Society5.0実現の第一歩。広島県民の健康データ流通基盤構築に挑むプロジェクト―「ひろしまサンドボックス」を軸に産学官による9つの実証実験を随時公開中
日本政府が2016年に提言した「Society5.0」。AIやIoTによりサイバー空間とフィジカル空間を融合させることで、データ流通を促進し、新たな付加価値を創造しようという構想だ。ひろしまサンドボックスでは、そのSociety5.0に向けた取り組みとして、分野を超えた情報を共有・活用する情報流通基盤の構築を目的としている。
今回紹介するプロジェクトは、こうした基盤の構築をブロックチェーン技術で構築するものだ。特に、個人管理されているヘルスケアデータは、病気の重症化予測等において異業種間での交換ニーズが高い。そこで、点在化しているヘルスケアデータを、情報流通基盤で連携させることで、個人の健康寿命を延ばすことを目指している。
しかしながら、個人情報の取り扱いは繊細な注意を払う必要がある。今回の実証実験についても、乗り越えるべき壁があった――。
ひろしまサンドボックスによる「実証実験支援実績特集」の記事第三弾は、”医療や健康情報の流通基盤を構築する事業”にフォーカス。コンソーシアム代表である広島大学の津賀氏・市川氏に、本プロジェクトの歩みやビジョンについて伺った。また、本実証事業の中でのひろしまサンドボックスによる様々な支援内容についてもお届けしていく。
▲特設LPにて、「ひろしまサンドボックス」を軸に産学官による9つの実証実験を随時公開!
■国立大学法人広島大学 副学長(医系科学研究担当)津賀一弘 氏
2019年に広島大学副学長に就任し、ひろしまサンドボックスの事業に参画。
■国立大学法人広島大学 主査兼URA 市川哲也 氏
様々な実証実験の企画・マネジメントに従事。今回の実証実験には、コンソーシアム組成当初から携わる。
個人の健康にかかわるデータを安全に連携する基盤を構築
――まずは、このコンソーシアムを立ち上げた背景、実証実験で目指す姿について聞かせてください。
津賀氏 : 2016年1月、日本政府が策定した第5期科学技術基本計画の中で、「Society5.0」が提唱されました。これは、AIやIoT、ブロックチェーンといった革新技術をあらゆる産業や社会に取り入れ、情報を流通・活用させることにより実現する未来社会の姿です。
私たちは、Society5.0で目指すべき社会は、一般の市民の方々が様々なことに関心を抱き、社会をもっと良くしていこうという意識を持つことだと考えています。市民の方々が持つ多様なデータを集積し、分析することにより、より良い社会が生まれるはずです。その一つの方法として、個人が所有するデータを共有・活用する情報流通基盤を構築し、手始めにヘルスケア分野に展開したいと考えたのです。
個人の健康にかかわるデータを安全に連携する基盤が構築できれば、国の何兆円もの医療費を抑えたり、健康寿命を延ばしたりすることができるかもしれません。広島大学としても、最先端のシステムや医療を研究開発する機関として、関係する企業や自治体に呼び掛けていきたいと考えて、ひろしまサンドボックスに参画いたしました。
▲本コンソーシアムの構成
市川氏 : コンソーシアムメンバーは、ひろしまサンドボックスが立ち上がる前に進めていたプロジェクトを母体としています。そこでは、自治体所有の診療報酬データ(レセプト)や健診データを活用して、生活習慣病の重症化を予測する実証実験を行っていました。
実際に精度は上がってきていたものの、なかなか100%にまでは近付かず、生活習慣などパーソナルデータを蓄積していけばいいのではないかと検討をしていました。その頃、ひろしまサンドボックスが立ち上がり、AIやIoTを活用した実証実験を公募していることを知り、申請をしたのです。
当初の計画としては、健診結果などのデータと行動などの生活習慣や食事などのデータを収集して、「この病気になる人はこういう生活習慣や食事をしている傾向がある」という分析を行いたいと考えていました。そうすれば、重症化の判断や、生活習慣病のリスクを予測できるはずです。
そして、そのデータを流通させることができれば、現在病気になっていない方にも、ご自身の生活スタイルと照らし合わせて注意を促すことができると思いました。3年間の実証期間でそこまで至ってはいないのですが、こうしたビジョンを描いてスタートした実証事業です。
個人情報保護法の壁が立ちはだかる中、活路を見出しアプリをリリース
――プロジェクトの具体的なプロセスについて教えてください。
市川氏 : もともとは、生活習慣病などの重症化リスク予測をAIで行うために、レセプトや健診データを活用したいと考えていました。情報流通基盤のベースについては、コンソーシアムメンバーのOKEIOS社がブロックチェーン技術により開発していたものをベースに、アプリ開発の取り組みをスタートするつもりでした。
しかしそこで、レセプトや健診データといったデータを本人に返却することに対して、個人情報保護法の「目的外使用」に抵触する能性があるということで、ストップがかかったのです。そのため一般市民に使っていただける状況にはならず、プロジェクト1年目で暗礁に乗り上げる危機を迎えました。
そこで急遽方針転換を行い、レセプトなどのデータではなく、個人の活動量や食事などのヘルスケアデータを入力できるアプリを開発。それを、「みらい健幸アプリ」としてリリースしたのです。今年度からは、入力していただいたヘルスケアデータを、生活習慣病の生活指導などに活用するフェーズに入っています。リアルタイムにデータをやり取りしながら、生活習慣病の重症化回避、改善につなげていく取り組みを推進しています。
▲「みらい健幸アプリ」は、医療情報(健診記録、病歴など)と、個人データ(運動履歴、食事など)を連携し、健康管理が簡単にできる。
――個人情報保護法が、大きな壁だったのですね。
市川氏 : そうですね。技術的には問題なく、あくまでも個人のデータをどう扱うのか、そこだけでした。個人情報保護法は3年ごとに改正が行われますが、ちょうどひろしまサンドボックスの事業がスタートした3年前の改正では、個人情報の扱いについて厳正化されました。それが、当初の構想が実現できなかった最大の要因です。
しかしそうなると、Society5.0は実現できません。そこで、2020年6月にまた改正が行われ、データ流通ができるような法制度になってきました。私たちは、広島県の協力を得ながら、個人データの取り扱いについて様々な提言を行ってきました。それが最近になって実を結び始めているのではないかと思います。
数々の自治体との連携や、企業ユーザーの紹介といった県の支援により、実証実験を促進
――ひろしまサンドボックスに参画することによって活かすことができた広島県のリソースや、魅力に感じた支援内容について教えてください。
市川氏 : 途中で方針転換をしたことにより、みらい健幸アプリのユーザーとしてご協力いただける企業や協力自治体を探していたところ、ひろしまサンドボックスから従業員が数千名規模の企業を紹介いただきました。
その企業はコロナ禍で、これまで実施していた運動会など、社員の健康増進の取り組みが一部できなくなっていたそうです。そこで、みらい健幸アプリを導入いただき、ウォーキングラリーの機能などを活用していただいています。
▲みらい健幸アプリは、歩数などを自動で記録。目標歩数を達成するとポイントが付与され、特典が得られる。
――なるほど、企業の福利厚生の一環としての活用方法もあるのですね。協力自治体への展開でも、県の支援があったのでしょうか。
市川氏 : 県内の自治体では安芸太田町、北広島町、東広島市にアプリを展開していますが、ひろしまサンドボックスには、北広島町の紹介、東広島市との調整等でご協力いただきました。また、冒頭で申し上げた他のプロジェクトからのご縁で、広島県健康福祉局にもコンソーシアムのサポートをしていただいています。
――パーソナルデータの流通基盤構築は、国も力を入れている領域だと思いますが、政府との連携はいかがでしょうか。
市川氏 : そうですね。広島県に紹介をいただき、省庁関係の勉強会に参加し、発言する機会をいただきました。その際、先ほども少しお話ししましたが、レセプトや健診データは生活習慣病の重症化予測に有効だが個人情報保護法の壁があるため、もう少し活用しやすいようにできないかという提言をしました。また、国の公募プロポーザルへの申請についても、多方面でご支援をいただいています。
――津賀副学長は、大学としてひろしまサンドボックスのような事業に参画する利点をどうお考えでしょうか。
津賀氏 : このプロジェクトの開始に携わっていた木原康樹副学長(当時)は経験豊かな循環器内科医として、患者さんの治療には病院にかかる以前のライフスタイルの把握が重要だと考えていました。そういったデータ基盤を、自治体や国民の資源を集約して構築することが、将来的な医療費の削減、介護問題につながるという非常に広い視野からの発想です。
私自身は歯科医ですが、実は口内の健康は糖尿病やリウマチ、認知症といった様々な病気と関係するという研究報告があります。既に、食事の時にどのくらい噛んで食べているのか、測定するセンサーも出現しています。そういった情報を共通のデータ基盤に乗せ、流通させることが社会課題の解決に繋がり、新たな社会の創造につながります。
社会課題をAIやIoTで解決していくための研究、それはまさに文系と理系が融合した新たな研究分野です。この実証プロジェクトを皮切りに、新たな研究テーマや学問領域の提供に繋がることを望んでいます。広島大学としては、ひろしまサンドボックスに参画することで、Society5.0を目指す社会において、こうした新たな研究分野での貴重な活動の場をいただいていると考えています。
“世界の縮図”ともいえる広島県を実証フィールドにできる、ひろしまサンドボックスの価値
――実証実験は今年度いっぱいで終了となりますが、今後はどのような展開を見据えていらっしゃるのでしょうか。
市川氏 : メンタルヘルスの領域で、今まで世に出ていないデバイスを使って実証をしていこうとしています。従来のものは頭にセンサーを付けて感性を計測する研究室レベルのものでしたが、もう少し一般生活に近いところで使える簡易的なデバイスを開発中です。期間も残り少ないため、どこまでできるか分かりませんが、既に実証実験はスタートしています。
津賀氏 : ヘルスケアについて、一番の主人公はもちろん個人です。そこに寄り添う大きなバイプレーヤーが、医師などの医療従事者だと思います。そこで、医療機関などとうまく連携をとっていくことも、こういった実証事業が成功する鍵です。
広島県には、HMネットという病院間で医療情報をやり取りする先進的なネットワークがあります。法律や規制など乗り越えるべき課題は大きいですが、今後、そういったところとの良好な連携方法を探っていくことも、個人の健康寿命を伸ばすことに繋がるのではないかと考えています。
――最後に改めて、共創を検討している企業・団体に、ひろしまサンドボックスの魅力を伝えるメッセージをお願いします。
市川氏 : やはり県の企画であることは大きなメリットだと思います。「広島県の事業」という冠があると、複数の自治体とスムーズに交渉を進めることができますし、様々な企業も参画しやすいはずです。
ひろしまサンドボックスから地域に根差した産業振興など、常に新たなものが生み出されていることからも、非常に価値のある取り組みだと感じています。これはまさに、アメリカのアリゾナ州が州全体を実証フィールドにして産業振興する取り組みに通じるものだと思います。
そこにはアリゾナ州立大学も参画しており、産業発展に貢献する大学として米国内で1位にランクインしています。大きな実証フィールドで創造的な取り組みを繰り広げることは、そこに参画する企業や大学、団体の価値向上にもつながるのです。そういった意味でも参画する意義ある事業だと思います。
津賀氏 : 広島には、様々なものづくり企業、280万人の県民、山間部から島しょ部まで日本の縮図、世界の縮図のようなフィールドがあります。そういった場所で新たな取り組みを行うことができるひろしまサンドボックスは、社会課題に対して関心のある人や企業・団体などが参画できる稀有な場です。
先ほどもお話しいたしましたが、世の中に存在する様々な課題の解決に対して、主に人間の活動を研究の対象とする文系と、主に自然界を研究の対象とする理系、それらの領域が手を携えて、一緒に実証実験を推進していくことができる、それがひろしまサンドボックスの大きな利点なのだと思います。
この「広島モデル」ともいうべき、ひろしまサンドボックスの取り組みは、今後世界に広がっていくのではないでしょうか。今回の実証実験は、そこに向けた小さいけれど大きな一歩だと考えています。
※eiicon companyがオンラインで開催する日本最大級の経営層向けオンラインカンファレンス「Japan Open Innovation Fes 2020→21」にて、スペシャルセッション「オープンイノベーション3.0 産官学連携から見えるみらいのカタチ featuringひろしまサンドボックス」を開催[2/26(金)12:30-13:40]。「ひろしまサンドボックス」を牽引する広島県知事・湯﨑氏をはじめ、9つの実証プロジェクトを代表する担当者がそれぞれの成果をプレゼンします。ぜひ、オンラインでご視聴ください。
視聴方法やスケジュールなど詳細はこちらをご覧ください。 https://eiicon.net/about/joif2020-21/
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取材後記
人生100年時代、そしてニューノーマル時代の中で、さらに関心の高まるヘルスケア領域。病気に罹ることなく健康に年を重ねるために、一人ひとりに合った健康管理のアドバイスをもらえる機能は、世の中に強く求められているものではないだろうか。もちろん、個人情報の取り扱い、特に医療に関わるデータの取り扱いには細心の注意が必要だ。しかし、データを正しく共有することで、様々な視点で分析ができることのメリットは大きい。「広島モデル」から生まれる新たな価値は、日本人の健康にどのように影響していくのか、楽しみだ。
(編集:眞田幸剛、取材・文:佐藤瑞恵、撮影:古林洋平)