世界銀行が6000超のヒアリングから分析した、日本スタートアップエコシステムの弱点とは
「一般社団法人スタートアップエコシステム協会」が3月30日に発足し、日本のスタートアップの支援、情報発信、ネットワーキングを目的とした活動がスタートしました。
同月29日行われた協会発足の報告会では、講演プログラムとして世界銀行東京開発ラーニングセンター(TDLC)のリーダーを務めるビクター・ムラス氏が登壇し日本のスタートアップをめぐる現状を示し、課題を挙げました。
講演で用いられた資料は6086の日本のスタートアップのステークホルダーからのヒアリング、9122のディープテックスタートアップとその投資家からのヒアリング、そして185のステークホルダーインタビューから構成されています。
貴重なデータと提言が多くあったため、本記事では講演プログラムのレポートをまとめました。
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COVID-19のワクチン開発で見えたスタートアップの重要性
▲世界銀行上級都市専門官 兼 TDLCチームリーダー ビクター・ムラス氏
講演で最初にムラス氏が触れたのは「なぜスタートアップが重要なのか」というポイントでした。象徴的な事象として、COVID-19のワクチン開発を引き合いに出し「コロナ以前のワクチン製造マーケットシェア」と「COVID-19ワクチンのマーケットシェア」を比較しました。
コロナ以前が大手製薬会社で閉められているのに対して、COVID-19ワクチンではスタートアップであるバイオンテックとモデルナがシェアの多くを占めています。COVID-19ワクチンで用いられたmRNA技術のようなイノベーティブなテクノロジーをスピーディに社会実装することがスタートアップの強みとなっています。これがかつてのイノベーションと今のイノベーションの違いだとムラス氏は言います。
また、COVID-19ワクチンをバイオンテックと共同開発したファイザーについて「大企業も役割を変えながらスタートアップエコシステムに貢献している」と述べ、大企業の重要性にも言及しました。このような現象はワクチンだけでなく宇宙、AI、WEB3などといった先端技術にも同じことが言えます。
日本はR&D費用トップクラスだが、VC投資は非常に低い
次に、日本のスタートアップの研究開発(R&D)費用とVCの投資額をGDP比にしたグラフを見てみます。
このグラフから、日本は「R&D費用ではトップランカー」でありながら、「VC投資額は非常に低い」ことがわかります。良い言い方をすれば「ポテンシャルが高い」ですが、一方で「R&Dへの出費がVC投資に回っていない状況」ともみて取れます。
同様のことが科学技術分野でも起こっており、科学技術クラスターランキングで東京は1位、大阪6位、名古屋12位となっているにも関わらずVC投資が低いのが現状です。
東京は本来ニューヨークと同レベルのスタートアップエコノミーを作るポテンシャルがある
ここからは話を東京にフォーカスしていきます。日本のスタートアップエコシステムはその80%が東京に集中しており、1232社のスタートアップが東京にあります。ムラス氏によれば、東京は本来ニューヨークと同じサイズのスタートアップエコノミーがあっていいはずだと言いますが、現状ではスタートアップの数はニューヨークの10分の1しかありません。
タレントも多く、東京大学のような素晴らしい大学があり、産業も集中している点でもニューヨークと似ていますが、なぜそうならないのでしょうか。次の図を見てみましょう。
この図は東京のスタートアップエコシステムを可視化したものです。投資家、大学、アクセラ、スタートアップがそれぞれドットで描かれ、繋がりは線で記されています。大きなドットはより影響力のあるステークホルダーです。
影響力のあるステークホルダーだけを抜粋したのが上図です。銀行と大学だけが残り、スタートアップやアクセラが残っていません。このことから、東京のスタートアップエコシステムはトラディショナルなプレイヤーの影響が未だ大きいことがわかります。
ニューヨークと比較すると、エコシステムの規模が違うことは言わずもがなですが、その他にも違いがあります。色分けしている部分に注目してみましょう。
紫色はスタートアップを専門にしたステークホルダーで、黄色は専門化していないステークホルダーです。つまり、東京はステークホルダーによるスタートアップ特化型のアクセラ、サービス、学位、あるいはブートキャンプといったものが非常に少ないことがわかります。
東京のエコシステムの中では大企業が大部分を占めていますが、大企業がスタートアップのことをあまり考えなかった結果、東京のスタートアップエコシステムは育ち切らない形になっているとムラス氏は分析しています。
世界の投資が東京のスタートアップエコシステムに入ってこない状態
世界のスタートアップエコシステムが地域同士でどう繋がっているのかを表しているのが上図です。やはりサンフランシスコが中心になっていることがわかります。繋がりを表す線の太さはクラスタ間の投資関係と比例しますが、東京から出ている線がいずれも細い原因は「海外からの投資が日本に入ってこないこと」だと言います。
海外からの投資が少ない理由はいくつかあります。一つは、日本はVCによる投資が限られている点です。GDP比で見たVC投資額の数値は米国が300であるのに対し、日本は7.4に止まっています。
二つめに、日本はVC投資額の成長スピードが世界に追いつけていない状態です。下図は2020年における前年比の投資額の成長率をグラフにしたものです。日本は80%成長しているものの、その他の国の成長スピードと比較すると成長率が鈍いことがわかります。
三つめは、VCが投資しているスタートアップのステージの違いです。日本がいかに極端にシード期のスタートアップに投資しているかが一目瞭然としています。欧米ではレイトステージでの投資が過半数を占めています。グロースしているスタートアップのアクセルを踏む役割が不足しているのです。
また、IPOの時期が早すぎるためにその後のグロースが鈍くなるケースも多いとのことです。
最後に、投資の出入りのバランスを見てみると、日本は他の地域と比較しても群を抜いて「海外to日本」の投資が少ないことがわかります。これはVCやCVCにとって十分なスタートアップが日本にいないために発生していると言います。
日本では成功したスタートアップが少ないためスタートアップ支援機関も育っていない
前述の通り、日本はレイトステージに投資するVCが少ない傾向がありますが、これはスタートアップ支援機関にも同じことが言えます。下図は主要なアクセラやインキュベーターが支援しているスタートアップをステージ別に分けたものですが、日本の支援機関(赤い部分)は調達金額が大きくなるほど投資をしなくなることがみて取れます。
メンターやタレントを支援機関に集めることが重要では、とムラス氏は話します。
この減少は日本のエンジェル投資家にも言えます。成功したスタートアップが少ないため、エンジェル投資家が少ないことが日本の特徴になってしまっています。ひとつの原因はストックオプションの制度が十分でないために、従業員がエンジェル投資家となるケースが少ないのです。
次に、タレント創出の側面から見た大学の実績に目を向けます。日本の大学の卒業生でスタートアップのユニコーンを創出した数は他の地域に比べてまだ少ないです。
これはまだ大学とスタートアップをつなぐエコシステムが醸成されていないことが原因とのことです。また、ユニコーンを創出した起業家が大学に戻ってそのスキルを大学に還元するということも少ないのが現状です。
ムラス氏によると、日本の労働市場は「歪んでいる」と言います。大学を卒業しても一つの企業にとどまってしまい、転職しても給料が増えないケースが多いため人材の流動性が失われています。多くの起業家は大企業でのネットワークを作ってから、それをいかして起業しますが、日本ではそれが起きにくい状況です。
また、日本の大学では起業するためのスキルを提供する教育が整備されていません。アントレプレナーシップやプログラミングのブートキャンプといったカリキュラムが世界から遅れをとっています。
【編集後記】スタートアップポテンシャル大国の日本
講演を聴くほどに、「あとは本気でやるだけ」という気分にさせられました。講演で示されたデータはどれをとっても「日本はポテンシャルがあるのに残念」というものだったので、あとは官民学が一体となって日本のスタートアップ文化を醸成するだけではないでしょうか。
講演に用いられた資料の日本語版が公開されていますので、ぜひ直接読んでみることをお勧めします。
日本語版(サマリー版):東京のスタートアップエコシステム
英語版PDF(フルリポート):Tokyo Start-Up Ecosystem
(取材・文:久野太一)