大企業×スタートアップのM&Aを実現し、起業家から投資家の道へ――元・カブク創業者会長(元代表取締役CEO) 稲田氏がキャピタリストとしての胸の内を語る
2013年、「ものづくりの民主化」をビジョンに製造業向けのオンデマンド製造サービスなどを手がける株式会社カブクを創業した稲田雅彦氏。トヨタやホンダなど最大手メーカーとのモノづくりを推進し、2017年には双葉電子工業のM&Aに応じて連結子会社に。大手製造メーカー×スタートアップによるM&Aとして大きな注目を集めた。
その後、稲田氏はカブクの会長を退任。2019年7月にDNX Venturesにジョインした。――起業家から投資家への転身を果たしたのだ。海外では一般的な起業家から投資家になるというキャリアも、日本では一般的だとはまだ言えない。カブクを売却してからの2年で、どのように大企業との融合を図り、投資家への転身を意思決定したのだろうか。
今回は稲田氏に、M&A後のリアルや投資家視点から見た日本のオープンイノベーションの状況について話を伺った。
■DNX Ventures Investment Vice President 稲田雅彦氏
大阪府出身。2009年東京大学大学院修了(コンピューターサイエンス)。大学院にて人工知能を研究し博報堂に入社。2013年に株式会社カブクを設立、代表取締役 兼 CEOに就任。3Dプリンティングによるデジタル製造プラットフォームを立ち上げる。トヨタ自動車、自動運転プラットフォームを提供するティアフォー社の自動運転EVのデザイン・設計・製造など、高い注目を集める。2017年9月に東証一部上場大手メーカーからのM&Aにより連結子会社化を行う。2019年6月、同社取締役会長を退任。2019年7月、DNX Venturesに参画。AI、IoT、ハードウェア、デジタルマーケティングなどを中心とした日米の投資業務を担当する。
創業当初からM&Aを想定し、十分に準備を進めていた
――以前、eiiconではカブク社が、東証一部上場の老舗メーカーである双葉電子工業とのM&Aを進めた理由について稲田さんにインタビューしました(https://eiicon.net/articles/323)。今回の取材では、その後のお話から伺いたいと思います。M&A後はどのようにPMI(Post Merger Integration:M&A後の統合プロセス)を進めていったのですか。
稲田氏 : M&Aされても、カブクのカルチャーをしっかり残したいという思いがあったので、カブクからの提案でPMIのプロジェクトチームを組成してプランを作って進めていきました。PMIは最初の3ヶ月が大事だと言われており、いわゆる「100日プラン」を作って不安要素を一つ一つ潰していきました。
例えばこれまでサンダルで出社していたカブクのエンジニアに、「買収されたから明日からいきなり作業着で働け。」というのは酷ですよね。買収後もできるだけこれまで通りのスタイルで働けるように、働き方や承認プロセスなどを調整していきました。人事制度やバックオフィスもどこまで共通化して、どこまで残すのかという議論は本当に大事だと思います。
――PMIではどこかの企業を参考にしたのですか。
稲田氏 : M&Aに慣れている日本電産などの製造業での事例は参考にしました。製造業では自前主義が強く、事業継承でのM&Aはよくありますが、より積極的なM&Aが少なく、そういった意味でもいい参考になったと思います。日本ではそもそもM&Aに慣れていない企業も多いので、PMIをしない企業も少なくありません。
しかし、PMIを行わないことでM&A後にうまくいかない話もよく聞いていたので、うまくM&Aをしている企業を参考にタスクフォースを組んで進めました。ソフトバンクや楽天も上手にM&Aをしている企業ですよね。
――M&Aによるイグジットは創業当初から想定していたのですか。
稲田氏 : 創業当初からIPOとM&A、どちらも並行して「デュアル・トラック・プロセス」で考えていました。カブクは仮想通貨ベンチャーのようにニューマーケットを作るのではなく、製造業界という昔からある既存の市場を、変革やデジタルトランスフォームしていくスタートアップです。そのためには形はどうあれ、業界の老舗企業と組むことは欠かせませんでした。
そのため創業当初からIPOとM&A、どちらもシミュレートしながら経営の舵をとる必要があったのです。M&Aについても教科書的に勉強することはもちろん、先輩起業家から陥りがちな論点についても話を聞いてより実践的な課題、論点についてもキャッチアップしていました。
実際にM&Aをすることになっても、十分に準備することができていたので、バタバタすることなく着実に進められました。例えば売却先の企業を決めるのに、得意先の企業を1,2社しか見ない経営者も少なくありません。しかしカブクでは、FA(ファイナンシャルアドバイザリー)にもサポートしてもらいつつ、得意先でない企業も含めて数十社も検討しました。結果的に得意先でもあった老舗メーカーの方々と組む意志決定をしましたが、しっかりとしたプロセスで進められたと思います。
――M&Aをしてどのようなメリットがありましたか?
稲田氏 : よくIPOをすると、社会的ステータスが生まれて違ったステージでの人材を採用しやすくなるという話があります。これが意外とM&Aでも同じ効果が得られました。これまでは採用できなかったような方々も採用しやすくなったのです。
例えば年齢が上がるほど、転職の際に企業の資本力などを気にされる傾向もありますが、そのような方々にも安心して入社してもらえるようになりました。エンジニアや製造業の方々含めて一定の採用力が上がりました。
逆にM&Aをすることで一気に人が離れていくのを経営陣は当然懸念していましたが、これは杞憂に終わりました。しっかりPMIでルールを決めて、カルチャーを変えずに、事前に周到な準備をして刻んでいったおかげだと思います。結果としてコアエンジニアはほとんど辞めていません。
――総じてM&Aではどのようなことが大事だと思いましたか?
稲田氏 : いわゆるフィロソフィー、ビジョンといった中長期的なベクトルを、両社でいかに揃えられるかということですね。スタートアップはとかく1〜3年先を見がちですが、5〜10年先の長期のベクトルを揃えられなければ多様なメンバーを束ねられません。1年後の戦術や、3年後の戦略の話は合わせやすいですが、10年後のビジョンが合っていなければ、登っている山が違うのでどこかで違和感を持つはずです。
スタートアップと大企業では、抱えている従業員の数も違えば、文化も異なりますが、両社のベクトルを揃えてPMIをしていくことが重要だと思います。
投資家にお世話になったからこそ、投資家サイドでスタートアップ・エコシステムに貢献したいと思った
――投資家になるという考えはずっと持っていたのですか?
稲田氏 : カブクを創業したころから投資家になるという考えは持っていました。というのも、創業したての時からエンジェル投資家の方やVCの方にお世話になっていましたので。自分もイグジットしたら、また違った形でスタートアップ・エコシステムに貢献していきたいと思っていました。
エンジェル投資もしたいと思っていました。元々起業家が多いということもあり、起業家ともフラットな関係で、困った時も相談しやすく、特に私はそういったエンジェルの方々に恵まれたので、自分もそうありたいと思っていました。
――DNX Venturesにジョインする前から投資をしていたのですか。
稲田氏 : M&A後も、引き続き企業経営者ですが、多少ながらはエンジェル投資家としても活動していました。ベンチャーキャピタルでキャピタリストとして投資活動をすることは、そもそもファンドサイズ、投資ファンド運用という点においても全く違いますし、より面で業界に向き合っていく投資や、より経営活動にも積極的に関わったサポートをしていくことが可能です。実際にベンチャーキャピタル側にいると、スタートアップ側、エンジェル投資側では見えなかったものが当然見えてきます。
――様々なVCがあるなかでDNX Venturesを選んだのはなぜですか。
稲田氏 : DNX Venturesのマネージングディレクター倉林はカブクのエンジェル投資家の一人で、よくスタートアップファイナンスなどのスタートアップ経営に関する相談をしていました。その繋がりが今回DNX Venturesにジョインした理由としては大きいです。
また、DNX Venturesは、日本ではSaaSへの支援が特に強いです。今では業界に深く根ざした「バーティカルSaaS」と言われる「医薬×SaaS」や「建設×SaaS」など、より業界に踏み込んだ課題に対するSaaSを提供するスタートアップも増えています。今では、SaaS×AI、IoT、製造業、マーケティングなど、自分の起業、スタートアップ経営経験を活かしたアドバイス、サポートもできるので、新たなバリューアドができればと思います。
――既にDNX Venturesでも投資をされているのですか。
稲田氏 : そうですね。既に併行して複数の投資案件に入って、シードからアーリーへの投資活動も関わっていますし、週次で経営会議にも参加してサポートさせて頂いたりしています。AIの分野では国内だけでなく、海外もウォッチしています。
――今後、稲田さんのように起業家から投資家になるというケースは増えていくと思いますか。
稲田氏 : 増えていくと思います。今は日本で投資マネーは増えていますし、スタートアップも増えていますし、これからキャピタリストもより起業家に選ばれるようになっていくと思います。アメリカはその傾向が顕著で、そういった意味では淘汰、新陳代謝も盛んです。
経営者時代から持っていた「グローバルで活躍するスタートアップを増やしたい」という想い
――日本の製造業というのは海外ではどう評価されているのですか。
稲田氏 : とても高い評価を得ています。例えばIT分野の日本のスタートアップが海外に行っても、残念ながらあまりリスペクトされることがありません。日本は世界で活躍するIT企業が限られており、知名度が非常に低いのが現状です。しかし、製造業界は違います。日本の製造業にはあまり一般的には名が知られていない企業でも、も、売上が500億から数千億という会社がたくさんあります。そのような企業は当たり前のように海外進出をしていて、海外売上比率も50%を超えることは少なくありません。
カブク時代も、TOYOTAさんやHONDAさんと協業させていただき、EV製造やマス・カスタマイゼーションをしていることが、とてもリスペクトされたのを覚えています。海外からすると、IT業界におけるトッププレイヤーであるGoogleや、Appleと協業をしているのと、同じ感覚です。製造業界が当たり前にグローバルに出て行って活躍している、そのような流れをスタートアップにも繋げて、グローバルに活躍できるスタートアップ、ひいてはユニコーンが出て来る流れ作っていければと思っています。
――起業家から投資家になってビジョンは変わりましたか
稲田氏 : グローバルで活躍するスタートアップを作りたいというビジョンは、起業家時代から変わっていません。よく「なんでインベスターサイドにいったのか」と聞かれますが、自分としては違和感のない選択でした。自分の中では繋がっていて、インベスターサイドもとても面白いです。
――現在、特に注目している技術やサービスはありますか。
稲田氏 : 今は日本でもバーティカルなサービス、業界に特化したサービスが立ち上がってきています。これまでのAIやIoTは市場が小さく、業界に深く根ざしたサービス、ソリューションは少なく、水平に「AIでなんでもできます」という企業が多かったです。今は業界の踏み込んだ課題に対するソリューションが立ち上がってきていて、よりミッションクリティカルな課題に刺さる事業を行うスタートアップが出てきています。
私ももともとエンジニアでAI、機械学習が専門でしたが、市場にもようやくAI、機械学習が受け入れられるようになってきました。これまでは製造業でAI、機械学習と言っても、アカウンタビリティーが弱く、聞く耳を持ってもらえませんでした。今はようやく製造業でも本格的にAI、機械学習を活用したソリューションが現場の運用に入るようになってきました。リアルな現場での運用、活用が進むので、これから面白い状況になっていくと思いますね。
日本のオープンイノベーションは加速している
――投資家になってみて、日本のオープンイノベーションに関してどのように感じていますか。
稲田氏 : オープンイノベーションはとても加速しているように感じます。特に産学連携はより強くなっており、大学発のスタートアップが以前よりも増えています。その一因としては政府、大学、大学発VC、民間の連携やサポートが手厚くなったことが大きいと思います。
私たちDNX Venturesも東大のVCであるUTECさんと共同で、アダコテックというAIスタートアップに出資させてもらっています。これは産総研(産業技術総合研究所)の技術を使った、製造業向けのAIソリューションを提供しているスタートアップです。産総研研究者、元東大の先生もメンバーとして入っています。
――大企業とのオープンイノベーションに関してはどのように見ていますか。
稲田氏 : いまや大企業でCVCを持っていることは当たり前じゃないか、と思うほどCVCが増えています。私の出自である博報堂でも、今年100億円規模のファンドのCVCが立ち上がっています。
私が博報堂にいた時はアライアンスを組むにしても、投資をするにしても現業に近い分野でしか行なえませんでしたが、今では新たな事業領域の探索や、シナジーの遠い所でのイノベーション創出をしようといるスタンスもあり、オープンイノベーションのスタンスにも変化が見られます。
カブクもそうですが、スタートアップのM&Aがここ数年で急速に増えているのもオープンイノベーションが進んでいる証拠です。これまではIT業界でのM&Aばかりでしたが、IT業界以外の企業もスタートアップ含めたM&Aを加速化させていることは大きなオープンイノベーションの流れだと思います。
――オープンイノベーションの最終形としてイグジットまでさせた経営者として、読者へのアドバイスなどはありますか。
稲田氏 : HONDA(本田技研工業)創業者の本田宗一郎氏は経営者向けの講演の最初に「こんなところに来ている暇があったら早く会社に戻って経営しろ」と話したそうです。そういう意味では「記事を読んでいないでオープンイノベーションに励んでください。」と言ってみます(笑)。
それは冗談にしても、今は親身になって話を聞いてくれる人も、フラットにアドバイスしてくれる人も増えています。悶々と地図を作り続けるのではなく、コンパスを持ったら冒険に出てみるのが一番いいと思います。
取材後記
これからは投資家も選ばれる時代、と話してくれた稲田氏。どの投資家に投資してもらうかで、スタートアップの成功率は何倍も変わってくる。これからの起業家は、優秀な投資家を見極めるスキルも求められていくはずだ。
(編集:眞田幸剛、取材・文:鈴木光平、撮影:古林洋平)