【Startup Culture Lab. 2025年度 #7レポート】心理的安全性とD&Iがつくる「勝てる組織」とは――スタートアップの組織風土醸成を考える
イノベーションを起こし急成長するスタートアップならではの、人材・組織開発に関する学びと知見を広くシェアする研究プロジェクト「Startup Culture Lab.」。2025年度で3期目を迎える本プログラムは、スタートアップ企業が急成長の過程で直面する“組織課題”に向き合い、解決策を共に探っていくことを目的としている。
第7回となる今回のテーマは「心理的安全性の築き方と組織風土の創り方」。2025年度の最終回として開催された本セッションでは、「心理的安全性」と「D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)」をキーワードに、スタートアップが“勝ち続ける組織”をつくるための実践知が、理論と現場の両面から語られた。
<登壇者>
・池上 信子 氏 / Netflix合同会社 Manager, Inclusion Strategy
・岡 利幸 氏 / 株式会社アトラエ 取締役 CTO
・西 勝清 氏 / Notion Labs Japan 合同会社 ゼネラルマネジャーアジア太平洋地域担当
・石井 遼介 氏 / 株式会社ZENTech 代表取締役(当日モデレーター)
各登壇者の自己紹介
この日のモデレーターを務めたのは、株式会社ZENTechの石井氏。石井氏は、心理的安全性を軸とした組織改善およびエンゲージメント向上の支援が専門。研究者・データサイエンティスト・プロジェクトマネジャーとして、組織・チーム・個人のパフォーマンス研究に従事。アカデミアに蓄積された理論やエビデンスを、ビジネスの現場で活用可能な形に翻訳し、成果につながる仕組みづくりを支援している。
▲石井 遼介 氏 / 株式会社ZENTech 代表取締役(当日モデレーター)
続いて3名のパネリストの自己紹介に移った。Netflix合同会社の池上氏は、前職のMetaやAppleで約20年間にわたり、アジア太平洋・グローバルを舞台に多様なチームのマネジメントを行ってきた。Meta社でのレイオフをきっかけに独立し、D&I領域に本格的に携わるようになった背景も語られた。「ビジネスを通じて、ダイバーシティとインクルージョンの力を実感してきた」と話す。
▲池上 信子 氏 / Netflix合同会社 Manager, Inclusion Strategy
続いて自己紹介したのは、株式会社アトラエ 取締役 CTOの岡氏。新卒1期生として社員5名のアトラエに入社し、現在150名規模まで成長させてきた“生え抜き”のキーパーソンだ。転職サイト「Green」やエンゲージメントサーベイ「wevox」を展開し、役職のないフラットな組織づくりでも知られる同社において、営業・プロダクト・組織開発を横断して牽引してきた。「おそらく日本で一番“組織が好きなCTO”だと思う」と笑いを誘いながら自己紹介を締めくくった。
▲岡 利幸 氏 / 株式会社アトラエ 取締役 CTO
Notion Labs Japan 合同会社でアジア太平洋地域を統括する西氏は、日本におけるサービス立ち上げ時の最初の社員として入社。サンフランシスコ本社が50名規模だった頃から現在の1,000名規模までの変化を見てきた人物であり、日本オフィスも1名から70名強へと成長させてきた。「日本・韓国・オーストラリアという多拠点を束ねる中で、『人と組織』のテーマに日々向き合っている」と語る。
▲西 勝清 氏 / Notion Labs Japan 合同会社 ゼネラルマネジャーアジア太平洋地域担当
心理的安全性とD&Iは「優しさ」ではなく、成果のための土台
本題に入る前に、ZENTechの石井氏が「心理的安全性」と「D&I」について解説した。心理的安全性は、単なる“居心地のよさ”ではなく、「成果に向かって率直に意見を交わせる状態」を指す。わがままや遠慮のない放言ではなく、本音で建設的に議論できる関係性だと語った。研究でも、心理的安全性の高い組織ほど学習が促進され、パフォーマンスや離職率に影響することが示されているという。
その字面から「ヌルい組織」と誤解されがちな心理的安全性だが、むしろ本音で言いたいことが言いあえる組織、より踏み込むなら、単に「言いたいこと」を言うのではなく、「組織と仕事を前に進めるために伝えるべきことが、互いに効果的に伝えあえる」関係性が心理的安全性の高い組織だ。
また、ダイバーシティ(多様性)は、属性・経験・思考のばらつきを指すが、それ自体では成果につながらない。石井氏は「個の独自性に価値が置かれ、同時に強い所属感がある状態=インクルージョン(包摂)が必要」と述べた。
「彼ら vs 私たち」という分断が生まれると多様性はむしろ負に働くと指摘。ロールプレイングゲームのキャラクターになぞらえ、「それぞれの強みを持ち寄り、対峙する相手は“ビジネス課題”であるべきだ。組織の中の誰かと対立をしている場合ではない。」とし、多様性を生かす前提としての心理的安全性の重要性を強調した。
各社の実践 多様性を活かす仕組みとカルチャーづくり
次に自社における心理的安全性とD&Iの重要性についてディスカッションを行った。
Netflixの池上氏は、Meta時代にアジア全体の営業の研修チームを率いていた経験を紹介した。チームメンバーは国籍もバックグラウンドもバラバラで、今まで見たことのないようなメンバー構成だった。そこで、徹底したのは「一人ひとりの強みと苦手を丁寧に把握し、チームのケイパビリティとマッチングすること」。
「誰が何を得意とし、何が苦手なのか」「どの領域であれば“全力で走ってもらえるか”」「苦手な領域は、他のメンバーの強みでどう補完できるか」――、こうした対話と設計に時間をかけたうえで、マイクロマネジメントは極力手放し、「任せたからには全力でやってみよう」と背中を押すスタイルに振り切った。結果として、当初想定していたアウトプットの100倍良い成果が生まれ、アジア発のソリューションがグローバルで高く評価されるまでになったという。
石井氏とのディスカッションの中でも「配慮として“やってあげる”ものではなく、多様な視点・多様な意見にリーダーとして”助けてもらう”」ものとして、心理的安全性と多様性が強調された。
一方、アトラエの岡氏は、心理的安全性やD&Iを「良いからやる」のではなく、「勝つための選択肢」と捉えていると話す。 創業期(社員5名)の頃は「心理的安全性がなくて困った記憶はない」と振り返り、成果を出すことがすべてだったという。しかし組織が拡大し、事業フェーズや求められるケイパビリティが変わる中で、勝ち方も変化した。「多様性を高めるべきか、同質性を保つべきかはフェーズで異なる」と岡氏。必要に応じて定義を更新し続ける姿勢こそ、同社の実験的な組織づくりを支える基盤だと語った。
Notionの西氏は、「多様性の価値は、意見の幅が広がり、より良いアイデアにつながる点にある」とコメント。海外企業ではD&Iが“意識することなく存在する前提”になっているが、日本でもバックグラウンドの違いを理解し合う視点が重要だと強調した。
また、外資の成功・失敗を分けるのは戦略のみならず、「実行力とモチベーション」が重要だとし、心理的安全性はその源泉であり、組織のパフォーマンスに直結する要素だと語った。
ディスカッションを受けて、ZENTechの石井氏は心理的安全性は「やるべきだからやる」ものではなく、成果を出すために必要な土台であり、誰もが意見を出せる状態をつくるためのものだと話した。実際、大企業の支援でも「勝てる組織をつくるために導入する」という明確な目的が示されていたという。重要なのは上司の意見が強すぎて良い提案が潰れるような組織ではなく、健全に議論し合える環境づくりだ。
心理的安全性とD&Iの構築方法と困難の乗り越え方
次に、少人数のフェーズから組織を拡大してきた経営者として、心理的安全性をどのようにつくり、どんな困難を乗り越えたのか、その実践についてアトラエの岡氏に振る形で議論を進めた。
岡氏は営業からエンジニアに転身した経験から、異なる立場の相互理解の重要性を学んだという。かつて営業として新規事業のアイデアをエンジニアに持ち込んでは「作れない」と突き返され、その距離感に戸惑いと葛藤を抱えていたという。しかし、後に自らがエンジニアへ転身すると立場は一転。今度はビジネスサイドから寄せられる要望に対し、「もう少し整理してほしい」「そっちにも優先順位があるのは分かるが、こちらにもある」と、かつて抱いた感情がそのまま反転して返ってくる経験をした。その体験から、営業とエンジニアではインセンティブも時間軸も言語も異なり、同じ目的に向かいながらも見えている景色が違うと気づいたという。
そこで岡氏は、両者の理解を深めるため、エンジニアを48時間オフィスから切り離し、ハッカソン形式で短期間にプロダクトを開発する機会を設計。 「48時間で何ができるのか」「仕事の“密度”とは何か」を可視化し、双方が互いの働き方や制約、思考の流れを理解するための仕掛けとして機能したという。
Notionの西氏は、外資系のSaaSが日本市場で成功するかどうかは、「戦略の差のみならず、実行力の差が大きい」と指摘する。「どんなに成功している会社でも、戦略だけを切り出してみると“誰もが思いつくようなもの”だったりする。違いを生むのは、やると決めたことを、どれだけやり切れるかという実行力だ」と語る。
その実行力を支えるのが、メンバーのエンゲージメントや心理的安全性。メンバーが元気に、前向きに仕事に向き合えているかどうかが、ビジネスの成否を分けるという。Notionでは「ライフストーリー」と呼ばれる取り組みを通じて、メンバー同士の相互理解を深めている。
一人ひとりが自分の半生をNotionにまとめてプレゼンする
「どこで生まれ、どんな経験をし、なぜ今ここにいるのか」を語る
それを通じて、「なぜこの人はこういう発言をするのか」が立体的にわかる
加えて、シャッフルランチを行うことで、日常の中で部署間の“コンテキストを共有する機会”を意図的に設計しているという。「同じ日本で仕事をしていても、バックグラウンドは十分に多様である。その前提に立つだけで、D&Iの意味が変わってくる」と話した。
多様性の「誤解」と「建設的な対立」の重要性
セッション中盤では、多様性に関する誤解について議論が進んだ。多様性を尊重する組織には、衝突がない。そのような誤解が生じるケースもあるという。これに対して、Netflixの池上氏は、「多様性とは建設的な意見交換を可能にすることであり、“波風を立てないこと”ではない」と強調する。「誰が正しいかではなく、ビジネスにとって何が正しいかを議論すること。そのために、異なる意見がぶつかる場が必要である」と話す。その一方で、「言い方が分からない」「受け止め方が分からない」という理由から、フィードバックや異議・申し立てそのものが敬遠されてしまう現実もあると指摘。
それを受けて、Notionの西氏は、フィードバックに関するトレーニングの重要性について語った。Notionでは、SBI(Situation-Behavior-Impact)モデルを用いたフィードバックを実施し、具体的な状況(Situation)、そのときの相手の行動(Behavior)、自分や周囲への影響(Impact)という3つの要素で伝える“型”を共有している。
これにより、「言う側のスキル」と「受け取る側の心構え」の両方を整えているという。また、1on1についても、「テンプレートを持つだけで質が変わる」とし、目的やアジェンダの確認から入る基本的なフローを全社的に揃えたことが効果的だったと語った。
ZENTechの石井氏は「“受け入れ”と“受け止め”を分けて考えることが重要だ。心理的安全性やインクルージョンは、何でもかんでも受け入れることではない。まずは一度受け止め、『なぜそう思ったの?』『どんな背景があったの?』と掘り下げることから始める。そのうえで、組織として採用するかどうかを判断すればいい」と総括した。
こうした“建設的な対立”を可能にするスキルとマインドがあってこそ、多様性は成果に変わる。逆に、「角が立たないように」と意見そのものを控えた瞬間に、組織は「仲良しだが結果は出ない集団」へと傾いてしまう危険性があると指摘する。
組織風土を支える「プロセス」と「場」のデザイン
議論は次第に、「カルチャーを“善意”に頼らず、どうシステムやプロセスに組み込むか」というテーマへと移った。
池上氏は、外資系企業の多くでD&I部門が廃止されている現状に触れつつ、「だからこそ、プロセスへの組み込みが重要だ」と語る。また、人事に関わる意思決定プロセスにも、バイアス・チェックのステップを組み込む。D&Iチームが縮小しても、考え方と仕掛けが組織のOSとして残り続けるよう、システム化に大きな力を割いているという。
岡氏によると、アトラエでは「与えられた会社に属する」のではなく「全員が会社をつくる側に立つ」文化を重視しているという。象徴的なのが360度評価だ。
評価される本人が、自分を評価する5人を選ぶ
1人はプロジェクトリーダーを指定、それ以外は自由
依頼された側には「健全に評価できない場合は断る権利」がある
このように評価対象者が自ら評価者を選び、依頼された側も断る権利がある。岡氏は「自分が選んだ人からの評価は受け入れざるを得ない」と語り、制度そのものを“参加型”にすることで納得感を高めている。
また、月1回の社内対話の場「ATPF」(アトラエ的プレミアムフライデー)では、5〜6人単位で会社の強みや課題について本音で議論する。「5年以内に会社を潰すとしたら、どこを突くか?」といったテーマを起点に、未来像やリスクをフラットに話し合う。日常業務から少し離れた視点が入ることで、ユーモアと本気が混ざり合う時間になるという。
それを受けて、池上氏は、社内の「猫好きが集まるSlackチャンネル」を例に、趣味ベースのコミュニティの効用を語った。「友達をつくるために会社に来ているわけではない。それでも“仕事だけの関係”を少し越えたつながりがあると、心理的安全性の土台は厚くなる」と池上氏は言う。ビジネスドリブンな議論と、趣味・雑談ベースのつながり。その両輪があることで、「成果に向かって率直に戦える関係性」が育まれていくと語る。
セッション終盤、Notionの西氏は自身の失敗として「意思決定プロセスの共有不足」を挙げた。
「経営やマネージャーは日々多くの判断をしているが、結果だけ伝えると“なぜそうなったのか”が分からず、不信感につながる」と語る。この反省から、「意思決定のログを透明性高く残し、背景と理由をセットで共有する」ことを徹底するようになったという。意思決定そのものを変える以上に、「なぜそうなったのかを説明すること」が信頼醸成に効いてくると指摘した。
石井氏も「タスクのコミュニケーションから、意図のコミュニケーションへの転換が重要」と、受け止めた。
最後のQ&Aでは、「自社で何から始めればよいか」などの質問が多く寄せられた。各パネリストからの具体的なアクションも共有され、セッションの幕は閉じた。
取材後記
「心理的安全性」「D&I」という言葉は、ときに“いいことだからやる”“やさしい職場づくり”といったイメージで語られがちである。しかし、本セッションで繰り返し強調されたのは、これらが“成果を出すための戦略的な土台”であるという視点だ。
一方で、心理的安全性やD&Iを“担当者の善意”に依存してしまうと、組織の変化や人の異動とともに、簡単に失われてしまう。だからこそ、採用・評価・オンボーディング・会議運営・日常のコミュニケーションといった“プロセス”に埋め込み、誰か一人の熱量に頼らない形で設計していく必要がある。そうした小さな一歩を、同じ問題意識を持つ仲間とともに積み重ねていくことが、最終的には組織風土の変化につながっていくのだろう。建設的にぶつかり合いながら、ビジネスの成果を生む土壌をどう耕していくか――。その問いに対する豊富なヒントと、「まずは隣の席の誰かと話してみよう」と背中を押してくれる時間だった。
※過去の「Startup Culture Lab.」の関連記事をシリーズとしてまとめています。こちらからご覧ください。
(編集・文・撮影:入福愛子)