【新素材編】「モデル契約書」から学ぶオープンイノベーションの契約&交渉ポイントを弁護士が解説
特許庁のオープンイノベーション推進プロジェクトチームが運営している『オープンイノベーションポータルサイト』には、有力な新技術を持つスタートアップと事業会社によるオープンイノベーションを想定した契約書の雛形『モデル契約書』が公開されています。
同資料は2020年6月に『モデル契約書Ver1.0』が公開されて以降、着々とアップデートを重ねています。本記事では2022年2月に開催された同資料の活用ポイントを解説したセミナー『初心者でもわかる!失敗しない事業会社×スタートアップのオープンイノベーションのための契約ポイント解説セミナー』から、契約書作成や交渉のポイントを紹介します。
※モデル契約書の主要ポイントを解説したパンフレットが間もなく公開される予定なのでお楽しみに!
セミナーは想定シーンごとに「新素材編」「AI編」に分かれて解説されましたが、本記事では「新素材編」のポイントを解説します。新素材編に関するセミナー講師は特許庁のオープンイノベーション関連の研究メンバーも務める井上拓氏(日比谷パーク法律事務所 パートナー/弁護士・弁理士)が担当しました。
冒頭で井上氏は「モデル契約書はかなり具体的な想定シーンを前提にしたものであり、すべての事例にそのまま用いられることを想定しているわけではありません。みなさんが使う場合は、自身のケースに合わせて適宜修正してほしい」と注釈しています。あくまでも契約や交渉のエッセンスを学ぶツールとして利用することが重要だと強調しています。
▲セミナー講師を担当した弁護士・弁理士の井上拓氏
【想定シーン】新素材を開発したスタートアップと自動車部品メーカーによる共創
モデル契約書の新素材編では、下記のようなシーンを想定しています。
●スタートアップX社は樹脂の放熱性能を金属並みに向上させる革新的新素材αを開発
●自動車部品メーカーY社から声が掛かり、自動車の部材に関する共同研究を前提とした技術情報の開示等を求められた
●X社としてY社との取引で目指すのは
―新素材αをヘッドライトカバーに用いる共同研究をしたい
―共同研究に進んで技術をPRしたい
―早期にPoCまたは共同研究に進みたい
●X社は現状、法務・知財の知見が乏しく、ヘッドライトカバーなど特定の製品を対象とした特許は出願しておらず、ノウハウは一元管理できていない
オープンイノベーションにおける契約のフェーズは大抵の場合以下の4つに分けられます。
1.秘密保持契約(NDA)
2.技術検証(PoC)契約
3.共同研究開発契約
4.ライセンス契約
――では、契約フェーズごとにどのようなポイントに注意が必要なのでしょうか?
▲解説資料(セミナー開催時点(2022年2月))より抜粋
契約書締結の際のポイント
前述した4つの契約フェーズごとに、ポイントとなる部分を解説していきます。
■共同研究開発に向けたNDA締結の3つの注意点
井上氏は、NDA締結において重要なポイントは想定シーンに限らず3つあるといいます。
1.秘密情報の範囲をしっかり定義する。秘密情報の定義から漏れてしまうことを防ぐために、秘密情報として取り扱うべき情報を別紙で具体的に列記しておくのも有効な手段。
2.公開できる情報の内容を決めておく。スタートアップとしては、事業会社との共同研究開発(R&D)に向けた取り組みを開始したことを公表して技術をPRしたいので、この公表ができることを握っておくことは重要。
3.目的を定める。NDAはそもそも目的外の利用を規制するものなのでここが重要になる。
■「PoC貧乏」を回避するための技術検証契約
NDAを締結したら、スタートアップX社はメーカーY社に対して新素材αの物性値(素材が何℃で変化するかなどの情報)を渡します。その情報をもとにPoCを開始するのですが、このケースでは3つのポイントが盛り込まれています。
1.知財権はX社に帰属する。もともと素材はX社のものであるし、PoCの作業を行うのもX社なので、仮にPoCで新たな発明が生まれたとしてもその知財権がX社になるのは当然であるといえる。
2.PoCの成果を保証する内容にはNOという。PoCはR&Dに進むかどうかを判断するために行うものであって、何らかの成果を出すためにするものではない。みるべき成果がでなかったという結果も、PoCとしては意味のあるものである。
3.PoCの期間を定めて、R&Dに進むかどうかを判断する。ここを定めないとX社は働けどもR&Dに進めないいわゆる「PoC貧乏」の状態になってしまう可能性がある。R&Dに進むことを前提にPoCの料金を低めに設定するケースがあるが、この場合は仮にR&Dに進めなかった場合は追加の委託料をもらうのも一案である。
■共同研究開発契約で握っておきたい「成果物の権利の帰属」と「研究開発に関する対価」
共同研究開発契約でポイントになるのは「成果物の権利の帰属」と「研究開発に関する対価」の2つです。当然、今回のケースでの本丸はここになります。
・成果物の権利の帰属は「とりあえず共有」は危険
事業会社であるメーカーY社としてはR&Dを共同で実施したので成果物の権利の帰属も「共有」したいと考えるかもしれません。しかしスタートアップX社としては他分野のパートナーとの協業で事業成長するのが事業計画であるため、X社単独で帰属させることが事業計画上、非常に重要です。
他方、Y社としては、成果物の権利がX社に帰属したとしても、共同研究開発で開発された優れたヘッドライトカバーを独占的に販売することが確保されれば、少なくとも当初の目的を達成できるので、大きな問題は生じないともいえます。
そこで、このケースの交渉では「成果物の権利の帰属はX社とするが、Y社に一定期間独占でライセンスする」という落とし所になっています。
・研究開発に関する対価は両社の事業計画に差し支えない形がベスト
研究開発に関する対価には決まったセオリーなどは無く、ケースバイケースとなります。基本は両社の事業計画に差し支えがない形に収めるのがベストです。今回のケースの場合は、資金力の乏しいX社が研究成果への報酬を要求していますが、事業化時の収益が不透明であるため「実費・人権費はY社が支払う。報酬は一部を頭金で支払い、残りは事業進捗に応じて段階的に支払う」という点を落とし所としています。
井上氏は「新素材αの価値が非常に高いという想定シーンの下では、それを用いた共同研究開発を行いたいY社が実費・人件費も負担することはありうる」と言います。スタートアップ側が持つ技術の程度によって交渉を進める必要性を理解しておきましょう。
■ライセンス契約の2つのポイント
今回のケースではヘッドライトカバーの共同研究開発でしたが、予期せずテールランプカバーにも応用できることが判明しました。テールランプを対象とするライセンスについては、共同研究開発契約では定められていないので、別途、ライセンス契約を別途締結することになりました。ライセンス契約の際に気をつけておきたいポイントは2つあります。
1.ライセンスが第三者の権利を侵害していない保証には応じないことを明確にする。保証するのは実質的に不可能なので断るか「X社が知る限りは侵害しない」といった内容にする。
2.ライセンス条件について、「独占/非独占」「有償/無償」「イニシャル/ランニング」をそれぞれ設定する。両社の事業計画上、不都合のない落とし所を探すのが重要である。
ロイヤリティ対価の交渉シーンでのTips
モデル契約書は、スタートアップX社とメーカーY社は新素材αを使って新しいヘッドライトカバーを開発し、応用製品としてテールランプカバーも開発した、という事案です。この事案では、成果物の特許などについて、X社からY社にライセンスがなされています。
この事例において、ライセンスの利用料(ロイヤリティ)がどのような交渉を経て決めたのかについて、具体的なケーススタディが前述のオープンイノベーションポータルサイトに掲載されています。ここに掲載された経緯を読むと、実際のライセンスの交渉についてイメージが湧くと思います。
※参照ページ:対価交渉のケーススタディーβ版
【編集後記】オープンイノベーションの追体験ができるモデル契約書
モデル契約書が有益なのは、とにかくモデルケースが詳細に描かれている点です。すべてを読み込めば、もはや1件の共同研究開発の契約業務をこなしたくらいの知見が得られるでしょう。体験したことがなければスタートアップにとっては契約や交渉は雲をつかむような話ですから、このモデル契約書を知っていることが大手企業とのオープンイノベーションに向けた武器になるかもしれません。
(編集:眞田幸剛、文:久野太一)