題でした。
――箱根DMOがイージーエックスをパートナー企業として採択した理由をお聞かせください。
原氏 : BAKで募集をしたところ、15~20社ものベンチャー・スタートアップから応募をいただきました。しかし多くの応募企業は「自分たちの事業をどう当てはめるか」という提案でした。一方で、イージーエックスからは「箱根DMOが持っているデータをどう活用するか」という視点での提案をいただけたのです。私たちが求めていたのは、まさにその発想でした。
――西村さんは、どのようなことを意識して提案したのでしょうか。
西村氏 : 課題にしっかりミートする提案をすることを最も意識しました。箱根のオーバーツーリズムをどう解決するかを真剣に考え、国内外の事例も踏まえながら、箱根DMOが持つデータでどこまでできるかを絞り込んでいきました。
共創スタート3週間でサービスβ版を立ち上げた開発の舞台裏
――共創プロジェクトのスタートから約3週間で、AIでパーソナライズされた混雑しない旅程提案システム「はこタビ」β版をリリースしました。このスピード感は驚異的ですが、どのように実現したのでしょうか。
西村氏 : BAKは2024年10月に共創プロジェクトがキックオフして、2025年2月末に成果発表会開催というスケジュール感です。実質4〜5ヵ月という短い期間の中で成果を出すには、逆算すると2024年中にはリリースしないといけません。その意識が最初からありました。スタートアップのやり方として、まず動くものを出してフィードバックを得ながら磨き上げるのが最善です。最初はLINEbotで作ったものでしたが、そこで得た学びをもとに要件を固め、オフィスに缶詰になりながら一緒に開発を進めていきました。
原氏 : 定例ミーティングの場で課題をクリアにして議論を進め、アクションに落とし込むことができたため、プロジェクトが停滞することがありませんでした。「持ち帰って検討します」がほとんどなかったんです。
打ち合わせの最中に私が「こういうデータがある」と見せると、西村さんがその場で実装を進めるようなスピード感でした。また、BAKを運営するeiiconのメンターが定例ミーティングに参加してくれて、私たちが気づいていない角度の課題を提示してもらえたことも、進捗を加速させたと思います。
▲2025年2月に開催されたBAKの成果発表会(※関連記事)
――「はこタビ」ならではの強みはどこにあるのでしょうか。
西村氏 : 最大の特徴は、箱根DMOが保有する道路混雑予測データとスポットの詳細タグデータを組み合わせている点です。一般的な旅程提案サービスはオープンデータのみを使うため、どうしても混雑しやすいスポットに誘導してしまいます。
その点「はこタビ」では、ユーザーの年齢・日程・好みに合わせつつ、混む時間帯を回避したルートを提案することができます。また、「穴場スポット」という訴求が非常にユーザーに刺さりました。「知らなかったスポットが出てきて、行くことに決めました」というアンケートの声が多く、これは観光消費額の増加にも直結します。
原氏 : 「王道ルート」と「穴場ルート」の分類を作る際、100ヵ所ほどの観光スポットについてDMOのメンバー全員で議論して分類しました。その過程で、自分たちが当たり前と思っていた地域の魅力が、観光客にはどう見えているのかを改めて考え直すきっかけにもなりました。地元のスタッフが集合知を出し合い、それがシステムに落とし込まれたのは、箱根DMOとスタートアップが一緒にやったからこそ生まれた価値だと思っています。
▲観光スポット、グルメ、温泉など、箱根の魅力を存分に楽しめるプランを、AIがパーソナライズしてユーザーに届ける「はこタビ」。(画像出典:はこタビHP)
――2024年12月に「はこタビ」を正式リリースし、1ヵ月でユーザー数1万人を突破。最終的にユーザー数2万人に達したとのことですが、なぜそれほどのユーザーを短期間で獲得できたのでしょうか。
西村氏 : 箱根DMOさんが持つデジタル資産を最大限に活用できたのが大きかったですね。月間1.6万UUを誇る箱根観光デジタルマップからの流入口を設けてもらい、公式SNSでの発信も協力いただきました。
箱根という観光地そのものが持つWeb上のプレゼンスを、うまく活かせた形です。もともとKPIは「既存のデジタルマップと同程度のユーザー数1万人」に設定していましたが、最終的にはその2倍の2万人に達することができました。
原氏 : 複数のメディアに取り上げていただいたことも、認知拡大に大きく貢献しました。オーバーツーリズムという社会課題にAIで取り組むという構図が、メディアにとっても取り上げやすいテーマだったのだと思います。広告出稿も2件獲得でき、マネタイズの第一歩を踏み出すこともできました。
「BAK」の共創から新会社設立へ。旅館・ホテルのDXに挑む
――BAKでの共創がきっかけとなり、2025年4月に新会社TripXを設立されましたね。その経緯を教えてください。
原氏 : 私は箱根の「ホテルおかだ」の常務取締役としてIT導入などを牽引しているのですが、さらなる業務効率化のために、ホテルおかだとは別の会社を立ち上げていました。そこで5~6年かけて、ホテルの売上予測のレベニュー管理や問い合わせ対応の効率化といった業務を自分でコツコツシステム化していたのです。
ただ、一人では広げていく限界があり、優秀なエンジニアとの出会いも待ち望んでいました。BAKで西村さんたちと共創をしていくなかで、観光業への本気度と技術力の高さを肌で感じました。
「この人たちとなら、もっといいものにできる」と確信し、BAKの共創期間の終盤に一緒にやらないかと声をかけたのです。それがTripXの設立、そして旅館・ホテルの経営改善を支援するプラットフォーム「Tripbox(トリップボックス)」の誕生につながりました。
――西村さんは、原さんから声を掛けられてどう思いましたか?
西村氏 : 私自身、BAKの共創期間が終わった後も、旅館・ホテル業の課題にAIで向き合いたいと考えていました。そこでアイデアを自分なりにリストアップして原さんに提示したところ、「それ、実はうちでもう取り組んでいるんだよね」という話がどんどん出てきたんです。原さんが考えていたことの深さと解像度を知って、一緒にやった方が確実に大きなことができると感じ、即決しました。
そして宿泊施設の業務を知るべく、BAKのデモデイが終わったその翌日から、ホテルおかだで1ヵ月間の住み込みアルバイトを始めました。予約課やフロント、レストランなど様々な部署を実際に経験して、現場の課題をリアルに把握してからプロダクト開発に臨んだのです。
――「Tripbox」とは、具体的にどのようなサービスなのでしょうか。
西村氏 : 「Tripbox」は旅館・ホテルがAIとデータを活用して経営と現場業務を改善するためのプラットフォームです。主な機能としては、先々の予約状況を可視化し、適切な価格設定(レベニュー管理)を支援する機能と、問い合わせメール対応をAIで自動化・効率化する機能が柱になっています。旅館には1日あたり数時間を問い合わせ対応に費やしているケースもあり、その業務を半分から4分の1程度に削減することを目指しています。
――現在「Tripbox」は、ホテルおかだで活用されているのですか?
西村氏 : ホテルおかだでの実証から始まりましたが、現在は全国の旅館・ホテルに外販を始めています。既に全国30の宿泊施設に導入済みです。北海道の登別温泉から愛媛の道後温泉まで、日本各地の温泉旅館を中心に広がっています。
原氏 : 旅館業はオペレーションがそれぞれの施設ごとに独自で、システム化が難しい領域です。ホテルおかだだけに最適化するのではなく、各施設のユニークなオペレーションを尊重しながら経営改善を支援できる仕組みにしていこうというのが、西村さんたちとの共通の方向性です。
▲旅館経営におけるすべての重要指標を俯瞰できるダッシュボード機能など、属人性に頼らない”強い旅館経営”を支援する「Tripbox」。
共創の先に見えてきた景色と、BAKへの想い
――TripXの今後の展望をお聞かせください。
西村氏 : 旅館・ホテル業界は人手不足と生産性の低さが深刻な課題です。生成AIをうまく活用することで、この課題に対処できるフェーズが今後2〜3年で本格的に到来すると見ています。一つのプロダクトに留まるのではなく、業務全体をトータルで効率化できる会社を目指したいと考えています。
今年は、2月出展した展示会でも好評をいただき、全国への営業展開を加速しているところです。また、神奈川県の「かながわ・スタートアップ・アクセラレーション・プログラム(KSAP)」(※)にも採択いただき、そこでの伴走支援も事業成長に大きく貢献しています。
※KSAP……社会課題の解決に取り組むスタートアップを伴走支援するプログラム。
――最後に、BAKへの参加を検討しているスタートアップや企業へメッセージをお願いします。
西村氏 : BAKは、大企業や地域の有力企業と対等にビジネスを共創できる貴重な場です。採択を勝ち取るには、相手が提示しているテーマや課題に対して、自分なりに徹底的に考え抜いた提案をすることが大切です。私自身、箱根DMOの専務理事が課題感を語る動画を何度も繰り返し見て、提案を練り込みました。その基本的な積み重ねが、すべての出発点になったと思っています。
原氏 : パートナー企業を募集する際に求められるのは、自分たちの課題を明確にして、しっかり発信することです。そして、スタートアップと組むということは、スピード感や意思決定の文化が自分たちとは大きく異なる相手と仕事をすることを意味します。その違いを柔軟に受け入れ、むしろそのスピード感を活かせるような組織体制を整えることが、共創を成功に導く鍵だと感じています。課題の解像度とオープンマインドの両方が必要ですね。
取材後記
BAKという「場」が持つ力を、今回の取材であらためて実感した。箱根DMOとイージーエックスの出会いは、双方が「やりたいこと」を明確に持っていたからこそ、短期間での信頼構築とプロダクト開発につながった。そして印象的だったのは、その共創が単なる実証実験の成功にとどまらず、新会社の設立という形で事業として根を張り始めていることだ。西村氏のホテルおかだへの住み込みアルバイト体験に象徴されるように、観光業の現場に真剣に向き合う姿勢が、「Tripbox」というプロダクトの解像度の高さを生み出している。箱根のオーバーツーリズムという社会課題から始まった共創は、今や全国の旅館・ホテルの経営DXという大きなテーマへと広がりつつある。両社の挑戦が、日本の観光産業全体に新しい風を吹き込んでいくことを期待したい。
(編集:眞田幸剛、文:佐藤瑞恵、撮影:齊木恵太)