空×近鉄グループ――高速バスの運賃設定にPriceTechを導入。大企業内のハードルをどう乗り越えたか?
人が経験と勘で決めることが多かったプライシング領域。昨今、AI、ビッグデータ分析といったテクノロジーを活用して、最適な価格を決めるPriceTech企業が注目を集めている。
株式会社空は、ホテルを中心とした価格戦略サービス『MagicPrice』を提供し、成長しているPriceTech企業だ。その知見を、今後は他業種・他業界へ広げるべく、eiiconを利用して共創の可能性を探っていた。そこで、近鉄グループのCVCである近鉄ベンチャーパートナーズ株式会社にコンタクトを取った。
このことをきっかけに、空と近鉄バス株式会社の共創が決まり、5月1日運行便より空のサービスが、近鉄バスの高速バス運賃に試験導入されることとなった。これから、空の需要予測や価格データ分析に関する知見を活用し、近鉄バスの高速バス運賃最適化やダイナミックプライングの導入も目指していくという。
eiiconを経由して試験的な取り組みを実施することになった両社だが、そこに至るまでにどのような経緯があったのだろうか。空と近鉄ベンチャーパートナーズの両社に話を伺った。
<株式会社空>
執行役員CSO 和泉ちひろ氏(写真左)
新規事業開発を担当。空がホテル向けサービスで培った価格最適化技術を、他の業界にも展開していくミッションを持つ。様々な企業にアプローチを行う中で、eiiconを利用している。
データサイエンティスト 畑中恵茉氏(写真左から2番目)
主に新規事業のデータサイエンティストとして活躍。ホテル以外の業界に対して、どのようにプライシングを行っていくのか、実際に顧客のデータを分析しながら検討を行う。
<株式会社近鉄ベンチャーパートナーズ>
代表取締役社長 藤田一人 氏(写真右から2番目)
近畿日本鉄道入社後、信号業務担当ののち駅務システム開発・導入を中心に担当。鉄道営業の投資計画や営業施策など企画畑を経験。2015年、近鉄グループホールディングス発足後は、新規事業開発を担当。2018年、近鉄ベンチャーパートナーズの立ち上げを行い、代表取締役社長に就任。
部長 足高寛俊 氏(写真右)
駅ビル開発や、近鉄グループの農業ビジネス立ち上げなど、事業畑を主に経験。直近は、近鉄グループのレジャー施設のマーケティングや経営企画を担当していた。2019年12月に近鉄ベンチャーパートナーズに着任。
リーダー 角垣旭彦 氏(写真中央)
近鉄不動産や近鉄バスなど、近鉄グループ内で様々な経験をし、2018年に近鉄ベンチャーパートナーズ立ち上げメンバーとなる。現在は、ベンチャー企業と近鉄グループ各社の協業や出資の窓口を担当している。
背景にあったのは、ホテルとバスに共通の課題だった
――今回、空さんの価格戦略サービス『MagicPrice』を、近鉄バスさんが運行する高速バス運賃に試験導入するということですが、この共創の背景について聞かせてください。
空・和泉氏 : 私たちはこれまで、主にホテルや旅館に対して価格設定を効率化するサービスを提供してきましたが、今後は他の事業領域にもサービスを広げていこうとしています。そこで、鉄道系の企業と非常に相性がいいと考えました。
なぜかというと、鉄道会社はたとえば不動産や観光領域など、ホテルと同様にキャパシティに上限があるビジネスを広く展開しているからです。中でも、近鉄ベンチャーパートナーズさんは、特に熱心に外部共創を進めていらっしゃるということで、1年程前にeiicon 経由で当社からコンタクトを取りました。
▲空・和泉氏
近鉄VP・藤田氏 : 空さんからご連絡を頂いたのは、当社を立ち上げて1年程の頃で、CVCとしてゼロから勉強をしながら運営している段階でした。データ活用やAIは、我々としても課題を感じていた領域の1つです。
……ただ、どこからどう手をつけるべきなのか、難しさを感じていました。空さんからアプローチを頂いて、今までは担当者の経験や勘で行ってきたプライシングの領域にAIやデータ分析を活用できること、結果が見えることに魅力を感じました。
近鉄VP・角垣氏 : 空さんのことは、様々な媒体などで拝見していました。和泉さんにご提案をいただいて、ダイナミックプライシングは近鉄グループのビジネスにフィットしそう、面白そうだと感じました。何より我々に興味を持ってコンタクトを取ってくださったことが嬉しく、なんとしてでも共創をカタチにしたいと思いました。
――どういった経緯で、グループ内でいち早く近鉄バスさんでの導入が決まったのでしょうか。
近鉄VP・藤田氏 : 近鉄グループ内の複数の事業会社に対して、空さんを紹介していったのですが、その中で実務に携わっているの方にも興味を持ってもらえ、最も意思決定のスピードが速かったのが近鉄バスでした。
▲近鉄ベンチャーパートナーズ・藤田氏
――近鉄バスさんには、PriceTech導入に対する抵抗感はなかったのでしょうか?
近鉄VP・藤田氏 : バスも座席数に上限があり、路線として競合もあり、シーズンや曜日によって稼働率が大きく変動します。つまり、ホテルと同じように運賃設定が重要です。また、抱えている課題としても、ホテルと共通しています。レベニューマネジメントは、属人的になりがちです。
しかし、どんどん働き手不足が進む一方、新規路線が増えていく中で、一人が複数の路線を担当せざるを得なくなります。そうした中で、テクノロジーを活用して価格設定の支援を行っていただけるというのは、現場として非常に魅力的だという声が大きかったです。
半年間という短期間で、試験導入が決まった
――最初にコンタクトを取って、今回の試験導入が決定されるまで、期間としてはどのくらいでしたか?
近鉄VP・角垣氏 : 共創することが決まったのが2019年の年末くらいなので、だいたい半年くらいですね。
▲近鉄ベンチャーパートナーズ・角垣氏
――大企業は意思決定に時間が掛かるイメージがあります。そこでいくと半年というのは早い方だと感じますが、空さんから見てどうですか?
空・和泉氏 : 早い方だと思います。私たちのサービスはプライシングに関わりますから、「ちょっとやってみよう」と気軽に導入しにくいものです。ですから、私たちが出した価格通りに設定していただけるまで時間がかかります。その点、近鉄バスさんは非常に短い期間でご検討を頂けたのではないかと思います。
近鉄VP・藤田氏 : 我々としては、スタートアップ企業との共創を進めていく上では、スピードをもっと上げていかねばなりません。ただ現状、私たちも近鉄グループ内でまだ新しい組織で、どんな業務をしているのか知られていない面もあります。空さんとの今回の共創で実績ができれば、もっとスピードが上がってくると思います。
――足高さんが近鉄ベンチャーパートナーズさんに着任されたのは2019年12月ということですから、ちょうど共創が決まった頃ですね。これまでプロジェクトを見てきてどのような感想をお持ちですか?
近鉄VP・足高氏 : 私は直近でレジャー施設の運営に関わっていましたが、業界ではUSJさんがダイナミックプライシングを早い段階で取り入れており、注目していた領域でした。プライシングが事業に与える影響は非常に大きいため、このプロジェクトをぜひ成功させたいと考えています。
――実際にプライシングというのは、かなり手間のかかる領域なのでしょうか。
近鉄VP・足高氏 : パラメータが多いですね。レジャー施設はホテルのように定員があるわけではないため、需給バランスがどこで一致するのか、様々なデータを元に検討をしていました。
しかし、人が考えることには限界があります。そして、プライシングは経営判断に近く、意思決定が非常に難しい領域です。そういう意味でも、AIで根拠を持って提案できるというのは、非常に価値のあることだと感じています。
▲近鉄ベンチャーパートナーズ・足高氏
現場の課題を的確に捉えた提案で、トップを説得
――近鉄ベンチャーパートナーズさんとしては、まずはトップというより現場から共創の提案を進めていらっしゃるのですね。
近鉄VP・藤田氏 : 現場の声をまず知っていただく方が、いい提案をしていただけると考えています。最初はボトムアップで現場がやりたいことにトップが耳を傾けて意思決定していくのでないと、長続きしないでしょう。現場がうまく使いこなせてからこそ、お客様に良いサービスが提供できると思います。
もちろん、社内の理解を得ていくことは簡単ではありませんが、空さんのご協力を頂きながら進めていきました。
――空さんとしては、近鉄グループ内で稟議を通しやすいように、どのような工夫をしていらっしゃったのでしょうか。
空・畑中氏 : 「AIでこんなことができるよ」と、なんとなく伝えるのではなく、私たちと共創することによるメリットを数値でわかりやすく示した資料を作成しました。
近鉄バスさんから頂いたデータを分析し、「こうすれば、売上がこのくらい上がりそうです」という数字を示したのですが、ただ数理モデルで導き出した結果を提案しただけでなく、なぜその数字になったのか、提案の根拠を示すように工夫しました。
▲空・畑中氏
近鉄VP・藤田氏 : グループ内で誰も経験したことのない新しいことを、ボトムアップで説得していくことは、大企業にとってかなりハードルが高いことです。そこで、専門家の分析結果があると、説得材料として非常に有効です。空さんには、大企業の目線も理解していただき、こうした資料を素早く丁寧に作っていただけて非常に助かりました。
空・和泉氏 : 私たちも、大企業で稟議を通すにはこういうプロセスが必要なんだ、と勉強になりました。
――共創が始まるまでの経緯で、難しさを感じたところはありましたか?
空・和泉氏 : 私たちは実際のデータをいただかないと、「できる・できない」の判断すらできませんが、データを出していただくまでが大変でした。
近鉄VP・藤田氏 : 昨今、世界的に見てもデータの取り扱い、特に外部への提供については厳しくなってきており、さらに私たちのような鉄道が母体の会社は、安心・安全が第一です。そのため、データの提供については慎重に進める必要がありました。
――どのようなデータですか?
近鉄VP・角垣氏 : 予約時期、金額、乗車日などの生データです。最初は統計データから提供してもらい、空さんから「もっとこういうデータが欲しい」というご依頼を頂きながら調整していきました。
――そうした厳しい状況の中でデータを空さんに渡すことができたのは、どのような社内での説得があったのでしょうか。
近鉄VP・藤田氏 : いきなり「全部のデータを渡してくれ」というと難しいので、空さんと話をしながら、どこまでならデータを提供できるのか、調整していきました。また、バスは個人情報をそこまで多く扱っているわけではないので、比較的進めやすかったのだろうと思います。
空・和泉氏 : 近鉄ベンチャーパートナーズさんに間に入っていただいたことで、かなりスムーズに提供いただくことができたと思います。もし、私たちが近鉄バスさんに直接アプローチをして「データをください」と言ったとしたら、ここまですぐにデータ提供には至らなかったでしょう。
共創決定の要因は、双方の立場を理解した信頼関係
――空さんは、他にも大企業と組むことが多いと思います。その中でも近鉄グループさんの魅力はどう感じていらっしゃいますか。
空・和泉氏 : 企業によっては、現場の方がなかなか首を縦に振って下さらないケースも多いです。しかし近鉄さんには「ちょっとやってみようか」というノリの良さを感じました。「難しいことがあるかもしれないけど、取りあえず面白そうだね」と言っていただけて、関西ならではのノリなのかもしれませんが(笑)。
近鉄VP・藤田氏 : それはあるかもしれませんね(笑)。
――共創するところまで話がまとまった要因はどこにあると考えていらっしゃいますか。
空・和泉氏 : 近鉄ベンチャーパートナーズさんは、近鉄グループの様々な事業会社の内部で、どのように意思決定がされるのか、現場でどんな課題を抱えているのかをご存知なので、提案の仕方や進め方のアドバイスを頂けたことが非常に大きかったです。
それだけではなく、私たちのサービスについても深くご理解をいただき、事業会社との調整も頂けて本当に助かりました。
空・畑中氏 : 近鉄バスさんに対して、分析の結果をご説明しながら提案を行った際、近鉄ベンチャーパートナーズさんが間に入り、事業会社の目線に立ったご説明を加えてくださったことで、かなりスムーズに進められたと感じています。
近鉄VP・足高氏 : 空さんのパワー、そしてお人柄があってこその共創だと思います。私はまだプロジェクトにジョインして日が浅いですが、もっと早く出会いたかったですね。
近鉄VP・角垣氏 : 私は最初に申し上げた通り、なんとしても共創を成功させたいと思っていたため、かなり粘り強くプッシュをしてきました。空さんにも、資料作成等で様々なご対応をしていただいたことから、これは絶対にカタチにしなければと、使命感に燃えていました。まだスタート段階ですが、まずはスタート地点に立てたことが本当に嬉しいです。
近鉄VP・藤田氏 : 事業会社からの質問や意見に対して、空さんは一つひとつ資料に反映したり、その場でお答えくださったり、非常に丁寧に対応をしていただきました。それが良かったのだと思います。これから社内にもデータ分析やAIでこんなことができるというのを、空さんとの共創の中で伝えていきたいと考えています。
成功事例を作り、グループ内で広げていきたい
――2019年の年末に試験的に共創することが決まり、そこからはどのようなことをしてきたのでしょうか。
空・和泉氏 : 私たちの方で、頂いたデータの分析をして、レポートを作成し、2020年2月のタイミングでそのレポートについて説明をしました。近鉄バスさんでは2カ月前から予約ができるため、5月運行分は3月から予約を開始しています。(※)
――なるほど、既に予約開始されているのですね。状況はいかがでしょうか。
近鉄VP・角垣氏 : 新型コロナウイルスの影響で、厳しい状況ではあります。しかし、現状近鉄高速バスの料金カレンダーを策定している担当者が空さんの提案した金額に手を入れずに料金を設定しているということは、信用してくれているのだと感じています。大切なのはこの先ですね。設定した数字が、実際にどのような影響を及ぼすのか、数カ月見守りながら、より良いものに育てていきたいです。
空・畑中氏 : 私たちの方から、料金の設定パターンをいくつか提案をしているのですが、データサイエンスの観点で今後の検証をしやすいパターンを選定していただいています。
――今後はどのように共創を進めていく予定でしょうか。
空・和泉氏 : 近鉄バスさんに関しては、今後は競合の料金を取得して、ダイナミックプライシングの検討を進めていく予定です。それから、近鉄グループさんの他の事業でも導入を検討していただいて、第二・第三の共創事例をつくっていきたいと考えています。
近鉄VP・藤田氏 : 一歩目がしんどいのは事実で、いかにこの共創を成功させていくかがカギを握っています。それを乗り越えれば、それが事例となりグループ内で浸透しやすいと思います。
しかも鉄道系企業は、一度何かを導入したら、長い期間活用していく事例が多いです。ですから、パートナーとして一歩一歩実績を作り、まずはバスの成功モデルを育てていけたらと考えています。
※3月から2カ月先の5月以降の運行分の予約を受けていたものの、4月上旬より高速バスが運休となっており、予約の取り消しなどが発生した関係で一旦実験はストップしている。
取材後記
近鉄ベンチャーパートナーズ・藤田氏が語った、現場の課題に寄り添う姿勢が印象に残った。オープンイノベーションにはトップコミットメントが非常に重要だが、日々サービスを運営していくのは現場であり、その現場の課題を的確に捉えていくことこそが、共創の成功につながる。新型コロナウイルスの影響は心配であるが、空×近鉄バスの共創が今後どのように発展していくのか、注目していきたい。
(編集:眞田 幸剛、取材・文:佐藤瑞恵、撮影:古林洋平)