オープンイノベーションの1つの答え。JR東日本×サインポスト、合弁会社設立の裏側
JR東日本スタートアップ株式会社とサインポスト株式会社は、2019年7月1日付けで無人AIレジ店舗の本格的な事業化に向け、合弁会社である「株式会社TOUCH TO GO」を設立した。社長には、JR東日本スタートアップ株式会社の阿久津氏が、副社長にはサインポスト株式会社の波川氏が就任し、事業化を加速する。
両社はJR東日本スタートアップが主催するスタートアッププログラムの中で協業がスタートし、大宮駅と赤羽駅を活用した実証実験を2度にわたり行った。実証実験の手ごたえをもとに、合弁会社設立に至ったという背景を持つ。今回eiiconでは、阿久津氏と波川氏に、合弁会社設立の理由や設立までのプロセス、新会社が挑む未来について詳しくお伺いした。
【写真左】 株式会社TOUCH TO GO 代表取締役社長 阿久津智紀氏
(JR東日本スタートアップ株式会社から株式会社TOUCH TO GOに参画。実証実験では、JR側のマネジメントを担当)
【写真右】 株式会社TOUCH TO GO 代表取締役副社長 波川敏也氏
(サインポスト株式会社から株式会社TOUCH TO GOに参画。実証実験では、全体のマネジメントと知的財産管理を統轄)
■実証実験の手ごたえから、事業化を模索
――まず、合弁会社設立に至った背景や経緯をお聞かせください。
阿久津氏 : サインポストさんとは、2017年にJR大宮駅、2018年に赤羽駅を活用し、無人AIレジ店舗「TOUCH TO GO(以下、TTG)」の実証実験を行いました。昨年の12月頃には、システムの精度も高まり、「これはいけそうだ」との感触を両社が感じていました。この成果をもとに、どう事業化していくかを考えていた際、ある人と話をしている中でひらめいたんです。TTGの開発・運営を本業とする合弁会社を設立して、その中で事業化を進めたらうまくいくんじゃないか、と。
▲2018年に行われた赤羽駅での実証実験
――事業化を見据えての判断だったと。
阿久津氏 : そうです。2社の協業体制のままではいくつか問題がありました。特許の問題や、誰がビジネスの主体になるかなどです。また、JRグループは規模が大きいため、身軽に実験的なことができるかというと、そういう体制にはありません。JRグループではコンビニを運営していますが、決まった仕組みの中で動いています。この事業だけのために既存事業に負荷をかけることは難しいのです。そういった背景もあり、よりスピード感を持って事業化へと進むことができる合弁会社設立という選択肢を取りました。
波川氏 : では次にサインポスト側の背景をお話しします。サインポストはシステム開発とコンサルティングを本業とする会社です。つまり、小売の業務は未知の世界。サインポストだけで商品の仕入れや販売を実業として進めていくことは、正直なところ困難です。これから実用化に向けた展開を考えた時、自社だけでは、皆さんにお使いいただくサービスに仕上げられないと感じていました。
一方で、阿久津さんは過去にJRグループのコンビニでの実務経験があるため、小売業の知見をお持ちですし、JRグループは場所も店舗もお持ちです。阿久津さんから合弁会社設立のご提案をいただいた時、スピード感を持って社会実装していくためには、この方法が最良の解だと感じました。
――2社の協業体制のままでは、やはり難しかったと。
波川氏 : 他に考えうる選択肢もあったと思いますが、この事業に深く入り込んで、本気で実用化、事業化を目指すなら、合弁会社設立がベストアンサーだと思いますね。
阿久津氏 : システムの精度を高めるために実証実験として続けるなら、2社の協業という形態で十分だったでしょう。しかし、早期の事業化とスケールを考えた場合、課題はたくさんありました。大企業はベンチャーメソッドを取れないからです。単年度で収益を出す必要がありますし、1年目・2年目で黒字化することを前提に、ビジネスを設計しなければなりません。たとえば、初年度は赤字前提で新しい店舗をつくるという判断が難しいのです。
また、合弁会社にすることで得られるメリットもありました。JRグループ内だけではなく、グループ外に向けた展開も容易になることです。「外と戦える会社」にすることで、グループ内だけで終わってしまうことを防げます。
波川氏 : JRグループ外への展開を考えた際、日本の小売はもちろん、世界の小売がマーケットになります。その場合、「特定の色に染まっていない会社」の方が動きやすいと考えたのもひとつの理由です。JRさんは鉄道が本業ですし、サインポストはシステム開発が本業です。本業の色に左右されないブランドを立ち上げた方が、対外的に戦いやすくなるはずです。そういった考えもあり、「TOUCH TO GO」という社名で、新しい会社を設立しました。
■エビデンスと情熱で、周囲を説得し尽くす
――早期の事業化を目指すなら、切り離した方が効率的ということですね。両社間でどのようなプロセスを経て、合弁会社設立に至ったのでしょう?
阿久津氏 : 昨年末、合弁会社設立を思いついた瞬間に、アイデアを資料3枚程度にまとめました。そして、資料をもとにJR東日本スタートアップの柴田社長に提案しました。社長は「いいんじゃない?」ということだったので、「会社形態はどうするか」「人員構成はどうするか」「事業計画はどうするか」といった情報を肉付けしていきました。
――JR東日本グループ全体の承認も取得されたのですか?
阿久津氏 : 本来は資本を入れるJR東日本スタートアップだけで足りる話ではありますが、そうもいかないので、グループ内の関連部署すべてに説明してまわりました。バッティングする可能性のある小売事業を手がけるグループ会社や、事業創造本部、システム部門――、それに加えて人事や総務もです。
各部門から懸念事項が寄せられましたが、ひとつずつエビデンスを用意して説明してまわりました。だいたい2カ月くらいかけたでしょうか。そうこうしているうちに、当初3枚だった資料が、どんどん強化されて、終盤には30枚程になっていましたね(笑)。最終的にはJR東日本の経営陣のゴーサインも得ることができ、実証実験で協力いただいた紀ノ国屋さんからも、「待ってました!」と言っていただけました。
波川氏 : 今回の場合、赤羽駅で行った実証実験に、JR東日本さんの経営陣がたくさん見学に来られたのも大きかったでしょうね。皆さんにサービスを体験していただいたからこそ、説得力があったのだと思います。
阿久津氏 : 加えて言うと、そもそも、JR東日本スタートアップというCVCを設立していなかったら、ここまでは至らなかったと思います。実証実験のための店舗をつくれたのも、CVCに資金があったからです。リアルに店舗をつくり、サービスを体感してもらえたことで、関係各所への説明もスムーズでした。ペーパー上で議論を進めていたら、突っ込みどころが満載なので(笑)、どこかでストップしてしまった可能性は大きいです。
――CVCの機能を最大限活かした結果なんですね。サインポストさん側の承認はどのように?
波川氏 : サインポスト側の承認はすぐに下りました。というのも、阿久津さんとは2年前にお会いし、それ以来ずっとおつきあいがあります。人と人との信頼関係は大前提です。阿久津さんとなら、会社を分けて合弁会社を設立しても、絶対うまくいくとの確信がサインポスト代表の蒲原にもありました。
それに、阿久津さんからご提示いただいた数十ページにもおよぶ資料からは、この事業にかける情熱と想いが感じ取れました。ですから、反対は一切なく、すぐに「やろう」となりましたね。自己資本100%のため、今回他社の資本と一緒にやっていくのは初めてで、かつ無人AIレジは、代表の蒲原が大切に育ててきたアイデアだったので、切り離して合弁会社化することは大きな決断だったと思います。ですが、本当にびっくりするくらい即断でした(笑)
■モデル店舗を立ち上げ、拡販を目指す
――情熱と想いのつまった新規事業ですが、どういう体制でスタートを?
阿久津氏 : 僕が、JR東日本スタートアップに籍を置いたまま、“非常勤の社長”という形で、代表を務めています。波川さんが副社長で、サインポストさんからは5名のエンジニアに出向という形で、TTGに参画してもらっています。さらに、お目付け役として、JR東日本スタートアップの柴田社長とサインポストの蒲原社長のお二人に、TTGの取締役にご就任いただきました。当面の運営資金として、JR東日本スタートアップから3億円、サインポストから3億円の合計6億円を調達し、それをもとに事業化を進めています。
――どのような道筋で、無人AIレジの実用化を目指していかれるのでしょう。
波川氏 : サインポストには国内外から数多くの、「無人AIレジを導入したい」というお問い合わせをいただいていますが、お客さまには待っていただいている状態なんですね。実証実験でプロダクトの検証はできましたが、まだ他社に使っていただくレベルには達していません。まずは、使っていただけるレベルまで完成させることが最優先です。
阿久津氏 : 事業計画としては、なるべく早い段階でTTGで実店舗を1つ立ち上げる予定です。そこをモデル店舗にして、オペレーションを整えながら、グループ内外に拡販していきます。現物を用意することで、バリュエーションをあげる流れに繋げていきます。大宮駅と赤羽駅で行った実証実験では、実験だからという理由で目をつぶっていた点もたくさんあります。しかし、他社も含めて使っていただくのであれば、小売業界の業務フローも踏まえてディテールを詰めていかねばなりません。そういったところの準備を、現在は進めています。
――阿久津さんの小売業界での経験が活きてきますね。少し話が逸れますが、大企業に在籍して仕事をしながら、スタートアップの社長を務めるキャリアというのはレアなケースだと思います。阿久津さんはどういった想いでこの判断を?
阿久津氏 : ひとつ思うことは、トヨタさんでも終身雇用をやめる時代です。つまり、今までのように会社が守ってくれるという時代ではなくなってきています。そう考えた時に、いつでも外で戦える力をつけておくことは大事だと思います。
だからといって、一般的に「会社をやめる」というリスクはとても大きい。会社をやめたくはないものの、新規事業を手がけたいという人は結構たくさんいると思います。一方で、社内で進める新規事業はうまく進みづらいという面もあります。ですから、今回のように会社を辞めずに合弁会社を設立し、新規事業を推し進めるというのは、ミドルリスク・ミドルリターンとして新たなキャリアの切り開き方になるかもしれませんね。
――阿久津さん自身が小売りという業界に課題感をもっていたからこそ、挑戦されたことは大きいですか?
阿久津氏 : それが大きいでしょうね。スタートアッププログラムを運営する中でも、自分の経験とベンチャーの技術をかけ合わせると何ができるかを考え続けてきました。棚の高さ・売れる価格など、オペレーションまで事業として考えられないと、手触り感もなくて。企業として新規事業を手掛けるのに、飛び地過ぎて仮説もない中では難しいですからね。
自分のやりたいことを、会社のリソースをフルに活用してどううまく進められるかを、意識しています。
■小売業界の課題を解決する、強力なツールへ
――話を戻して、最後にTTGの目標やビジョンについてお聞かせください。
波川氏 : 今回のキーワードは「社会実装」だと思っています。JRグループ内外を含めて、人材不足に悩む小売各社にこの無人AIレジ店舗の仕組みを、できるだけ早く提供したい。そのために、抵抗なく取り入れていただける仕組みを考えています。なるべく負担のかからない設計にすることで、より多くの企業に導入していただきたいですね。この仕組みを通じて、小売業界が抱える人手不足の問題に貢献していければ、と思います。
阿久津氏 :数字面では、5年で100店舗を目指します。これは海外も含めてです。事業が軌道に乗れば、IPOすることも視野に入れています。JR東日本グループとしては出資というリスクだけで始められ、有用であれば買ってもらうという選択肢もある。
また、JR東日本スタートアップの文脈で言うと、TTGをモデルに7社程度の合弁会社を設立しようという話をしています。なぜなら、プログラムの中で実証実験まではうまく進んでも、「どう実用化する?」「運用は誰が担う?」といった問題が出てきているからです。これらの課題に対し、スタートアップと合弁会社を設立して、両社一丸でマーケットをとりにいく――このモデルは、他の共創事例でも踏襲できるはずです。共創の先に、こんな着地の仕方もあるというモデルを、TTGが示していきたいですね。
■取材後記
実証実験までは容易に進んでも、その後の実用化・事業化を見据えた時に、動きが止まってしまうという事例は多いと聞く。今回取材させていただいたTTGでは、2社の共創で生まれた“事業の芽”を両社から切り離し、ひとつの合弁会社の中で育んでいくという意思決定を行った。事業の芽を早期に開花させるためには、これがベストアンサーであるとの考えからだ。新しく生まれた土壌で、TTGがどう花開いていくのか――eiiconでは引き続きその動向を追っていきたい。
(構成:眞田幸剛、取材・文:林和歌子、撮影:古林洋平)