「Startup with IBM.」 あらゆる枠を超えて、新しい事業創出に挑む者たちが描くDXの未来図とは?
日本アイ・ビー・エム(以下、IBM)が、2014年に始めたスタートアップとの共創プログラム「IBM® BlueHub」――。プログラムの特徴は、(1)IBMの持つ世界最先端のテクノロジーを活用した支援を得られること、(2)IBMのクライアントと面談の機会を得られること、(3)VCやIBMコンサルタントによるメンタリング支援を受けられることだ。
第6期は昨年の夏に募集が開始され、10月にキックオフ。その後、約6カ月のプログラム期間でスタートアップ各社はプロダクトをブラッシュアップしてきた。その成果を発表するDemoDayが今年の3月に行われる予定だったが、新型コロナの影響で延期。それを完全オンラインに切り替えて行われたのが、7月14日の『Startup with IBM.』(オンラインDemoDay)だ。今期のデモデイは、これまでと少し趣が異なる。従来のデモデイを進化・拡大し、IBM全体のイベントとして実施。スタートアップの成果発表だけではなく、「ニューノーマルのデジタル変革とデータ活用」に関するパネルディスカッションも行われた。
『Startup with IBM.』には400名を超える視聴者が参加し、DemoDayの主役でもあるスタートアップ各社の発表に耳を傾けた。発表を行なったのは、高い競争率を勝ち抜いて採択された「株式会社キママニ」「Gemsmith Partners株式会社」「Datumix株式会社」の3社となる。
本記事では、スタートアップ3社の発表内容を中心に、プログラム卒業企業による発表、慶應義塾大学 教授 宮田裕章氏やIBM 藤森慶太氏をまじえたパネルディスカッションの内容なども含め、IBM BlueHub初となるオンラインDemoDayについてレポートする。
OPENING TALK|枠を超えて、新しい事業創出に挑む
オープニングトークとして、IBM 専務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業 本部長 加藤洋氏から、「ニューノーマル時代における企業のあり方」と「IBMのスタートアップ戦略」についての説明があった。その中で、「IBM BlueHub」がスタートアップのほかにも、大学、投資家、地域などとも手を組んで活動していること、今後も活動の幅を広げていくことが語られた。
また、加藤氏は今年4月にIBM(アメリカ)のCEOに就任したアービンド・クリシュナ氏から社員に向けて発せられた「全社員に起業家精神を持って活躍してほしい」というメッセージを紹介し、日本法人でも「IBM BlueHub」の取り組みをベースに、IBM全社員で新しいチャレンジに取り組んでいくとの意気込みを示した。
▲IBM 専務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業 本部長 加藤洋氏
STARTUPS PITCH|プロダクトの全貌と、プログラムの成果
オープニングトーク終了後、採択3社によるピッチが行われた。事前に収録されたピッチ映像が画面上に流され、それを見ながら視聴者はチャット欄に質問や感想を書き込むというオンラインならではのスタイルがとられた。
ピッチ終了後には、各スタートアップの発表者とオンラインでつなぎ、書き込まれた質問に対して回答してもらう流れになっており、視聴者は遠隔にいながらも臨場感を味わうことができた。以下で、各ピッチの内容を紹介する。
株式会社キママニ
■発表者/Founder/CEO 村上遥氏
■メンターVC/iSGS Investment Works Inc. 代表取締役/代表パートナー 五嶋一人氏
▲Founder/CEO 村上遥氏(写真右)
株式会社キママニは、感情をコントロールする個人向けアプリ「KibunLog(キブンログ)」を開発・提供しているスタートアップだ。特徴は、スマホで簡単に自分の感情を言語化できること。感情を言葉にすることで、気持ちが整理され、結果として感情のコントロールができると村上氏は話す。
操作は簡単で、感情の一覧からその時の気分を選び、率直に気持ちを書き出す。それが保存され、分析もできる。ユーザーからは、「職場のイライラが解消された」「自分を客観的に見ることができた」と、高く評価されているという。
厚労省の調査によると、離職や休職につながる可能性のある「高ストレス者」は、10人に1人とも言われている。高ストレス者の中には、認知の歪みにより「自分には悪いことばかりが起こる」と思い込んでいる人もいる。こうした人が、「KibunLog」を使って気持ちを記録すれば、必ずしも悪いことばかりではないと気づくことができる。
「KibunLog」を用いた軽度うつ病患者への観察研究では、7割以上が良い傾向を示唆する結果となった。また、30日間1日2回以上の入力依頼に対し、入力率は95%にも及んだという。
「IBM BlueHub」では、個人向けに提供してきた「KibunLog」を用いて、法人向けサービスの開発・テストに取り組んだ。従業員に「KibunLog」で感情を記録してもらい、それに基づいてメンタルヘルス研修を行うというものだ。記録から研修まですべてオンラインで行えるようにし、リモート勤務中のメンタルケアにも活用できる設計にした。
プログラム期間中、8名のIBM社員にテスト導入し、1時間の研修を2回実施。研修後のアンケートからは、「自分の状態を客観視できる」「チームメンバーの状態理解に役立つ」などの回答を得られたという。
「IBM BlueHub」を通して、法人向けプログラムの土台が完成し、それをもとにIBM以外への拡販にも成功した。村上氏はピッチの締めくくりとして、コロナ禍で従業員のメンタルケアが不可欠になっていることに触れ、「より多くの人たちのメンタルヘルス向上に貢献していきたい」と事業にかける思いを語った。
視聴者からは「外部の専門医とも連携するのか」という質問が出た。これに対し村上氏は、法人向けプログラムの研修講師は外部の心理士だと説明。さらに、各企業の産業医・精神科医を紹介することも可能だとつけ加えた。
Gemsmith Partners株式会社
■発表者/最高経営/技術責任者 伊藤暢洋氏
■メンターVC/Salesforce Ventures Partner, Japan Head 浅田賢氏
▲最高経営/技術責任者 伊藤暢洋氏
Gemsmith Partners株式会社は、東京大学の大学院でデータサイエンスとAIを学んだメンバーが集まって立ちあげたスタートアップだ。AI組み込み型のプロセス オートメーション ツール「fractal(フラクタル)」を開発している。
伊藤氏はこの領域の既存プロダクトとしてRPAがあるが、RPAには「再利用性がない」「人の作業と連携した自動化ができない」「PA(Process automation)/DP(Data platform)/AIツールが分断されており、本来の効果を発揮できない」といった課題もあると指摘する。
これらの課題を解決できるシステムが「fractal」だ。特徴は3つある。1つ目は「高度な再利用性」だ。既存のRPAだと少し業務が変わるだけでRPAエンジニアに依頼し、作りなおす必要がある。
しかし「fractal」は、典型的な処理ブロック(Web・SNS検索レポートなど)が用意されており、それを使って業務フローを構築できる。ブロックには再利用性があるため、たとえば仕事の種類を、「不正チェック」から「新商品チェック」に変更するのも容易だという。
2つ目の特徴は、人が行う作業とも連携できる点だ。たとえば、社内データベースから必要な情報を取得してチェックする作業を機械(ロボット)が行い、最終チェックを人が行う場合、「fractal」上のブロックをつなげるだけで、機械が行った仕事を人に渡すワークフローがつくれる。
3つ目の特徴として、PA/DP/AIの3つを同じルールで情報として体系化しているため、シームレスに連携が可能だという。たとえば、ワークフローの実行と同時に、AIが学習を行うといった連携も可能だ。
これらを支える技術は、同社が独自に開発したエンジンで、IT資源に体系化されたタグ付けを行うことにより、ワークフロー・データ・AIのつながり等を自動判別できるとのことだ。機械と人間の知識体系を融合的に読み取り、何と何をどうつなげるかを「fractal」が判断してくれる。こうした技術をもとに同社の実現したい世界は、ワークフローの生成すら自動化する「もう作らないプロセスオートメーション」なのだという。
「IBM BlueHub」で得た成果としては、「メンターVCよりシード期特有の悩みに対するアドバイスを得たこと」、「技術の適用領域(事業ドメイン)の検証・明確化ができたこと」、「国際的なカード会社との面談の機会を得られたこと」の3点を挙げた。なお、カード会社とはPoCに向けた準備を進めているという。
視聴者からは、「再利用可能なブロックはどうつくるのか?」という質問が出た。これに対して伊藤氏は、典型的なブロックはすでに用意してあるので、それをカスタマイズして使うと回答した。さらに将来的には、「色んな人がワークフローや自動化の部品(ブロック)を売買できる、GitHubのようなエコシステムをつくりたい」と展望を語り、プレゼンを終えた。
Datumix株式会社
■発表者/代表取締役 CEO 大住敏晃氏
■メンターVC/DNX Ventures Managing Director 倉林陽氏
▲代表取締役 CEO 大住敏晃氏
Datumix株式会社は、デジタルツインとAIをコアテクノロジーとして、企業の生産性向上に取り組むスタートアップだ。「モノのデジタルツイン」と「ヒトのデジタルツイン」の2つの事業を展開しているが、「IBM BlueHub」では、前者のビジネス拡大に取り組んだ。
大住氏の説明によると、デジタルツインとは、現実世界の情報をデジタル空間にリアルタイムに取り込むことにより、今をより正確に再現するデジタル技術のひとつだという。デジタル空間で分析・AI学習を行い、現実世界のアップデートに活かす。この技術を用い、同社は「物流量の増加」と「人材の不足」に悩む、物流業界の課題解決に取り組んでいる。
具体的には、デジタル上で再現した物流倉庫で改善・検証を行い、機械・設備の能力を向上させる。物流業界企業との共同開発により、「入庫の最適化」と「出庫の効率化」を実現する2つのアルゴリズムを開発した。入庫の最適化アルゴリズムは、季節・物流量の変化に対応し、もっとも出庫しやすい位置に商品を配置するよう促すものだ。一方、出庫の効率化アルゴリズムは、混雑状況に応じて自律的に最短時間で出庫ルートを探すよう促すものだという。
開発したアルゴリズムは、API形式で提供しており、既存システムとも連携が可能だという。このシステムを導入することで、20%もの効率化が実現できた物流会社もある。特許も取得済みで、現在、実設備への導入に向けて、クライアントを探している段階とのことだ。
「IBM BlueHub」では、新規クライアントの獲得を目標に設定した。IBMの物流コンサルタントから法人向け営業の手法や勘所に関するアドバイスを得たこと、メンターVCからコロナ禍のような緊急事態におけるスタートアップの経営戦略や心構えについてアドバイスを得たことで、結果として2社との取引契約を獲得できた。最後に大住氏は、販売代理店を探していること、2020年末に資金調達を目指していることについて語り、発表を結んだ。
ALUMNI|プログラム卒業生、その後の成長と資金調達
■発表者/代表取締役 福田志郎氏
株式会社チュートリアルは、第5期「IBM BlueHub」の採択企業で、クラウド型RPAを開発・展開している。サービスの立ち上げ時に「IBM BlueHub」へ参加し、DNX Ventures Managing Director 倉林陽氏などからメンタリング支援を受けた。
同社の手がけるクラウド型RPAは、「全国多拠点で利用できること」「社内システムも同時に統合できること」などが特徴だ。これらが評価され、コールセンターや人材サービス会社、広告運用会社など、幅広い業界で導入されているという。
今年の5月には、シリーズAファイナンスとして総額約5.5億円の資金調達を行ったが、本ラウンドの投資家陣はすべて、「IBM BlueHub」を通して出会った人たちだと話す。プログラム終了後も、継続して情報共有を行い、サポートを得てきたという。こうした自社の経緯を明らかにしながら、福田氏は「資金調達を目指して、ぜひ頑張ってください」とスタートアップ各社にエールを送った。
PANEL DISCUSSION|ニューノーマルのデジタル変革とデータ活用
イベント後半は、慶應義塾大学 医学部医療政策・管理学教室 教授の宮田 裕章氏、IBM グローバル・ビジネス・サービス事業 パートナー 戦略コンサルティング&デザイン事業統括 事業部長を務める藤森 慶太氏によるパネルディスカッションが催された。
テーマは「ニューノーマルのデジタル変革とデータ活用」、モデレーターは元IBM社員で、現在は株式会社HEART CATCHの代表を務める西村 真里子氏が務めた。
<プロフィール>
■宮田 裕章氏 (慶應義塾大学 医学部医療政策・管理学教室 教授)
■藤森 慶太氏 (IBM グローバル・ビジネス・サービス事業 パートナー 戦略コンサルティング&デザイン事業統括事業部長)
■西村 真里子氏 (モデレーター) 株式会社HEART CATCH 代表取締役
ニューノーマル時代の現状について質問を投げかけられた宮田氏は、世界は「退路のない変化の時代に入った」と話す。アメリカの失業者数やスペインが導入を検討しているベーシックインカム制度に触れ、「日本が変わらなくても、世界各国は変わる」と指摘。そして現状について、DX、第四次産業革命、Society 5.0の中で語られてきたことが一気に来た状況だという。こうした中、「今までのノーマルは本当にステキでしたか?」と問い直しながら、新しい社会をつくっていくことが重要だと語った。
ニューノーマル時代におけるデジタル変革(DX)について聞かれた藤森氏は、コロナによって企業のDXを行う目的意識が変化したと話す。コロナ前は経済的な便益を考えての部分的な業務変革にとどまっていたが、コロナの到来により「何のためにやるのだろう?」と企業が真剣に考え始めているという。「今が本気で変わるチャンスだ」と本腰を入れる企業も増加していると述べ、幅広いクライアントを持つIBMだからこそ得られる知見を共有した。
こうした状況下におけるデータ活用について宮田氏は、人々に便益をもたらす資源が石油・石炭からデータに変わったことにより、「財としての本質も変わっている」と説明。従来の石油・石炭と異なるデータの特徴は「使ってもなくならないもの、共有することで価値が高まるもの」だと話す。接触確認アプリもその一例だ。
このことから、「今までの排他独占的な蹴落とし型から、企業・自治体を含めてデータをシェアしながらコ・クリエイト(共創)する方向へと社会が変化しつつある」と現状を分析した。
企業のあり方に議論が展開した中で、藤森氏は「これまで、経済・行政・社会はそれぞれ役割が異なってきた。その中で企業は経済圏の中で生きてきた」と話す。しかし、すべてがデータでつながる世界となり、「企業の活動範囲に垣根がなくなっている」とし、「企業の目標も社会課題を解決するものへと転換しつつある」と付け加えた。
▲IBM 藤森慶太氏
経済・行政・社会の垣根が崩れ、企業のあり方が社会課題を解決するものへと変容する状況下で、変化のトリガーは何かという質問に対し、宮田氏は「それがまさにスタートアップだ」と言い切る。大企業の中で進めるよりも、外部で進めるほうが速いので、そこに投資をしていくべきだと述べ、その意味でも「IBM BlueHub」は価値のある取り組みだと評価した。
宮田氏の話を受けて藤森氏は、大企業がサードパーティと組んで、新しい価値を増幅するスキームを構築する難しさを語り、「今のところは主軸事業の外側でクルクルと回転している状況だ」という。この状況から脱却するために必要なことをデータ活用の観点で挙げるなら、(1)ROA向上を視野に入れたデータ活用戦略の策定、(2)データをつないでいくデジタルプラットフォーム・基盤の整備、(3)俊敏性を持った外部とのコラボレーションの3つだと話した。
▲慶應大 教授 宮田裕章氏
ニューノーマル時代において、ビジネスポテンシャルのある領域について聞かれた藤森氏は、「これから行政や企業の持つデータがオープンになっていく。そこにスタートアップや企業のチャンスがある」と主張。一方で宮田氏は、ビヨンドZOOMのような遠隔業務ツール、パブリックヘルス関連、デジタルマネー関連の3つに勝機があると話した。最後に、豊かな社会をつくるために必要なことについて両者が持論を展開し、盛り上がりの中でパネルディスカッションは終了した。
取材後記
新型コロナの影響により、「原則出社禁止」となっているIBMが、完全オンラインで実施した初めてのDemoDay。第6期に選ばれた3社は、「デジタルメディスン」「プロセスオートメーション」「デジタルツイン」といった、まだ聞き慣れない新しいプロダクトを私たちに披露してくれた。3社はいずれも近いうちに、事業拡大を目的とした資金調達を行うという。
第6期はこれで終了となるが、「IBM BlueHub」は、まもなく第7期の募集を開始する。「起業家集団」を標榜するIBMと共創に取り組みたいスタートアップは、ぜひ応募を検討してほしい。
※「IBM BlueHub」の詳細はこちらをご覧ください。
(編集:眞田幸剛、取材・文:林和歌子)