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#PEOPLE |「戦うドクター」が作る「健康に価値がある社会」とは。

#PEOPLE |「戦うドクター」が作る「健康に価値がある社会」とは。

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数年前から「健康経営」が叫ばれるようになり、働く人の健康にスポットライトがあたるようになってきた。社員の健康がおざなりにされれば生産性は落ち、離職率は高まり結果的に経営の悪化を招く。そのような事態を防ぐために開発されたのが、株式会社リバランスの「健康リスク診断サービス」。独自開発した健康リスク診断アルゴリズムと産業医の知見を組み合わせ、効率的な健康経営を実現するクラウドサービスだ。

開発したのは自身も産業医として働く池井 佑丞(いけい ゆうすけ)氏。医者の顔の他にプロ格闘家の顔も持つ異色の起業家だ。昨今は医者やアスリートが起業するケースは珍しくないが、医者兼格闘家兼起業家は日本を探しても他にいないだろう。

ビジネスシーンで注目される人物にフォーカスするシリーズ企画「#PEOPLE」では、池井氏のこれまでの半生と、産業医のクラウドサービスの開発に至った経緯を伺った。

「医者と自分のなりたいものを両立する人生」を目標に定めた高校時代

まずは医者を目指したきっかけについて教えてください。

池井氏 : 医者の家系だったので、小さいころから医者になることに疑問を持たずに育ってきました。しかし、中学生ともなると反抗期があって、医者になりたい気持ちと、親の敷いたレールを歩きたくない気持ちの両方を持つようになったんですね。

中学では寮、高校では一人暮らしをしていて、親から離れて自由な暮らしをしていると、徐々に学校にも行かなくなり、やんちゃな生活を送るように。しかし、親や恩師、友人達といろいろ話し合っている中で、「医者と自分のなりたいものを両立する人生」を目標に定めました。人生の目標が決まったことで、頭がすっきりしたのを覚えています。

とはいえ、高校にほとんど行かなかったため浪人することに。東京の親戚の家に預けられ、偏差値40だった私は勉強漬けの1年を過ごすことになりました。浪人生活の後半は耐えきれなくなって、友達の家に逃げ込みましたが、無事医学部に合格することができたのです。

大学はちゃんと通っていたのですか。

池井氏 : いえ、苦労して医学部に入学したものの、また学校に行かない生活を送っていました。そんな時、先輩に誘われて格闘技のジムに行ったんです。もともと格闘技を観るのが好きだったこともあり、初日から難なく教わったことができ、そのままはまっていきました。

そして大学では格闘技のサークルを作り、大学の武道館を借りて練習していたので、それがきっかけで授業にも出るようになったのです。すると今度は勉強も楽しくなって、それから真面目に大学に通うようになりました。

格闘技はプロも目指していたのでしょうか。

池井氏 : いえ、最初はプロなんて考えていなく、ふらふらとサークル活動を続けていただけです。しかし、サークルのメンバーが増えてくると、試合に出なければいけない雰囲気になって、びびりながらキックボクシングの大会に出ることになりました。

それはアマチュア日本一を決め、優勝するとプロデビューできるような大会。まさか優勝するとは思っていませんでしたが、予想に反して優勝し、気付いたらプロになっていました。

ープロのキックボクサーとして生きる道もあったと思いますが。

池井氏 : スポンサーからも、医学部をやめてキックボクシングに専念しないか、というお誘いもありました。しかし、もともと2つの道を両立するのが目的だったのでお断りしましたね。

プロになったのが5年生の終わりで、6年生の間はほとんど試合。おかげで卒業試験の結果は一番下に。年末にある大きな大会が終わってからは、一ヶ月後の国家試験に向けて必死で勉強しました。

到底合格できないような状態からでしたが、周りの友達に支えられて国家試験も無事合格できたのです。

「治療ではなく予防」理想の医療を追求した先にあった産業医という仕事

プロの格闘家と医者はどのように両立していたのですか。

池井氏 : キックボクシングは年末に大きな大会があるので、普段は医者をしながら年末の大会に向けて本格的なトレーニングをしていました。

医者になったとはいえ、2年間は研修医。いろんな科を回って研修をしていたのですが、その時々によって「戦う外科医」とか「戦う産婦人科医」などのキャッチコピーを付けられました。「戦う研修医」では格好がつかないですからね(笑)

産業医になったきっかけを教えてください。

池井氏 : 産業医になったのは2015年のこと。アスリートを続けていた私は、病気になってから治療をするのではなく、病気をする前から予防する重要性を感じていました。自分の理想の医療を実現するために、高齢者施設などへの訪問診療なども行っていました。

しかし、もっと病気になる手前を探していくと、産業医として普段の生活から健康にアプローチするのが最も効果的だと思ったのです。

普通の医者では予防まではできないと。

池井氏 : 医者の仕事は病院に来た患者さんを治療することです。しかし、病気は病院に来る前から始まっていますし、中には治療の途中で病院に来なくなってしまう患者さんだっています。医者はそれを止めることはできませんし、それでは私が理想とする医療は実現できません。

まだ病院に行きたくない患者さんに治療を受けさせ、完治するまで追いかけてでも治療をする、そんな医療を目指していたら産業医に行き着いたんですね。

産業医1人で1,000社を診れる「健康リスク診断システム」

2017年に起業されていますが、そのきっかけを教えてください。

池井氏 : 産業医の力に限界を感じたからです。日本には産業医が10万人いると言われていますが、実際に産業医を専業にしているのは2,000人しかいないと言われています。それでは全国の企業をカバーできませんし、理想の医療を実現できません。

その課題を解決するためには、新しくサービスを作る必要がありました。

それが「健康リスク診断サービス」ですね。どのようなサービスなのでしょうか。

池井氏 : 自社開発したシステムを活用して、プロの産業医から健康指導を受けられるサービスです。プロの産業医を雇うとなると費用もかかる上に、そもそも数も足りません。そこでプロの産業医に代わって、安価に健康経営をサポートするのが私達のサービスです。

産業医が何をしているかというと、大きく「健康リスクのある人を見つけ」「解決策を提案する」の2つ。それも医療の側面だけではなく、働き方の法律や制度などとのバランスも考えながらリスクを探し、解決策を立てなければいけません。

そこで私達が提供しているのが「健康リスク診断システム」と「プロ産業医のバックオフィス」。産業医のノウハウを取り入れた診断システムに、企業から提出された診断結果やサーベイのデータを入れると健康リスクが点数化されます。


その結果を産業医がWチェックして、個別に解決策を提示するのです。システムを使って効率的に健康リスクを探りつつ、最終的には産業医が解決策を提案していくことで低コスト高クオリティーを実現しています。

どれほどの効果があるものでしょうか。

池井氏 : 例えばトライアルでサービスをご利用頂いた会社では、当初社員の12%に「このまま1年働いていたら、いつ倒れてもおかしくない」というサインが出ていました。実際に倒れていたら企業の責任になりますし、経営にも大きく影響します。

1年かけて指導を続けたところ、その割合は83%減少しました。ちなみに私が産業医を始めた時からお付き合いしている企業は、当初15%の社員に危険なサインが出ていて、それが1年後以降は3%を維持しているので、人力と同じパフォーマンスが出せていると思います。


産業医の仕事はどれくらい削減されるのですか。

池井氏 : 産業医の現場では検診結果や勤怠データなどバラバラになっている情報を一つ一つ照らし合わせて確認しなくてはいけませんが、このサービスでは最初にシステムでリスク判定を行うので、産業医の業務は大きく削減されます。

このシステムを使えば、1社をチェックするのに従来の10分の1もあれば十分。加えてシステムが判定を確認しながら診断を進めることができるので、これまで経験豊富な産業医でないと難しかったアドバイスもできるようになるのです。

「健康に価値がある社会」を目指して

産業医やアスリートを続けながら起業するのに抵抗はありませんでしたか。

池井氏 : それまでもWワークをしていたので、時間の使い方を変えるだけという感覚でしたね。起きている間は何かしらに時間を使っているのですから、その内容が変わるだけです。

高校生の時に医者と自分のやりたいことを両立すると決めた時、尊敬する身内に「やりたいこととやるべきことだけやりなさい」と言われてから、それを守ってきました。その2つのバランスをとってきたので、どんなに仕事が増えてもさほどストレスになりません。

起業してから壁に感じたことがあれば教えてください。

池井氏 : 組織のマネジメントですね。人を育てるのもそうですし、仕事を任せたり採用するのもそうです。医者も格闘技も、自分さえ頑張れば結果を出してこれました。しかし、組織のパフォーマンスを最大化するのは初めての経験なので苦労しましたね。

特に難しいのがモチベーションの管理です。人によって働くモチベーションは様々。お金にモチベーションを感じる人もいれば、ビジョンにモチベーションを感じる人もいます。

いかにそのベクトルを一つにし、ビジョンに向かって仕事できるか試行錯誤してきました。

最近になってようやく答えが見えてきて、みんなで同じ方向を見ている感覚をつかめてきましたね。

組織をマネジメントしていく上で大事なのはなんだと思いますか。

池井氏 : 相手をリスペクトして仕事を任せることです。以前は苦手なことも自分で頑張ろうとして、あまり人に任せられませんでした。今はそれぞれ得意な人を見つけて、任せられるようになったと思います。誰にでも仕事を任せられるわけではありませんが、それぞれの得意を活かした組織を作っていきたいですね。

最後にこれからのビジョンについてお願いします。

池井氏 : 健康に価値がある社会にしていきたいです。これから日本は高齢化社会に突入し、歳をとっても働かなければなりません。同じ70歳でも血管がきれいな人は、ボロボロの人に比べて長く働ける可能性が高いですよね。私達が健康のプラットフォームになることで、「この人は健康なので、これからも十分に働けますよ」と証明できるようになれればと思います。

私が高齢者施設で診察をしていて思ったのは、人は60歳をすぎると一気に健康を崩すこと。これから60歳をすぎて働く人は増えていきますが、これまでの社会は60歳以上の人が働くのが前提ではなかったため、その健康リスクに対応できていません。私達のサービスが普及することで、60歳を過ぎても健康に働けること、そして健康であることが価値として認められる社会を作れればと思います。

編集後記

「健康に価値がある社会」という言葉を聞いた時、同時に現代は健康に価値を置いていないことを認識させられた。過去に病歴があるなら話は別だが、「この人は病気になって働けなくなりそうだから不採用」という話は聞いたことがない。つまり、多くの人が心のどこか「病気になるはずない」と思いながら過ごしているということだ。

池井氏は60歳をすぎると一気に健康を崩すと話したが、それは若者が健康を崩さないというわけではない。今や若年層のメンタル不調や、スマホなどの新しい生活様式による不調も増えている。もはや「長く働き続ける」は当たり前のことではないし、企業は責任を持って健康を管理しなければ経営に影響する時代になりつつあると言えるだろう。

これまでは一部の企業にしかいなかった産業医のサービスが、全ての企業で受けられるようになった時、池井氏の「理想の医療」も現実味を帯びてくるはずだ。

(取材・文:鈴木光平)


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