【OIモデル契約書 VOL.1】仕掛け人に聞く 特許庁インタビュー
経済産業省と特許庁は2020年6月、「研究開発型スタートアップと事業会社のオープンイノベーション促進のためのモデル契約書ver1.0」(通称「モデル契約書ver1.0」)を公開しました。
オープンイノベーションを疎外している一因として「企業と共同研究を行うスタートアップ側の知財・法務リテラシーの不足」が挙げられるとして、モデル契約書ver1.0が作成されたとのことですが、この取り組みによってどのような成果が得られるのか期待が高まっています。
TOMORUBA編集部は今回、モデル契約書ver1.0作成プロジェクトを担当した特許庁のキーマンであるオープンイノベーション推進プロジェクトチーム(OI推進PT)のチーム長である小松竜一氏と同チームのメンバー高田龍弥氏にインタビューしました。
話を伺ううちに、問題点はベンチャーの知財・法務リテラシーだけでなく、大企業側の商慣行にもあること、さらにモデル契約書がなぜ「ver1.0」と表記されているかなど、様々な側面が見えてきました。
関連ページ:「研究開発型スタートアップと事業会社のオープンイノベーション促進のためのモデル契約書ver1.0」を取りまとめました (経済産業省)
▲小松竜一氏/特許庁企画調査課長兼OI推進PT長
▲高田龍弥氏/特許庁国際政策課管理係長兼OI推進PTメンバー
オープンイノベーション全体の課題解決のために特許庁に設立された組織
ーーモデル契約書の話に入る前に、特許庁が企業のオープンイノベーション推進についてどのような役割をになっているのか教えてください。
小松竜一氏:オープンイノベーションのプレイヤーというと、ベンチャー、中小企業、大学、そして大企業とあります。特許庁ではそれぞれのプレイヤーを別々の課で担当してきましたが、多様なプレイヤーにまたがる課題を一元的に対応する必要が出てきました。
そこで特許庁にオープンイノベーション推進プロジェクトチーム(OI推進PT)という横串の組織が2018年8月に設置されました。
ーーでは、OI推進PTのメンバーは様々な部署から集まっているわけですね。
小松氏:はい。例えばメンバーの沖田は企画調査課で主にベンチャーをみています。一方で普及支援課の赤穂は中小企業を担当しています。総務課の齋藤は全体調整を担っています。
高田龍弥氏:私も元々は総務課の所属で、全体調整を担当していましたが、国際政策課に異動した今もPTメンバーとして引き続き活動させて頂いています。
ーーなるほど。元々、特許庁はタテ割りでOI推進していたけれども、OI推進PTが設置されたことでオープンイノベーションに関わる全体的な課題の解決に取り組める体制を整えたわけですね。
小松氏:そうです。OI推進PTには大きくふたつのミッションがあって、ひとつはオープンイノベーションの契約ガイドラインを作成すること。それが今回公開された「モデル契約書ver1.0」ですね。
もうひとつのミッションが、大学ベンチャーとのマッチング実証事業です。イノベーションシーズが大学とかベンチャーに研究成果としてあるものを、事業会社といかにして結びつけるか、というのを私たちが支援しています。このふたつがOI推進PTの二大事業です。
高田氏:なぜ特許庁がビジネスマッチングを?と思うかもしれませんが、特許情報がパートナー探しに使えるんです。ベンチャーや大学が大企業のどこと組むべきかを考える時に、特許情報を手掛かりに探索すると、連携がうまくいく確率が高いです。
特許をフックにして出会いをつくり、オープンイノベーションを加速させることができると考えていましたが、実際にいくつかの成果も出ています。そして、出会いがうまくいけば、次はお互いがWin-Winになれる契約書が必要ですよね。そこでモデル契約書が出てくるわけです。
約75%が「大企業からの納得できない行為を受け入れた」実態調査で明らかになった問題
ーーお話が出た「モデル契約書ver1.0」について教えてください。モデル契約書ver1.0によってどのような課題が解決されるのでしょうか?
小松氏:課題についてですが、ちょうど6月30日に公正取引委員会による「スタートアップの取引慣行に関する実態調査」の中間報告というものが出ています。そこでスタートアップに不利な、まあ、ひどいと指摘される実態が明らかになったんです。
その課題の解決策を提案するものとして我々は「モデル契約書ver1.0」を策定し、具体的なドキュメントとして「モデル契約書(新素材)」というものを公開しました。
ーー中間報告で明らかになったひどい実態というのは、どのようなものだったのでしょうか。
小松氏:スタートアップに対して「取引や契約において、大企業から納得できない行為を受けたことがあるか」という質問で、14.8%がYESと答えました。
これを少ないと見るか多いと見るかですが、そもそも、こういった取引・契約をするのは製造業が多いですし、さらにアンケートに答えたスタートアップの全てが大企業と取引・提携をしているわけではありませんので、決して軽視できる数字ではないでしょう。
そして、YESと答えたスタートアップのうち約75%が「納得できない行為を受け入れた」と答えているんです。
参考ページ:公正取引委員会「(令和2年6月30日)スタートアップの取引慣行に関する実態調査について(中間報告)」
ーーそう考えると、大企業と取引・契約するスタートアップはかなりの割合で納得できない行為を受けているように思えます。具体的に「納得できない行為」とはどのようなものですか?
小松氏:企業同士の契約を時系列に並べると「NDA(秘密保持)契約」「PoC(技術検証)契約」「共同研究契約」「ライセンス契約」となります。
NDAであれば取引先が他者に勝手に開示してしまうとか、秘密保持期間が短くて大企業がすぐに自由に使えるようになってしまうことなどがあります。
PoCでも契約書が提示されないままに作業だけさせられて対価をもらえないとか、PoCで上手くいっているはずなのにそこで終わりになってしまって次のステップに進めず、何ら収益を上げることができなかったなどです。
共同研究に進んだとしても権利が一方的に大企業に帰属するようになっていたとか、無断で特許出願をされてしまって、持って行かれてしまうという事例もあります。
ライセンス契約を結ぶ時も、独占契約をするようにしつこく迫られるとか、無償でライセンスを提供するように言われてしまうとかという問題事例が報告されています。
参考ページ:公正取引委員会「(令和2年6月30日)スタートアップの取引慣行に関する実態調査について(中間報告)」
大企業に根付く「下請け企業との商取引慣行」としての契約書
ーー大企業が一方的にスタートアップ側に不利な要求をしている実態があるんですね。このようなことが起きてしまう背景には何があるのでしょう?
高田氏:端的に言えば、大企業とスタートアップの間には圧倒的に知財・法務リテラシーの差があるために、こういった問題が起きてしまいます。
小松氏:知財・法務リソースが全く異なる企業間で契約を結ぼうとすると、大企業から契約書の雛形を示されて、スタートアップ側は書いてある内容を理解しきれないまま判子を押してしまうことがあります。
ーーオープンイノベーションを成功させるためには、大企業とスタートアップは共栄関係にあることが理想だと思うのですが、なぜ大企業側はスタートアップの足元を見るような契約内容を提示してしまうのでしょうか?
高田氏:昔からの産業構造に由来している問題だと思うんです。例えばかつての系列取引では、グループカンパニーに所属しておけば下請けは知財は元請けに持っていかれるけど、その代わり安定的に仕事がもらえていました。
でも製造業はグローバル化して中国や東南アジアで安くて高品質なものが作れるようになりました。そして系列取引は崩れていったという経緯があります。
そして昨今になって生き残りに必死になって生み出した独自の技術で活躍する中小企業やベンチャーが出てきて、いざ大企業と契約を結ぼうとした時に、大企業側はこれまでの商取引慣行で昔と同じ契約書の雛形を提示しちゃっているというのが実態なんじゃないかと思います。
それだと共存共栄になりにくい時代ですから、モデル契約書がもう一度、他社との連携を考えるきっかけになってくれればと思います。
ver1.0の続編は?「物づくり」と「AI」で広域にオープンイノベーションをカバー
ーー今後のOI推進PTの動きについて教えてください。
小松氏:今回、公取委がまとめたスタートアップの取引慣行に関する実態調査の中間報告にあわせる形で「モデル契約書ver1.0」を策定し、新素材の事例に特化した「モデル契約書(新素材)」というドキュメントを公開しました。
公取委はさらにヒアリング調査で実態の詳細を把握した上で、最終成果物として独禁法のガイドラインを経済産業省と連名で作成します。OI推進PTとしても、モデル契約書は新素材だけでなく、次はAIに関する物も用意して最終成果物としたいと考えています。なので、あえて「ver1.0」とつけて続編があるように見せています。
ーー次はAIですか。なぜAIにフォーカスしたのでしょうか?
小松氏:今回申し上げたような「製造業」と「AI」って、対照的な契約形態にあるんです。ものづくりでは一般的に工場などの生産ラインを持つ大企業が特許発明を利用してものを製造しますが、AIに関して言うと大企業がAIを量産するというわけではありませんよね。
スタートアップが大企業から提供されたデータをAIに学習させて、そのAIを大企業に使わせる形が想定されます。するとそれぞれで発生する契約形態は「製造業」におけるものと全て異なってきます。「製造業」「AI」と二つのモデル契約書を用意することで、できるだけ多くの事例をカバーするようにしたかったんです。
▲ver1.0で公開された新素材に関する「秘密保持契約書」のモデル契約書。その他、「PoC契約書」、「共同研究開発契約書」、「ライセンス契約書」が用意されている。
OIのプレイヤーだけでなく、大企業の知財・法務部門やVCにも届けたい
ーー最後に、このモデル契約書をどのような人たちに届けたいですか?
小松氏:大企業側で言うと、オープンイノベーションに関わる人って「フロントに立ってスタートアップと物づくりしようとする人」と「知財・法務の人」の2種類がいると思うんです。
あくまで一般論ですが、後者の人たちは、できるだけリスクを取らない傾向があります。事業リスクをヘッジするのが彼らの仕事なのである意味では当然です。
しかし、安全性だけを指向していくと、新しいものが生まれた時に「(本当に使うかどうかは別として)とりあえず自分たちのものにしておこう」という意識が働いてしまう。そうすると(スタートアップと上手く付き合いたい)フロントの人と大企業の中で意見が分かれてしまいオープンイノベーションが進みません。
ですからフロントの人たちが大企業の知財・法務の人たちと適切にディスカッションできるよう、フロントに立つ人に「武器」を持たせてあげたかったのです。モデル契約書は、大企業社内のコミュニケーション・ギャップを埋めるツールとしても機能することが期待されています。
高田氏:相対的に知財・法務リテラシーの低いスタートアップや中小企業にモデル契約書を活用して欲しいのはもちろんですが、それに付け加えると「スタートアップを支援する人たち」にもモデル契約書を知って欲しいですね。
具体的にはアクセラレーターやVCといった人たち。彼らにも知財や契約まわりのリテラシーを備えてもらえるとありがたいです。
支援しているスタートアップの動きに一番敏感なのは彼らだと思いますので、例えばスタートアップが大企業との契約交渉に悩んでいたら「モデル契約書っていうのがあるよ」って教えてあげるだけでも、大企業との提携にこぎつける突破口になるかもしれませんからね。
【編集後記】大企業とスタートアップの認識ズレを埋めるモデル契約書
取材前と取材後では、モデル契約書に対するイメージがガラリと変わりました。モデル契約書については「知財・法務リテラシーの低いベンチャーのためのもの」くらいにしか思っていませんでしたが、話を伺うにつれて、大企業側にとってもモデル契約書は重要な役割を持っていることがわかりました。
共存共栄関係にあるべきはずの大企業とベンチャーですが、昔からの商取引慣行が影響して知財の帰属やライセンス条件をベンチャーが不利な契約にしてしまうという話は、なるほどと膝を打ちました。
大企業も悪気なくそのような契約内容を提示してしまうケースもあるでしょうから、モデル契約書の存在は両社にとって意味の大きいものとなりそうです。
またTOMORUBAでは、オープンイノベーションに関わるプレイヤーにモデル契約書ver1.0をより理解してもらうべく、解説記事を掲載する予定です。
(編集:眞田幸剛、取材・文:久野太一)