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【連載/4コマ漫画コラム(74)】なぜ日本企業のDXはうまくいかないのか?

【連載/4コマ漫画コラム(74)】なぜ日本企業のDXはうまくいかないのか?

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新型コロナのせい(おかげ?)で日本のデジタルレベルの遅れがあちこちで露呈しています。

そしてDX(デジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation))という言葉が急速に知られるようになりました。

問題が広く認知されるようになって、言葉がバズった形です。知られること自体は良いことなので、言葉がきっかけとなっていかに解決していくかがポイントになってくるでしょう。

ただ、なんとなく多くの方も分かっていたように、この「DXでの遅れ」は昨日今日に始まったことではありません。

私の感覚では2000年4月がその始点のような気がします。そう、もう20年以上前です。

昔々、ドットコムバブルがありました

1994年にNetscapeというブラウザーのおかげで、インターネットが一気に市民権を得て、世の中が変わりました。その大きな変化がカンブリア大爆発のように有象無象の「ドットコム(インターネットを用いたサービス事業会社)」を生み、猫も杓子も「その潮流に参加しなければ」と膨大な数の会社が生まれ、そして消えていきました。そのバブルがはじけたのが2000年4月でした。Nasdaq総合指数が5000近くまで急上昇し、1年半後には1500を切るまで下落しました。5000を回復するのに15年近くもかかりました。(現在は13000にもなっています。これはこれでちょっとバブルぽいですが)。

2000年以前の「ドットコム」の会社は主にシリコンバレーでどんどん生まれ、日本企業もなんとかしないといけない、という焦りを感じ様々な挑戦を始めていました。私がシリコンバレーに駐在したのもその時期(1997年~2002年)です。

「ほら見たことか」と安堵して

2000年4月にドットコムバブルがはじけた時、多くの日本企業の経営者は、実は心の中で喜んでいました。「ほら見たことか。何がインターネットだ。何がシリコンバレーだ。あんなやり方をしてまともな経営なんてできるはずはない」と。口では「インターネットだ」「シリコンバレーのやり方を学ばなければならない」と言っていたのですが、口先と頭・体の間にギャップがあって無理をしていたのです。それがドットコムが崩壊し、ほっとした感じで、「もうシリコンバレーなんてどうでもいいよね」という感じになりました。(ちょっと極端に表現していますが)

そして、シリコンバレーだけでなく、世界の潮流も本気でかつ危機感を持って見ることも考えることを止めてしまったのです。その当時の経営陣は日本のバブルが崩壊する1990年以前に活躍した世代で、その時の成功体験を捨てずに済んだという安堵が根底にあったのでしょう。

失敗を冷笑しているだけで

2000年以降、シリコンバレーではGoogleやAmazonが大きく成長・変化し、UberやAirBnBが生まれ、世の中は大きく変わりました。中国などもデジタル化やデジタルサービスがどんどん進化しました。その変化の中で、様々な失敗も起きました。シェア自転車のスタートアップもいくつも生まれ、供給過多で不法投棄自転車の山ができたりしました。その失敗の様子を見て「やっぱりな」と2000年の時と同じように日本企業は安堵していました。

DXが進まない大きな原因は当たり前すぎますが「やってこなかったこと」にあります。なぜ「やらなかった」のかというと、日本の空気として「失敗してはいけない」という頑固なまでの通念があるからです。

そうすると新しいことに挑戦はしないことになります。

責任霧散すれば大丈夫?

ところが世の中は技術の進歩に伴って「やらないままでは済まない」ことが時々生じます。

インターネットへの対応やDXがその例です。

なるべくやらずに過ごしてきて、このまま「やらないで済ます」訳にはいかなくなったら、さすがに重い腰を上げるしかないのですが、ここでもう一つ日本の問題が、「誰が責任を持っているかを不明確にするクセ」です。稟議書に多くの人がハンコを押してきたように、たらいまわしをしている内に「なんとなく決まる」やり方が普通であって、「私が決める」と明言して実行して責任を取る人がいなくても組織が回るようになっていることです。

DXには痛みを伴います。今までのやり方やシステムを捨てることも必要でしょう。デジタル技術を活用したり協業したりして、今までの自分達の事業領域を越えて新たなサービスを生み出すことも必要でしょう。それには大きなパワーや資源が必要になります。

それを決めないとDXは始まりません。

加えて、日本の「失敗」の定義には「機会損失」と「将来の危機回避失敗」が含まれていないことが大きな問題です。目の前のプロセスの「可視化」にはすごく長けていて詳細な数値を明確にすることはできても、未来に起こることに想いを馳せ、機会を感じたり危機に怯えたりすることが苦手です。苦手というより、それこそ「それは私のせいでない」という責任霧散状態を得意としているうちにそうなってしまうのでしょう。

認めて、マネる

実は、まだ追い込まれない早い段階に「とにかくやってみよう」という感じで挑戦するのであれば、大きな投資や大きな変化をせずに「トライ」ができ、経験を蓄積でき、段階を踏んで世界レベルの流れについていけたはずです。

ただ、もう遅い。

「完全に遅れている」という今の状況で大事なことは、二つです。

一つは「真摯に遅れを認める」こと。

もう一つは「先行している社会・事業をマネる」こと。

なんのことはない、1990年ごろのバブル崩壊に至る直前の「日本はすごい (Japan as No.1!とか)」という傲慢な感覚は捨てて、明治維新や戦後の「これじゃだめだ、マネしよう」という時代に戻ればいいのです。元々の日本が大得意なやり方です。そして、「決める」。決められない人は去ってもらう。それくらいの覚悟が必要です(企業だけでなく、政治や行政の世界でも)。

やっぱり新規事業にトライを

一方で、現在のDXは長い目で見れば、まだまだデジタルを基盤とした情報革新の端緒についただけとも言えます。

そのため、「とにかくやってみよう」「それも小さい身近なところから」という活動もとても大事です。それは通常の新規事業の創出と同じです。言い換えれば、今の日本のDXの惨状は新規事業を興そうとする意欲を削いでばかりいたからだともいえるかもしれません。まだDXはこれからです。改めて新規事業に当たり前のようにトライしていく文化を醸成していきましょう!(対処法はこの4コマ漫画コラムが役に立ちます!(断言))

人類が選ぶ道

DXの話題だけでなく、人類というちょっと変わった動物は、動物としての進化よりとてつもなくすごいスピードで技術を進化させてきました。そして近年、情報技術の分野でとんでもない進化を生んできました。動物としてはあり得ない「地球全体」の大量・多種多様な情報を瞬時に把握できたり、物理的に離れている人達と様々な知のシェアができるようになりました。その原動力になってきたのがデジタルでありDXなので、人類の進化の方向から見ると既に踏み込んでしまった逃げられない(やらなくて済まない)方向であることは間違いないでしょう。

デジタルを越えて

ただ、技術や道具です。道具は使い方ひとつで素晴らしい世界を創ることも酷い世界を招くこともあり得ます。

日本人の本来の良さに「曖昧さ」がありました。それがこの「デジタル」、つまり「0か1か」を明確に分ける世界では弱みになってしまっていることもあるような気がします。

でも、その「曖昧さ」「決めない良さ」をデジタル基盤の世界の中で活かすことができるレベルにまで昇華できれば、もっと人間的な世界の構築や、国際紛争の解消につながる気もしています。

「なんのこっちゃ?」ということを最後になって書いてしまいました。読んでいただいている方の中で各々勝手に「そうだな」と思って未来に想いを馳せていただける人が少しでもいれば「1」(満足)です。



■漫画・コラム/瀬川 秀樹

32年半リコーで勤めた後、新規事業のコンサルティングや若手育成などを行うCreable(クリエイブル)を設立。新エネルギーや技術開発を推進する国立研究開発法人「NEDO」などでメンターやゲストスピーカーを務めるなど、オープンイノベーションの先駆的存在として知られる。

▼これまでの4コマ漫画コラムがアーカイブされている特設ページも公開中!過去のコラムはこちらをご覧ください。


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