保育現場のスマート化で保育士を支え、「待機児童問題」に挑むプロジェクト―「ひろしまサンドボックス」を軸に産学官による9つの実証実験を随時公開中
子どもたちがすやすやと寝息をたてる、保育施設でのおひるね(午睡)の時間。その間も保育士は、睡眠中の子どもたち一人ひとりの呼吸状態や身体の向きを頻繁に確認し、手書きで報告書や保護者との連絡帳に記載している。子どもたちの大切な命をあずかる保育士の仕事は、心理的負担も業務負荷も大きく、それゆえに離職率も高い。保育士の資格を持っているが、現在保育の仕事に就いていない「潜在保育士」の増加も課題となっている。厚生労働省の調査によると、潜在保育士の数は95万人にものぼる。現場で働く保育士が増えなければ、待機児童問題の解決も遠のくのだ。
その課題に挑むのが、保育園を運営するアイグランが代表を務めるスマート保育のコンソーシアムだ。子どもの衣服にセンサーを装着し、睡眠中の身体の向きや呼吸の状態を検知。自動的に専用タブレット端末に記録する。保育現場の安全性を確保すると同時に、保育士の心理的負担の軽減や、業務効率化を実現。保育の質向上や離職率の低下、そして潜在保育士の掘り起こしを狙う。そしてこれを使いやすく安価なパッケージとして全国に広げ、日本の大きな社会課題の一つである待機児童の解消に導こうというものだ。
ひろしまサンドボックスによる「実証実験支援実績特集」の記事第七弾は、”AI/IoT活用による保育現場の「安心・安全管理」のスマート化”にフォーカス。同コンソーシアムの代表である、株式会社アイグランの実証実験担当者石田氏、上田尾氏に話を聞いた。また、本実証事業の中でのひろしまサンドボックスによる様々な支援内容についてもお届けしていきたい。
▲特設LPにて、「ひろしまサンドボックス」を軸に産学官による9つの実証実験を随時公開!
大切な命をあずかる保育現場の課題に挑む
――保育現場の安心・安全のための実証実験に取り組んでこられたプロジェクトの内容について伺いたいと思います。まずはコンソーシアムを組成した背景を聞かせていただけますか。
石田氏 : AIやIoTといった新しいテクノロジーを、いかに保育現場に取り入れるか――これは、保育事業に取り組む当社にとって、ぜひとも取り組みたいテーマでした。安心・安全や働き方といった保育現場に共通する課題をはじめ、広島県には待機児童の課題もあります。そうした課題の解決に向けて、広島に本社を構える当社と、新しいテクノロジーを有する県外の企業が組めば、世の中をもっと良くできるのではないかと考えました。
そこで、AI・IoTを用いた保育関連テクノロジーを開発する県外のベンチャー・ユニファと、健康経営を支援するヘルスケアマネジメント協会、そして女性の働き方の課題に取り組むパシオンとコンソーシアムを組んで、取り組みをスタートしました。
▲アイグランがプロジェクト全体を統括。コンソーシアム各社それぞれの役割は上図の通りだ。
――今回のコンソーシアムメンバーには、冒頭でもお話しいただいたように、ユニファさんは広島県外、東京のスタートアップですね。他社さんも含めて、どのような出会いがあったのでしょうか。
石田氏 : ユニファさんは、「ルクミー午睡チェック」をはじめ保育関連のプロダクトを開発していることから、ひろしまサンドボックスの実証事業が始まる前から関わりがありました。もともと、保育現場で命が失われることに対する危機感があり、現場で起こる課題をテクノロジーで解決したいという想いがある会社です。そうした本質的な課題解決に向けた想いに共感して、コンソーシアムを組むことになりました。
パシオンさんは、代表が女性の方で、女性が働く現場の課題を解決していかなければならないという意識をお持ちでした。保育士は共働き世帯、つまり女性が働く世帯を支える仕事であり、なおかつ女性が多く働く現場であることから、当社との共通認識がありました。
そして、ヘルスケアマネジメント協会も女性経営者です。健康経営やストレスチェック、そして働きやすい環境を作るという意識を、保育現場でも取り入れていきたいという考えが一致し、一緒に組むことになりました。
――今回のコンソーシアムは、保育現場の安心・安全管理のスマート化という事業名を掲げていらっしゃいます。保育現場はアナログな部分が多いかと思いますが、具体的にどのような課題への取り組みを進めていらっしゃったのでしょうか。
石田氏 : 保育園は、お子さんの命を長時間あずかる場所です。体温や子どもが寝ている向きなど、普段から細かに気を付けることはもちろんですが、記録をして行政に報告する監査書類を作成しなければいけません。そういった業務負担もさることながら、大切な命をあずかることへの不安感、ストレスも大きく、それが保育士という仕事を続けることを難しくしています。このような現場に横たわる課題を、テクノロジーによって解決、軽減できないかと考えました。
また、保育現場は紙や電話での業務が多いことから日常業務のスマート化、さらに保護者の方々とのコミュニケーョンの充実化も課題です。まずは最も重要な命に関わる課題から取り組み、そして働きやすさ、コミュニケーション機能といった付加価値につなげていこうと構想をして、プロジェクトをスタートしました。
――保育士さんたちの離職率の高さ、なかなか長く続けられないということも課題だったのですね。
上田尾氏 : 待機児童の原因として、保育園が足りないということの他に、保育士さんの不足もあります。保育士には配置基準という、一人当たりで保育可能な子どもの人数の基準があります。そのため、単純に保育園の数だけ増やせば問題が解決するわけではなく、働いてくれる保育士さんを増やさなければなりません。
しかしながら、保育士は先ほど申し上げた労働環境の問題もあり、資格を保有していても保育士以外の仕事に就いている人が多いのです。この取り組みによって、そういった方々が保育現場に戻ってきてくれたら、待機児童の問題も解決に繋っていくのではないかと考えています。
▲実証実験は、4つのSTEPで実施された。
現場の保育士の不安の声を、丁寧なコミュニケーションで乗り越えていく
――続いて、実証実験を進める上で乗り越えてきた壁についてお話しいただきたいと思います。現場への導入はスムーズでしたか。
石田氏 : 子どもの着衣に取り付けた午睡センサー(下画像参照)から、睡眠中の体の向きや呼吸の状態を自動的に記録し、呼吸停止など異常があればタブレットで警告するという仕組みを導入しました。
導入時に丁寧に説明をしたこともあり、現場からはおおむねポジティブな意見が多かったのですが、初めて導入するものですから「信頼できるものなのか」と疑念を抱く保育士もいました。また、保育の現場は安全性が非常に重要ですから、電磁波など悪影響がないかと不安をうったえられることもありました。そういったことを一つひとつ説明し、乗り越えていくことは、確かに大変でしたね。
――そうした現場の不安を、どのように解決していったのでしょうか。
上田尾氏 : コミュニケーションを取ることを諦めず、納得してもらうところに労力を割きました。表立って不満や拒否反応を示さない保育士であっても、「会社が言うことだから仕方なく従う」という、ネガティブ寄りの感情を抱いている人も多かったはずです。私たちは現場を知っているからこそ、そういった事態をある程度想定していました。
そこで、パシオンの代表と現場に入り、現場の意見を吸い上げて一つひとつフィードバックをしたのです。保育園の園長や副園長、そして保育士さんなどにもヒアリングを行いました。そして、実際に使ってみて業務負担が軽減されること、ストレスが軽減するといったデータを見せたりして、「現場のため」だということをしっかりと伝えることを意識して、理解を得ていたのです。
石田氏 : 保育士の声から、製品の改善につながったこともあります。午睡センサーは当初ボタン電池で動かしていたのですが、誤飲を懸念する声があり、充電式に改良しました。
保育士の働き方や、意識に変化も見られるように
――今回の実証実験によって、どのような成果が見られましたか。
石田氏 : 広島県内の25の保育園に午睡センサーを合計100程度導入しました。導入当初は70%程度の稼働率でしたが、現在は現場の保育士さんも慣れてきて90%以上が稼働しています。また、様々な要因があるかと思いますが、導入前後の離職率を比較すると、導入後の方が下がりました。
――当初はネガティブな声もあったとのことでしたが、実際に使い始めてからはいかがでしたか。
上田尾氏 : 新しいチャレンジをしたことにより、現場にもいい影響があったようです。操作に慣れてからは、「手書き業務が減って楽になった」「他の保育業務に時間を有効活用できるようになった」といった声が多いですね。また、新しいテクノロジーや、未知のものを受け入れよう、チャレンジしていこうという意識の醸成にもつながっています。「次に新しい取り組みをする予定はありますか」という声が現場から上がってくるようになりました。
▲実証実験を通じて、保育士の業務がアナログからデジタルへ改善しつつある。
――成果が見えていると思いますが、コンソーシアムの立ち上げから3年間で目指していたものが形にできたという実感はお持ちですか。
石田氏 : まだ完全にはできていないと思います。ただ、色々な場所でこの取り組みについて話をすることで、少しずつ伝わってきていると思います。私の知人で、別の保育園で働いていた人にこの話をしたところ、「ぜひ一緒に働きたい」と賛同してくれて、当社の保育園に転職をしてくれたという事例もあります。
広島県の潜在保育士さんとの繋がりもできています。実証実験によって働く現場が改善しているという話をしたところ、「それなら戻って働くことができるかもしれない」という声もいただきました。この取り組みを、もっと多くの方にきちんと伝えていける仕組みを作りたいですね。
サンドボックスで同時期にスタートした他の実証実験からも大きな刺激を受けながら、様々な仲介も支援頂けた。
――今回の実証事業を進めるにあたり、ひろしまサンドボックスからの支援内容はいかがでしたか。
石田氏 : もともと保育の現場の課題をテクノロジーで解決したいという想いはあったのですが、それを実際にビジネスとしてどういったスキームで提供するのか、しっかりと構想を持って検討していくことは、ひろしまサンドボックスがあったからこそできたのだと思います。
また、今回9つの実証実験が同時期に進行しましたが、他のコンソーシアムから受ける刺激も大きかったですね。課題解決へのアプローチの仕方も勉強になりましたし、将来広島県の企業同士でこのような展望を描けるのではないかというアイデアも浮かんできました。失敗が許容され、チャレンジできる。その仲間もいる、非常に恵まれた環境だと思います。
上田尾氏 : コンソーシアム同士の横の繋がりもそうですし、実証実験を進める中で様々な企業や団体と繋がることができたのは、ひろしまサンドボックスに参画したからこその大きな収穫だったと思います。
潜在保育士さんに向けたイベントの開催についても、現在基礎自治体の保育の窓口と連携を取って進めているところです。これも、ひろしまサンドボックスから繋いでいただけたからこそ。私たちが一つひとつの自治体にアプローチするよりも、やはり県の仲介だとスムーズです。前向きに保育の課題解決に向けて一緒に取り組んでいきたいですね。
――資金面の支援についてはいかがでしたか。
石田氏 : それは大きかったですね。ひろしまサンドボックスから資金面のバックアップを受けることで、広島県全域で実証実験を行うことができました。そこである程度成果が見えたことから、今後さらに広い範囲に拡大していくことができると感じています。
同じ課題を抱える全国の保育現場に広げていきたい
――今後の展開については、どう考えていらっしゃいますか。
石田氏 : 現在は当社が展開する広島県内の保育園メインで展開していますが、今後はエリアを拡大したり、他社の保育園に展開したりしていこうと考えています。これまでの実証実験プロジェクトで積み上げてきたものがあるからこそ、説得力を持って展開をしていくことができるでしょう。
――最後に、改めてひろしまサンドボックスの魅力をお聞かせください!
上田尾氏 : 広島県が実証実験の場ということで、県として抱えている課題を今一度見直す機会になりました。以前から私たちは社会の課題を解決するために仕事をしていたのですが、ひろしまサンドボックスをきっかけに、広い視点を持って社会課題にフォーカスすることができたと感じています。
石田氏 : 広島県には、山間部、島しょ部といった地理的な特徴もありますし、中核都市である広島市もあり、新しいサービスの実証実験をする上で適切な場ではないでしょうか。アーリーステージのスタートアップに対する支援という視点でいうと、東京は様々なプログラムがあり、いい場所だとは思います。
では、次に成長の起爆剤として、どこにどのように展開していくかというと、広島県のような規模での成功があると、様々なところに展開しやすいはずです。そういった面でも、広島は面白い土地ですし、ひろしまサンドボックスに参画する意義は大きいと思います。
※eiicon companyがオンラインで開催する日本最大級の経営層向けオンラインカンファレンス「Japan Open Innovation Fes 2020→21」にて、スペシャルセッション「オープンイノベーション3.0 産官学連携から見えるみらいのカタチ featuringひろしまサンドボックス」を開催[2/26(金)12:30-13:40]。「ひろしまサンドボックス」を牽引する広島県知事・湯﨑氏をはじめ、9つの実証プロジェクトを代表する担当者がそれぞれの成果をプレゼンします。ぜひ、オンラインでご視聴ください。
視聴方法やスケジュールなど詳細はこちらをご覧ください。 https://eiicon.net/about/joif2020-21/
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取材後記
保育士不足、そして待機児童の問題は、日本が抱える大きな社会課題だ。それは単純に保育施設を増やせば解決するのかというと、そうではない。保育士が過大な負担を抱えることなく働くことができ、保護者が安心して子どもを預けられる保育現場を整えることが不可欠である。今回紹介した実証実験がパッケージ化されれば、日本が抱える大きな課題解決に向けた、重要な一歩になるのではないだろうか。
(編集:眞田幸剛、取材・文:佐藤瑞恵)