設立秘話「夢ほとばしる起業家と、新たな未来を創る」――事業共創“超”特化型のインキュベーション拠点『STARTUP STATION』
今年、JR山手線49年ぶりの新駅として誕生した「高輪ゲートウェイ駅」。その駅前に、新たなインキュベーション施設が誕生した。その名も「STARTUP STATION(スタートアップステーション)」。企画・運営を手がけるのは、JR東日本グループのCVCであるJR東日本スタートアップ株式会社だ。
JR東日本スタートアップといえば、毎年、「JR東日本スタートアッププログラム(以下、プログラム)」を開催し、今までにスタートアップとともに、JRグループのリソースを使ったPoC(実証実験)を57件以上、サービスへの実用化も20件繋げてきたことで知られる。そこから新しく生まれた事業のひとつが、無人AI決済店舗「TOUCH TO GO」だ。
これまでプログラムに力点を置いてきた同社が、今なぜインキュベーション施設を開設するのか――。その狙いについて、同社 代表取締役社長 柴田裕氏と、施設の”館長”である澤田智広氏に聞いた。
【写真左】 JR東日本スタートアップ株式会社 代表取締役社長 柴田裕氏
1991年、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)に入社。駅での勤務からはじめ、財務や経営企画、小売業などに従事。2018年2月、JR東日本グループのCVC、JR東日本スタートアップ株式会社を立ち上げ、代表取締役社長に就任。JR東日本スタートアッププログラムの開催などを通じ、スタートアップ企業×JR東日本による、オープンイノベーションに尽力している。また、ブログ「鉄道員(ぽっぽや)社長の冒険」を通じて積極的な情報発信も行っている。
【写真右】 JR東日本スタートアップ株式会社 アソシエイト 澤田智広氏
新卒で東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)に入社。鉄道部門にて、車両のメンテナンスなどに携わる。入社4年目に社内公募制度を利用し、事業部門へ異動。JRE POINTなどを手がけた後、新規事業開発を担当。2019年にJR東日本スタートアップ株式会社へと出向。インキュベーション施設「STARTUP STATION」の企画・設計、および”館長”を担う。
今、「インキュベーション施設」を開設する狙い
――CVCの設立から約2年、すでにスタートアップとの共創プログラムも3回開催され、年間20件近いPoCを実施されています。このタイミングで、「事業共創“超”特化型のインキュベーション拠点」を開設する、その背景からお伺いしたいです。
柴田氏: 情熱のあるチャレンジャーをもっと応援したいという思いが発端です。これまで私たちは、JR東日本スタートアッププログラムを通して、スタートアップとの事業共創に取り組んできました。このプログラムは、年度内にJR東日本グループのリソースを使ってPoCを行うことにコミットしています。この仕組みだと、どうしても採択企業は、ある程度プロダクトやモデルの完成したスタートアップに限られてきます。いわば、「即戦力」ばかりになってしまうのです。
しかし、スタートアップや起業家の中には、現段階ではプロダクトやモデルを持っていなくても、JRとコラボすることで、社会を変えられたり、お客さまの求めている事業をつくれる可能性のある人がたくさんいます。そうしたポテンシャルのある人たちと、コンタクトできる「場」をつくりたいと考え、「STARTUP STATION」を開設することにしました。
ですから、このインキュベーション施設の主な対象は、シード期・アーリー期にあるスタートアップ、あるいは起業家、学生です。「宝石」じゃなくていいんです。「原石」の方たちと、ここでゼロから事業を生み出したい。うまくいけば、翌年のプログラムに進んでいただき、私たちの事業フィールドを使ってPoCを行い、最終的には本格的な事業創出にまでつなげる、そんな道筋を描いています。
――これまで、プログラムの採択企業を選考する過程で、プロダクトや実績がないために、泣く泣くお見送りとなった企業が、たくさんあったのでしょうか。
柴田氏: ものすごくたくさんありました。たとえば、「トンネルの湧水を使って、ワサビを栽培したい!」という提案をしてくれた起業家がいました。非常におもしろいアイデアでしたが、まだ会社を立ち上げておらず、ワサビの栽培実績もないことから、泣く泣く年度内のPoCを見送りました。
別の例だと、昨年度3回目のプログラムで採択し、JR土合駅で期間限定のグランピング施設をオープンしたVILLAGE INC.さん。彼らは、1回目のプログラムから応募してくれていました。「アイデアはおもしろいんだけど、年度内でのPoCは難しい」という判断でお見送りしていましたが、2回目には候補駅の提案があり、昨年度の3回目で、ようやくJR側もPoCに向けての土台づくりができたので、一緒にグランピング施設をオープンするに至りました。
※関連リンク: JR東日本スタートアップ×VILLAGE INC の共創プロジェクト(プレスリリース)
――それなら、最初から同じ場所に集まって、一緒に共創プランを練りあげればよかった、と。
柴田氏: その通りです。これまで、プロダクトがないと、落とすしかありませんでしたが、そこを仕組み化して、すくい上げていきたいのです。この「STARTUP STATION」で一緒にプロダクトをつくって、ビジネスモデルも磨いていく。そうすることで、泣く泣く取りこぼしていたシーズが蘇る、花開く可能性があると考えています。
――コロナ禍において、リモートワーク化が加速しています。今、あえて「リアルな場」を創出する理由は?
柴田氏: これまでの経験から、共創に「リアルの場」は欠かせないと感じているからです。アイデアは、くだらない雑談や何気ない発言に舞い降りてくるもの。たとえば、TBMさんとの共創の際、最初はポスターに活用することを検討していました。
でも、誰かが「これで、ビニール傘をつくったら、環境にいいんじゃない?」と言ったんです。そこから、LIMEXの傘を駅でシェアリングするという発想が生まれました。そういった、セレンディピティ、偶然の産物に期待するからこそ「リアルの場」にはこだわりたいのです。
※関連リンク: JR東日本スタートアップ×TBM(LIMEX)×Nature Innovation Group(アイカサ)の共創プロジェクト(プレスリリース)
加えて 、事業共創で最後にものをいうのは、「この人のために戦えるかどうか」なんです。私たちも現場との調整が難航して、「もう、諦めよう」と思う瞬間は多々あります。それでも、粘り強く続けられるのは、「この人の夢を一緒に実現したい」と思うから。それが原動力になります。
画面ごしだけで、そこまでの信頼関係を育めるのかは疑問です。もちろん、進捗確認などはリモートでいいのですが、リアルとオンラインのハイブリット拠点として、この場を育てていきたいですね。
澤田氏: さらに言えば、すべての課題は現場から生まれます。リアルな現場の声を聴き、目で見て、足を運ぶ。事業共創は、そうした「リアル」が絶対に必要なんです。私自身も直前まで現場を経験していたからこそ、自信を持って、そう言うことができます。
「原石」を磨きあげる、4つの仕掛けとは?
――「STARTUP STATION」をうまく機能させるために、工夫したポイントについて教えてください。
澤田氏: 「人」「もの」「金」の3つの側面から、入居会員をサポートします。まず、「人」についてですが、プログラムでは、私たちCVCのメンバーとJR東日本グループの事業部メンバーが一緒になって、スタートアップとの共創に取り組んでいます。
一方、このインキュベーション施設では、さらに外部パートナーも加わって、多方面からサポートを行う予定です。より具体的に事業化するにはどうすべきなのか、事業戦略や資本政策なども含めて、支援できる体制を整えました。
※外部パートナーとして、ブラッククローキャピタル 代表パートナー 菅原康之氏、Seven Rich 法律事務所 代表弁護士/弁理士 石原一樹氏、守屋実事務所 代表 守屋実氏、元陸上選手 為末大氏の4名が参画。
次に「もの」についてですが、コワーキングスペースとして利用できるほか、Wi-Fiも会議室も無償です。中でも特徴的なのがオンライン配信設備で、YouTube配信が簡単にできるようになっています。これを使うことで、1対1だった営業活動を、より広げて行うことができます。JRグループに対して営業を行いたい場合も、ここからすぐにつなぐことが可能です。
最後に「金」についてですが、「STARTUP INVESTMENT」という新しい仕組みを新たに準備しました。これは、会員に新株予約権付社債を発行してもらい、それに対して私たちがお金を出すというものです。それを元手にJRのリソースを使ってPoCを行ってもらう。いわば、PoC実施権利付きのファイナンス。さらにKPIの達成が見込めれば、資本業務提携という形でサポートも行います。
――PoCを行うことを前提に、社債を引き受けて資金提供する仕組みは、これまでに前例がありません。なぜ、この仕組みを取り入れようと?
柴田氏: プログラムでは、採択企業がプロダクトを持ち寄って実行します。しかし今回は、まだプロダクトのないシード期にあるスタートアップや起業家を想定しています。ですから、「金銭面のサポートもしたいね」という話になったことが発端です。ただ、単に支援して終わりではなく、やはりやるからには本気でPoCを実現させてほしい。なので、お互いにメリットのあるこの仕組みにしました。
――JR東日本(本体)の決裁はどう取得されたのですか。
柴田氏: 本体の決裁は、もらっていませんね。この件に限らず、私たちの活動は「いいのかな?」と思うぐらい自由度が高いのです。深澤社長(JR東日本 代表取締役社長)からも「好き勝手やれ。説明する暇があったら、もっと仕事をしろ」と言われていますから。ただ、結果責任はあるので、もしJRに恥をかかせるようなことがあれば、切腹です(笑)
JR東日本のトップである深澤社長がこのように話すのは、国鉄時代に破綻を経験しているからだと思います。目の前にある課題解決に挑戦するだけではなく、先々を見通してこれまでにない新しい手を、それこそ”シード(種)”の段階から仕掛けていく必要がある。――それを、国鉄時代の荒波を乗り越えたトップの方々が重々承知しているんです。だから、「早くしろ」とせかされるぐらいなんですよね(笑)
澤田氏: はい、プログラムだと、幅広いテーマに対して応募をしてもらうので、そこからPoCを行うまでに必ずチューニングが必要です。力のついたスタートアップだと、短期間でチューニングができ、すぐにPoCに移れます。ただ、今回はシード期を対象にしているので、チューニングがまだ難しいと予想しています。
ですから、私たちの抱えている課題を先に提示して、それに対してアイデアをぶつけてもらう。そのきっかけとして、こちらから課題を提示するオンラインイベント「STARTUP PITCH」を定期開催しようと考えました。
それと、これまでは「私たちの事業フィールドを使って実験していいから、やりたいものをどんどん持ってきて!」という姿勢だったんです。つまり、こちらからは発信をしていませんでした。
しかし、私たちからも、抱えている課題を発信していきたい。JR東日本グループの実現したい社会を、「こんなことやりたいんだけど、単独ではできないから、誰か手を貸して!」とアピールしていきたいのです。
▲「STARTUP STATION」の特徴的な支援体制
コロナの打撃がどんなに大きくても、未来への投資は止めない
――単独では難しいから、仲間を集めて実現したいこととは、たとえばどんなことですか。
柴田氏: 重点的にチャレンジしていきたい領域は、「地方創生」「スマートトレイン/スマートステーション」「Withコロナ/Afterコロナ時代の新しい旅」の3つです。
「地方創生」については、コロナの影響で「密」から「疎」の時代になり、地方が見直されています。新しい暮らし方、働き方をする人も増えてきました。昨年、多拠点居住を推進するADDressさんと提携をしましたが、たとえば緑に囲まれた長野県の小布施で暮らしながら、東京の会社とリモートワークをする。そんなことも普通になるかもしれません。新しい暮らし方、働き方を私たちが提案していきたいのです。
「スマートトレイン/スマートステーション」についてですが、JRはたくさんのデータを持っていますが、使いこなせていない可能性があります。これらをうまく活用して、お客さまの生活の豊かさにつなげたいのです。また、メンテナンスを含めてDXが必須です。ベテランのノウハウをデジタル化して、省力化していく必要があります。今、Hmcommさんと異音をAIで検知してデータ解析する取り組みにチャレンジしていますが、そういった取り組みをもっと増やしていきたいです。
「新しい旅」については、Withコロナ/Afterコロナ時代の新しい旅のあり方を探っていきたい。旅は人を成長させるもの、人生を豊かにするものだと思います。旅や移動なしだと、それこそイノベーションが生まれない可能性だってあります。最初は、地元の観光地に行くマイクロツーリズムからでしょう。MIRAI SAKE COMPANYさんと一緒に新潟の酒ツーリズムに挑戦しましたが、地元の人の利用が非常に多かった。まだまだ東日本エリアには素材が眠っていると感じました。 移動が難しいなら、VRを使ったリモート観光もいいですね。テクノロジーを活用して、ただ代替するだけではなく、よりプラスにする。そんな旅を実現していきたいと考えています。
※関連リンク:JR東日本スタートアップ×アドレス(ADDress)の共創プロジェクト/JR東日本スタートアップ×Hmcommの共創プロジェクト/MIRAI SAKE COMPANYの共創プロジェクト
――コロナ禍により新規事業への投資を縮小する企業もありますが、御社はどうですか。
柴田氏: 私たちはコロナで大きな打撃を受けましたが、イノベーションを止める気はありません。深澤社長も、「未来への投資は止めない」と宣言しています。JR東日本グループが2018年度にまとめた「変革2027」という経営ビジョンがあるのですが、それを「10年前倒して進める」とさえ言っています。なので、縮小するどころか、むしろアクセルを踏まないといけないぐらいです。
「夢ほどばしる人」と、社会を変えたい
――JR東日本グループのイノベーション創出に向けた大きな熱量を感じるのですが、このインキュベーション施設では、どんな人と一緒に事業を共創したいですか。
澤田氏: JRと組めば、この夢を実現できるだろうという仮説を持って、入居してからも私たちと一緒に走り続けてくれる人がいいですね。プログラムのように、合流すればすぐに実現できるレベルのものではなく、1年程度かけて実現までの道筋をつくるような、大きなテーマに一緒にトライしたいです。
ここでは、答えの見えている課題に取り組む気はありません。一緒になって考えることで、初めてソリューションが出る、そんな課題に情熱を持って取り組める人と一緒に共創したいです。
柴田氏: 一言でいうと、「夢ほとばしる人」ですね。「新しい社会をつくりたいんだ!この社会課題を何としても解決したいんだ!」といったエネルギーのある人。気力も体力もあるけれど、蒔く場所がないという人には、ぜひ来てほしいです。
もしかしたら、私たちが蒔く場所を提供できるかもしれません。あとは、やはり夢の大きさでしょうね。社会を変えるレベルのチャレンジに一緒に取り組みたいです。
取材後記
鉄道、小売、消費者データなど、莫大なリソースを持つJR東日本グループ。事業フィールドは、とてつもなく広い。そんなJR東日本グループのリソースを「使い倒す」ぐらいの気持ちで、大きな課題に挑みたい起業家。夢や野望の実現に向かって、一歩を踏み出したい起業家は、門を叩いてみてはどうだろうか。必ず何らかの突破口が開けるはずだ。ただし、エントリーボタンを押す前にひとつ覚悟を。ここでは、「できない」はNGワード。入居期間も1年限定なので、スピードも問われる。
▼『STARTUP STATION』会員へのエントリー応募締切は2020年8月14日まで
http://jrestartup.co.jp/startup-station/
(編集:眞田幸剛、取材・文:林和歌子、撮影:齊木恵太)