派遣スタッフの本音をAIで分析―35年以上AI研究に携わるフロントランナーと人材派遣会社の共創
デジタルトランスフォーメーション(DX)が多くの企業で急速に進展するなか、データドリブン経営を掲げる企業も増えている。企業を取り巻く多様なデータの中で、最重要なもののひとつが、顧客の声(VoC)だろう。しかしながら、その声を正確に捉え、分析を行い、スピーディーに経営判断に活用することは容易ではない。
メタデータ株式会社は、“AI for AI”をコンセプトに、そうした課題解決を支援するAIベンチャーだ。同社が提供する『AIポジショニングマップMr. DATA』では、アンケート自由回答など顧客の声をAIにより分析し、ポジショニングマップを描く。これにより、自社の立ち位置を正しく把握し、経営判断に活用していくことができるのだ。
自社の技術をAPI化し、企業のソリューションに組み込むこともしているメタデータは、オープンイノベーションも積極的に進めている。AUBAにも登録し、現在も複数の案件が進行しているそうだが、その一つがパーソルテンプスタッフとの共創による、人材派遣企業のポジショニングマップ作成のPoCだ。
今回、35年以上にわたりAI研究に携わる、メタデータ代表の野村直之氏に、共創プロジェクトの詳細や、AIスタートアップがオープンイノベーションを行う際のアドバイスなどを伺った。
■メタデータ株式会社 代表取締役 野村直之氏
1962年生まれ。1984年、東京大学工学部卒業、2002年、理学博士号取得(九州大学)。NEC C&C研究所、ジャストシステム、法政大学、リコー勤務をへて、法政大学大学院客員教授。2005年、メタデータ株式会社を創業。ビッグデータ分析、ソーシャル活用、各種人工知能応用ソリューションを提供する。共著:”WordNet”, MIT Press, 1998, 単著:『人工知能が変える仕事の未来』,日経出版,2016他
派遣スタッフさんたちの本音を知るには――共創即決の裏側にある強い課題感
――パーソルテンプスタッフとの共創は、どのようなきっかけでスタートしたのでしょうか。
野村氏 : きっかけを作ってくださったのは、パーソルグループのCVC・パーソルイノベーションファンドです。こちらからアプローチしたところ、ファンドの加藤社長自ら「ぜひお話しを聞かせてください」と言っていただきました。
そして担当者として、自然言語処理の知見をお持ちである寺田様が付いてくださり、加藤社長と寺田様と、1時間程度オンラインで会議を行いました。そこで、「メタデータの技術を、ぜひパーソルグループで活用したい」ということで、複数のグループ会社を紹介していただいたのです。いま、私のメールボックスはパーソルグループ各社とのやり取りでいっぱいです(笑)。
その中の1社が、人材派遣事業を手がけるパーソルテンプスタッフでした。初回のミーティングに役員の方に出席していただき、「これはPoCをやらない手はない」と、即断即決で共創が決まりました。全般的に非常にスピード感のある決断だったと思います。
――今回のPoCでは、派遣スタッフの声から大手派遣会社のポジショニングマップを作成されたということですが、その背景にあった課題を教えてください。
野村氏 : テンプスタッフでは、「”テンプスタッフラブ”な派遣スタッフを増やす」というビジョンを掲げており、具体的な数値目標を立てようとしていらっしゃいました。しかし、数値目標を立てるのならば、数値評価ができていなければなりません。
「テンプスタッフラブ」という状態は、どうすればわかるのか。派遣スタッフさんの本音はどこにあるのか、例えばハラスメントに遭っていないか。5段階評価などの選択回答では、人によって基準が異なりますし、正確に把握することは難しいでしょう。そこでやはり、自由回答で派遣スタッフさんの声を集め、当社のAIで分析を行うことになりました。
――PoCの時期はいつ頃で、どのような分析ツールを使用したのでしょうか。
野村氏 : 2020年の7月~9月の間に実施しました。ツールとしては、『AIポジショニングマップMr. DATA』に加え、APIで複数のAIが呼び出されます。それはネガティブ度やポジティブ度の分析、感情分析、そしてテキストに含まれる5W1Hの分析APIを搭載しており、当社の集大成のようなアプリです。
――PoCはスムーズに進みましたか。
野村氏 : まさにお互いガチンコ勝負で、事務作業は膨大でしたが驚くべきスピードで進行しました。非常に深い部分までデータを共有しながら考えることができたと思います。これまでの分析では、9割方が人の手で膨大なデータを地道に整備し、数値化などの基礎的な解析を大量に行う作業に費やされていました。
しかし、当社のツールがその作業を行うため、人間はよりクリエイティブになる必要があります。そこで、私はデータと対話をすることが大切だと言っているのですが、この業界ならではのデータの切り口をどう発想していくのか、一緒に手探りで考えていきました。まさに対等な立場で「共創」できたと感じています。
――本音を引き出すためには、アンケートの質問内容も大切だと思います。その辺りも野村さんからアドバイスをしていたのでしょうか。
野村氏 : PoCの段階では、そこまで絞ることはできませんでした。ただ、一般論として「本音を引き出すにはどうすればいいか」については、少し議論を行いました。これは今後深めていくことだと考えています。
PoCの結果、予想と正反対の驚くべき結果が。そして共創は次のステージへ
――分析から見えてきたことを教えてください。
野村氏 : 給与軸と福利厚生軸、働きがいの軸でマッピングを行いました。競合と比較した自社の立ち位置を可視化することは、経営判断のために非常に有効です。また、少しひねりを入れた切り口で見た結果、予想とは正反対の結果がポジショニングマップで出てきたことには驚きました。
コンサルティング会社に依頼して人手をかけて分析を行うような場合、もしかしたら顧客に忖度して、エビデンスが不足していても相手が望む結論に寄せて分析レポートを書くこともあるかもしれません。しかし、当社のような本音を引き出すAIではデータが真実を如実に語ってくれます。これはうまく活用できると、経営方針に大きな影響を与えるはずです。
――テンプスタッフの担当者からは、どのような感想がありましたか。
野村氏 : 担当の江口様からは、「競合のデータをポジショニングマップに読み込ませたところ、驚くような結果を得ることができた」という声を頂きました。
さらには、「テキストマイニングは分析者がデータを触りながら多様な切り口でカットし、考えながら仮説を作るところが大変であり面白い。しかしMr.DATAはデータのテキスト内容についてすぐに確認できる。分析者の知見がツールの操作性やメニューに取り入れられており、作業効率向上、そして筋の良い知見を育てるために非常に役立つ」とご評価頂きました。その一方で、このツールはかなり使いこなすために、社内の知見を育てていくことも課題だという声もあります。
――今後の展開としては、どのようなことを考えていらっしゃいますか。
野村氏 : 「新仮説を作るツールなんて他に見たことない」という評価から、ご発注を頂きました。つまり、PoCの次のステージに入ったということです。
「テンプスタッフラブ」な派遣社員を増やすということがゴールなのであれば、それを阻害している要因を徹底的に取り除き、ネガティブをポジティブに変えていく必要があります。それを、当社のネガポジ判定APIでとことん行い、同じ人の態度変容を定点観測していこうと考えています。これは派遣先企業さんへの対応になるかもしれませんが、コロナ禍の心配、不安、ひいては鬱な状態の検知と、対処の示唆などにも貢献できたらと思います。
価値観やゴールを共有し、科学的な姿勢を貫く
――お話しを伺うと、対等な関係のもと、共創をスムーズに進めていらっしゃったように感じます。そのコツは何かあるのでしょうか。
野村氏 : 科学的な態度で真実を追究し、このデータには何が潜んでいるのかということを、忌憚なく発言できたということが、一番の理由だと思います。
相手に忖度して適当に結果を変えるようなことをしてまで受注するようなことは、絶対にしません。色々と話を伺って、「これはAIを使わない方がいい。引き続き人間でやった方がいいですよ」と伝えることもあります。そのくらい正直にアプローチした方がいいと思います。
――あくまで真実を追究する態度ですから、思うような結果が出ず、苦しむこともあったのではないでしょうか。
野村氏 : そうですね。パーソルテンプスタッフのご担当者である江口様も、苦しい時があったと思います。こちらとしても、あくまでお客様ではなく共創パートナーとして、成果が出るまで何とか頑張りましょう、あと少しで素晴らしいポジショニングマップが描けると、エンカレッジしながら進めていきました。また、江口様の方も忌憚なく、物おじせずぶつかってきてくださったのが良かったと思います。
――本音でぶつかり合うということですね。
野村氏 : そう思います。ぶつかり合うと言っても、どっちが勝つかというわけではなく、同じゴールを目指しWin-Winの関係を築くということです。派遣スタッフさんがハッピーな状態で働けるよう、ハラスメントに遭っているけど言い出せないような人の予兆をなるべく早いタイミングで引き出したいということを、江口様もそうだし、私も強く願っています。
価値観を共有し、ゴールも共有し、その上で徹頭徹尾科学的なアプローチで、間違いは間違いだとお互いにハッキリ言う。そうした関係がベースになっています。
今のAIは、総合力では現場の優秀な人間の足元にも及ばない
――AUBAには、AIを武器にオープンイノベーションで新たな価値を創造したいという企業が多いです。しかし、なかなかうまくいかないという声も聞こえてきます。野村さんから、そうした企業に対してアドバイスはありますでしょうか。
野村氏 : 私は、「社会実装」という言い方が嫌いです。まず、「AIは素晴らしいものだから、社会実装してありがたく使うのがいい」という上から目線の態度は捨て去ってください。そして、謙虚になってください。現場の人間はすごいです。
今のAIは、問題発見能力などはもたず、何百種類もの異なる知識を組み合わせた問題解決能力の点で人間の足元にも及びません。人間には「暗黙知」というものがあります。例えば、ミカンと柿、区別がつきますよね。しかし、それがなぜだか説明できない。そうした、なぜ自分がそれをできるのか説明できない知識が、暗黙知です。
また、トヨタの工場にスポーツカーの3D曲面の凹凸を0,1ミクロン、実に1万分の1ミリ単位で誤差が分かるという職人がいらっしゃいます。本人にどうやっているのかを尋ねたところ、「分かりません。でも、分かるんです」と。これも暗黙知です。ディープラーニングのすごいところは、この暗黙知の一部をキャプチャできることですが、その範囲はまだまだかなり限られます。
人間は、頭で理解して論理的に判断する形式知と、この暗黙知を複雑精妙に組み合わせ、すごい勢いで現場の作業を遂行しているのです。ですから、ディープラーニングでできることはせいぜい3割、謙虚にやる必要がありますね。
ちょっと厳しいことを言うと、若手エンジニアは、ここ数年のAIブームでAIしか知らないということが多いです。しかし、すべてをAIで解決すればいいというわけではありません。人の手で行った方が遥かにいい場合もあります。
また、AIではないアルゴリズムの方が遥かにコスト低く、高精度なものができる場合もあります。AIしか知らない人は、そうした代案があることを知らない人も多いです。そうしたことも含めて、きちんと正直にお客様とお付き合いをしていきましょうというのが、私からのメッセージです。
取材後記
あくまで科学的な態度を貫き、真実を追究する。パートナーとして対等な関係を築き、言葉を尽くして相手への理解に努める。非常にシンプルだが、それだけに難しいことを、野村氏が徹底していることが、取材からも見て取れた。ディープラーニング技術で何ができて何ができないか、正しい経営判断を行うためにはAIをどう活用すればいいのか、メタデータであれば、真っすぐ忌憚なき姿勢で向き合ってくれるに違いない。興味のある方は、ぜひコンタクトを取って欲しい。
(編集:眞田幸剛、取材・文:佐藤瑞恵)